402、世継ぎでなければならない訳
「お連れしました」
マリナが手を差し出し、片手でアヒルの足が1本出た球体を受け取る。
球体からは、耳を澄ませるとガーガーくぐもった声が聞こえて、自分が人間であったことを忘れているようだ。
「キアナルーサ」
声をかけても、うつろである事に変わりない。
マリナが目を閉じ、スッと息を吸って球体に息を吐きかけながら告げた。
「キアナルーサ王子」
マリナが独特の揺らぎのある声で名を呼ぶと、アヒルの顔がヌッと球体から顔を出し、マリナを見つめて硬直した。
「汝、身体を失いつつある者よ。
霊として彷徨うか、一縷の希望を持って我が身にいっとき身を寄せるか決めよ」
「ガーーー!!身体が??」
「正気を戻したか。
お前の身体からは生気を感じない。
悪霊も逃げ出すほど、生きているとは言いがたい状況だ。
あのまま放置すれば、中から腐り落ちるだろう」
「 …… ガー………… 」
アヒルの目から、大粒の涙が落ちる。
そういうふうに作っていないので、マリナが驚いた。
「お前の霊気はその作り物に既に親和しつつある。
と、言う事は、元々の自分の身体との縁が切れてしまったという事だ。
戻ることは一縷の希望でしか無いが、身体が現状で維持出来れば……
自分の身体に戻れるか、戻れないか、五分だ」
「戻ったら生き返るにょ?」
横からアイネコが聞いてくる。
マリナが渋い顔で、うーんと考えた。
「さあ、戻ったら自分の身体で死ねるかな」
「戻った途端に死にゅんにゃない! 」
ショックでアイネコが身体中の毛を逆立たせ、シッポが三倍に膨れ上がった。
ゴウカがそっと、彼女を抱き上げる。
「今は遠見で見ることしか出来ない。
だが、実体を見れば救う手を探せるかも知れぬ。
お前の身体は赤とともに母の腹にいた、血を分けた者。
それが1つの光明になるかも知れぬ。
だが、我らが城に乗り込んでも悪霊を倒したあとでしかみる事は出来ないだろう。
わかるか? 私のここまでの言葉で、断定した言葉が無い。
つまりだ、言いたくは無いが言わねばならぬ。
つまり、手が無いかもしれん」
聞きたくなかったことをハッキリ言われ、ガックリとうなだれると、またアヒルの形が崩れて行く。
「僕は、生きたい」
マリナの手の中で、粘土のように形を失ったキアナルーサが小さくつぶやいた。
「そうであろうな。絶望すればするほど、私もそうであった」
「 ……生きたい…… 」
「私は生きることが出来ぬとは言っていない。
生きることだけに限定するなら」
「 ……僕は、王子だ…… 世継ぎの王子…… 」
「違うな、世継ぎは赤だ。
ぬしは間違った道を示されたからこそ自信を無くし、悪霊の声に耳を傾け、そして乗っ取られた。
それを忘れるな」
マリナの言葉が、だんだん冷たく突き放した声に変わって行く。
キアナルーサがカッと来て、思わず叫んだ。
「僕は! 次の王だ! 」
ボタンッ!
マリナが白い粘土の塊ようなキアナルーサを床に落とす。
マリナの心に、言いようのない怒りがわいた。
何故自分が、この玉座にしがみつく哀れな魂に腹を立てているのか、そう言う感情を久しく感じていなかったのでわからない。
「私は少し休む」
マリナが、サッと立ち上がった。
「僕は?! 僕を見捨てるのか? 」
「頭を冷やせ、その姿に頭は無いがな」
わかってる、自分の方が頭を冷やさねばならない。
部屋を出ようとしたとき、白い粘土が動くことも出来ずぽつりとつぶやいた。
「僕は、何の取り柄も無い。
だから、せめて世継ぎで無くては、生きている意味が無いんだ…… 」
マリナが足を止め、チラリと振り返り、ため息を付いた。
「生きること事態に意味はいらない。
生きて、お前がお前であれば良いのだ。
何の取り柄もないものなどいない。
世継ぎにしばられてきた、お前の視野は狭かろう。
お前はまだ若い、視野を広げて自分の生きる意味を探せ」
「ううう…… 」
押し殺すような、うめき声が聞こえる。
マリナさえ見えなかった心の奥底に隠した物が、浮上しているような感じがしてマリナが大きく目を見開く。
「何を隠している。お前の深淵を見せよ」
「うう…… ううう……
ああ…… 僕は、僕は、側近を殺してしまった。
だから、あいつの為にも世継ぎで無くてはならない…… 」
「殺した?? 誰をだ? 」
「貴族長の息子だ、ゼブリスルーンレイア・レナパルド。
西の一番高い城壁から突き落としてしまった……
僕は僕じゃ無かった、あの時から」
ふうん……
マリナが目を細め、腕を組む。
ようやく、彼の心の闇を知ることが出来た。
「なるほど、お前の心にある中身の見えない大きな黒い塊はそれか。
それが邪魔で、まともな形を取れない。
お前は世継ぎという言葉に執着しすぎている。
だが、残念だったな。
そのゼブリスという奴は黄泉には来ていない。
私には死者の名の記憶がある。それは何万というな。
だが、アトラーナでゼブリスルーンレイアという若者はいなかった。
名前が長いから、あれば印象に残っただろう。
つまり、どこかで生きているという事だ。
じゃあな、お前も少し休め、どうせ形の無い今だ。
頭をもみほぐして自由に生きろ」
ふああ……
大きなあくびをして、マリナが部屋を出て行く。
しかしキアナルーサは、驚愕して粘土からのっぺりした頭がにょっきり出でていた。
「生きている?? 生きているだって?? 」
まるで、雪だるまのような、点と線で出来た顔になる。
「ははっ! はははははははは!!
ウソだろ?? 死んでなかった?! あそこから落ちて、死んでなかった??!!
ははっ!!
あはははははははははああああああーーーーーーーー!!!
ああああ!! うわああああああああーーーーん
うわああああーーーーーー!!!
良かった、良かったああああああ!! 」
粘土から、汗のように涙が出る。
彼は喜びの顔を浮かべることが出来ず、ただただ無表情で、そして粘土から染み出す涙に次第にぐちゃぐちゃになっていった。