39、来訪者(流血有り)
ルランの本城では、宰相サラカーンが急ぎ一人息子の元へ急いでいた。
同じ城にいながら、滅多に顔を合わせることもない息子が先日、魔物に襲われたと聞いたのだ。
父に心配させまいと口止めしたらしいが、すぐに連絡が来なかったのが腹立たしい。
「レスラ!レスラ!」
部屋を守る兵をいちべつもせず、真っ直ぐ部屋に飛び込んで行く。
「父上、わざわざお越しになって下さったのですか?一体どうなさったのです。」
部屋で猫の姿のアイを撫でていた盲目のレスラカーンが、立ち上がり慌てて手探りで杖を探した。
「ライア、杖を……」
「よい、父がそこへ行く。
おお、良かった。お前にもしもの事があれば、父にはもう何もない。
何故すぐに言わなかった、何故父に隠そうとする!ああ、無事で良かった。」
サラカーンが歩み寄り、レスラカーンの身体を抱きしめた。
目が見えない息子を、何より心配して誰よりも愛する彼は少々過保護だ。
「お忙しいのに申し訳ありません、父上。」
父の手の位置から、すでに背丈は父を追い越してしまったことを感じてレスラカーンが苦笑する。
「父上、レスラはもう大人です。どうかご心配なきよう。
何もなかったのです、ご心配をおかけしてはいけないと思い私が皆に口止めを致しました。」
「何を言う、わしにとってお前はいくつになろうと大事な子供。
わしが心配せずして誰が心配する。
ライア、お前がそばにいて何をしていたのだ。
お前はレスラの目となり、二度とこのような事の無いように護ってやらねばどうする。
お前の最も大切な仕事ぞ! 」
ライアが膝を付き、頭を下げる。
アイがいなければどうなったのか、隣室にいながら気が付かなかった。この事件はライアにもショックだった。
「申し訳ありません。このライア、二度とレスラカーン様にこのようなことの無きよう、命に替えてお守り申し上げます。」
「期待しているぞ、わしの大切な息子だ。
夜間も兵を増やすように言っておく。
しばらくお前もレスラと供に部屋で休むようにしてくれぬか?
魔物と聞いては一時も油断ならん。」
「承知しました。」
「父上、それより私も最近ライアに、交易や先代が書かれました、治世についての本を読んで貰っているのです。
大変興味深く面白うございます。」
テーブルに置かれた本を探り、手にとって父に開いてみせる。
ライアが自分のために叱られるのは忍びない。
「おお、勉学に励むのはよいことだ。城の賢者にも話を聞けるよう、父が取りはからってやろう。」
父は嬉しそうにレスラカーンと長いすに腰掛け、しばらく2人は久しぶりにゆっくりと語り合った。
アイは親子の会話を邪魔しないようレスラの部屋を出て、城内をまた散歩し始めた。
先日は思わずレスラ達の前で話してしまい、一時は大騒ぎになるかと思ったが、その夜はそれどころではなかったらしい。
翌日2人はようやく落ち着いた所でキアンの元を訪れ、アイの事を聞いてきた。
キアンはどうした物かとアイを横目で見ていたが、アイ自身、レスラには知って欲しいと思って本当のことを告げた。
猫として大事にしてくれる彼を、何となく裏切りたくないからだ。
しかしレスラは話した事を喜び、それまでと変わらない態度で可愛がってくれた。
「それにしても……にゃー」
アイが廊下の手すりを歩きながら、中庭に増えた兵を見下ろす。
先日の増援が襲われ、半数が死んだと聞いて最近城内もピリピリしている。
確認に行った者が帰り次第、遺体のない葬儀が形式的に行われるらしい。
知らせの来た夜は、すぐに決起をと声を上げる者を一喝するザレルの声が、外からでも聞こえてビクッと飛び上がった。
それまでのどこかのんびりした、戦いなど他人事の気配が吹き飛び、動揺が広がっている。
王と王妃の体調も思わしくなく、肝心の王子のキアナルーサもどこか頼りない。
「これはちょっとヤバイ状態じゃないかニャ」
端から見ても、誰かがグイグイと引っぱって行く、そんな印象を受ける人物もなく、何か偉い人が集まっては会議をして、ザレルたち騎士や戦士はイライラした様子で部屋を出てくる。
そんなことを繰り返す。
「大丈夫なのかニャ」
いつもは庭園に出て遊ぶことの多かった姫達も、ほとんど姿を現さない。
悶々とした中で、その日ある商人がやってきた。
「何用か?」
衛兵に城門で呼び止められ、商人らしい風情の男が頭を下げる。
その男はひどく疲れた様子で、長旅に汚れた服を払い帽子を取ってもう一度深々とお辞儀した。
「私は各地を回る行商人でございます。
先日トランの姫様より極秘で書状をお預かりして参りました、どなたかにお目通りを。
こちらが一緒にお預かりした指輪でございます。」
「これは!確かにトランの王家の……待て!すぐに連絡を!」
商人の手にある指輪にはトランの王家の紋章が緻密に彫刻してある。
衛兵が驚き、慌てて1人、中に走っていった。
「トランの姫様から、極秘裏にお手紙をお預かりしてきたと商人が……!」
「確かか?本当に王女の物と証明は出来るのか?」
「はい、王家の紋章の指輪を……」
言葉は次々と城内を言づてに走り、王女の婚約者であるキアンの側近ゼブラが確認に部下を走らせる。
「まさか、王女が僕を頼ってきたのか?」
「今確認を走らせております、少々お待ちを。」
ゼブラが一礼し、部屋を出る。
許嫁であった王女の手紙、もちろん頼るべき相手である宛名は王子であって欲しい。
いや、そんなことは微々足ること。
とにかく中身だ、本当に王女の手紙であれば、トランの内情が記してあるはず。
城内の騒ぎの中、魔導師の塔で掃除をしていたメイスが、水桶の中を覗き込む。
濁った水には、城門の前で兵と話しながらたたずむ商人の姿。
「困った王女よ、それが裏切りであるとわからぬか。
王と王子はひたすら滅びに突き進んでいる物を。
やれ、やはりお前がいて良かった、メイスよ。
お前は、まこと役に立つ我が大切な愛し子よ。」
メイスの顔が暗く歪み、自分の頬を愛おしそうに撫でククッと小さく笑う。
そしてその手を水面にかざすと、小さく呪をつづった。
城内の入り口で騎士が応対に立ち、商人がひざまずく。
「では、王女の書状を確認させて貰おう。」
「はい、こちらが指輪と書状で……」
商人がカバンから手紙を取り出し騎士に渡そうとした時だった。
「え?あっ!あっ!」
ポッと手紙のはしに青い火がつき、一息に燃えあがった。
慌てて消そうとする商人の周りが急に暗く陰り、思わず空を仰ぐ。
中身が空っぽの白いローブが、いつ現れたのか、宙に浮いて皆を見下ろしている。
そして、それがゆっくりと杖を上げた。
その姿は、トランで幽鬼のように城内を彷徨う魔導師達を彷彿とさせる。
商人は、ここまで追ってきたのかと、恐怖で凍り付き息を飲んだ。
「ひっ!た、助けてくれ!」
商人が、助けを請うように城内へと駆け出し、もつれる足に前のめりになった時だった。
無言で白いローブが商人に向かって杖を振り下ろす。
ド ズン
地響きを上げて商人に巨大なハンマーのような力が降りかかった。
声も上げず、商人が血を吐きながら地面にめり込む。
「わああっ!ひいっ!」
「うわあああああ!!」
回りが騒然として兵達が城内に逃げ込み、慌てて城門を閉める。
逃げ込む兵の慌てぶりに、女達の悲鳴が上がった。
シンと、その一撃の余韻を残して静粛が訪れる。
兵がそっと門塀の隙間から外の様子を確認する。
見上げると、白いローブは霞のように、何ごともなく薄く消えて行く。
城内に逃げ込んだ兵達が、顔を見合わせそっと城門を開き外を伺う。
空にはもう、白いローブの姿はない。
そこにはただ、商人の死体と、ひしゃげて元の形を残していない彼の手から転げ落ちた指輪が残されていた。




