397、混乱するランドレール
リンリンリン、リンリンリンリンリンリンリンリンリン
夜、既に自室で夜着に着替えくつろいでいたルクレシアが、激しく鳴る呼び鈴の音にため息を付いて起き上がった。
足下にいたラティが、いつもの気まぐれな夜伽のお呼びかと上着を差し出す。
「お前はここにいて、多少荒っぽい音が聞こえても来る必要は無いよ」
「そのような……ラティは心配です」
「ははっ、お前は心配性だからね。先にお休み」
上着を取り王子の部屋に急ぐ。
何か用があれば肩の蝶を通じて直接言えばいいだろうに、この身体に何の用があるのだろう。
最近、忘れたように無沙汰だった、夜の相手でもしろというのだろうか。
ノックして、返事を待たずドアを開ける。
王子は、いつもの長椅子に座ったまま、こちらを見もしないで固まっていた。
服は自分で着替えると言ったのに、まだ着替えてもいない。
小姓を起こすほどのことでも無い。自分でやるかと舌打ちした。
「なんだ?用があるから呼んだのだろう?」
不機嫌に投げかけても、こちらを見ようともしない。
ルクレシアはハッと息を吐いて、クローゼットから寝間着を持ち彼の元へ行く。
「着替えるのだろう?違うのか?」
王子はうつむいたまま返答が無い。
ルクレシアは大きくため息を付いて、服をポンと向かいの椅子にかけると彼の隣にドスンと腰掛けた。
ふと見ると、王子の手がブルブル震えている。
「何震えてるんだ、悪霊のくせに」
「 ……恐ろしい………… 」
「何が?」
「あれは…… あんな力、昔の巫子にはなかった。
リリサも…… 」
「リリサ? 」
「妹だ、火の巫子だった。だが、あれたちはすでに過去の巫子さえ超越している」
「お前の妹が火の巫子??
火の神殿って、もう何百年も前に無くなったんだろう? 」
「そうだ、俺が潰した」
「お前が?? 」
突拍子も無いことを言われ、ルクレシアが声を上げて笑った。
「あっははは! クフフフ…… お前が??
神殿って皆が崇める物だよ? 相手は神様じゃないか。
お前1人で神殿が潰せる物か。相変わらずお前は言ってる意味がわからない」
バンッといきなり王子がテーブルを叩く。
「俺が潰したんだ!! この手で巫子を殺して!!
お前は! お前は! この俺の為に何をすると言うんだ!
お前は俺の臣下だろう?! 」
突然激高する彼に、眉をひそめて顔を背ける。
「何があろうと、僕は何もしない。ここにいるだけだ」
王子は、目を見開いたまま震える手で頬を、そして頭に手をやるとガシガシかきむしる。
ルクレシアがその手に血を見て、手首を握り止めようとした。
「やめろ! また王に何があったか聞かれる!
僕の仕事を増やすな! 」
だが、彼の腕力で敵うわけもなく、逆に振り切られて手首を握られると、そのまま椅子から落ち、床に押し倒され、服を引き裂かれた。
ビイィィーーーッ!! バリッ!
「やめろ! 僕の服を破くな!! いやだっ! いやっ!! やめっ!! うぐっ! 」
荒々しくレースのネグリジェを引き裂かれ、怒りの表情で首を絞められる。
「何故だ! 何故邪魔をする!! 何が火の巫子だ! 死ね! 死ね! 」
「ぐううっ…… ラ…… ド…… 」
苦しさに身もだえ、足をばたつかせ必死で王子の顔に手をやり押し戻そうとする。
王子の髪を掴み、グイと引っ張ると噛みつくように口づけをしてきた。
苦しさにヒクヒク痙攣するルクレシアの舌に、まるでそれを楽しむようにべろりとなめる。
助けて! 助け…… ラ、ラティ!
「巫子め、死ね、死ね! お前がいなければ、リリサと俺は結ばれる!! 」
ああ、こいつの目には、僕が見えていない!
ダメだ、声も届かない、殺される!
死ぬ…… 死ぬ………… 死ぬ、のか?
あああああ、嫌だ、 ……嫌だ、嫌だ!! こんな事で死にたくない! こんな!!
突然、思いがけなく生きる事への渇望が生まれてくる。
だのに、反して頭に血が上り、意識が遠のき、髪を掴んだ手から力が抜けて、ガクンと床に落ちた。
なぜか、嘆く父や母の顔が、浮かんで消える。
ラティの真っ黒に汚れた顔が……
森で拾った時に思わず抱きしめた、汚れたラティの、涙をいっぱいためた真っ黒な顔が、
思い出されて遠くに消えた。
ラティ…………
一緒に家を出た後、金に困るたびに、どこからか木の実や果物を探してくるお前に、
私が食べるのを見て、自分はちっとも食べないくせに嬉しそうなお前に、
人に依存しなければ、お前をお腹いっぱいにしてやれぬ私は……
また、お前を1人に…………
ゆる…… せ…………
「死ね! 死ね! 火の巫子め!! 」
既に意識を失ったルクレシアの華奢な首をグイグイと絞め、首の骨が軋んで折れそうになる。
「主様!! ルクレシア!! 」
窓から突然叫び声が飛び込み、ふと、我に返った王子が手を止め、ルクレシアの姿に目を見開いた。
「 ……な?! 」
その時、突然ドスンと衝撃が響き、王子の身体が壁まで吹き飛んでいく。
「主様! 主様! お気をしっかり! 主様!! 」
ミスリルのラティが、ルクレシアを揺り動かす。
だが、口をだらりと開けて、死の色が濃い表情に息を呑んだ。
気がつくのに遅れた後悔がドッと押し寄せてくる。
そばにいれば、もっとそばにいれば良かった。
「ルクレシア様!! 」
息をしていない。
息が! 息が!
ラティの手が震え、ドッと涙があふれた。
ルクレシアは、確かにランドレールの自分に似た暗い感情に惹きつけられました。
でも、彼の元へ迷いながら飛び込んだのは、すべてはラティの為です。
少なくとも自分は滅びに向かっても、ラティだけは食事に困らない生活が出来ます。
そしてここは権力者が集まるところ、ミスリルを欲しいと言う裕福な者がいれば託したい。
彼は大切な弟の為に、自分の身を犠牲にしようとしたのです。




