382、愚鈍な王
王が自分を責めて額に手をやる。
霊体のマリナが、王の手をギュッと握った。
「王よ、心ここにあらずなど許されぬ、しっかり目を見開け」
「も、申しわけ…… おおっ! な、なんだ? 」
鳥が身体を突き抜けて飛んで行き、ハッと初めてそこで自分が空を飛んでいるのだと認識した。
「フフッ、鳥がお前にしっかりせよと言うたのだ。
さあ、その目で見よ、あの魔物に紐付けられている者達を」
言われて、王が足下を見る。
王は驚き、目を見開くしかなかった。
城の一室から、蜘蛛の巣のように、赤く毒々しい色の糸が、無数に城内から城外、城下へと張り巡らされている。
「あ、あれはなんだ?!」
「魔物は汚した相手を紐付けするのだ。
それは、対照との接触が濃いほど太く、間接的な汚れだと細い。
だが、その紐を通して自由に操り、人の生気を吸わせ、そしてその本人もエサにすることも出来る。」
「え、エサ?? だと?! 」
「そうだ、生気を吸い取るのだよ。
生気を吸い取られた者は、ご丁寧に灰にして消してしまう。
多数の不明者が城下では出ている。
灰になる瞬間を私は見た」
「それに…… 、操られる者に、自覚はあるのか? 」
「自覚は無いと言った方が良かろう。
自分のすべてを置いても命令されれば身体はそれに従う。
そうしなければならないという、焦燥感に襲われる。
たとえ親でも手に掛けるだろう。そしてこの紐に距離は関係ない」
「馬鹿な! そのような事が」
「事実だ。
自分は赤を殺そうとしたのだ。無二の親友と思いながらも。
そうしなければ魔物に捨てられると、恐ろしくてたまらなかったことを覚えている。
魔物が唯一無二の存在になるのだ。他に頼る者は目の前にあるのに。
愛情は、容易に裏返される。
先日、私は王子の小姓を2人助けたぞ。
2人とも王子に紐付けられ、街で花売りをさせられて、男達の生気を吸い取る触媒にされていた。
危うく命を落とす寸前だったが、命を救われても身も心も傷つき代償は大きい。
傷ついた心は、誰かが支えなければならない。
お前にもそのくらい想像はつくであろう。愚鈍な王よ。
赤を襲った兵2人は、血で汚され攻撃性が強い為にいまだ封じたまま眠っている。
紐付けられた者は、簡単にその紐が断ち切れない。
命令は強く心を占めてしまう。
今日は騎士が3人来た。
すぐに清めを行い汚れを祓ったが、糸が太い為にそれだけで気を削がれ、激しく消耗してしまった。
彼らは騎士だ、城を守る大切な戦力だ。
だが、戦意は削がれ、心のどこかが欠落する。
アトラーナ王よ、今隣国に知れると攻め入られても抗うすべは無いぞ。
隣国リトスは危うい関係だからこそ、姫の輿入れを決めたのだろう?
敵はトランばかりでは無い。
かねてよりリトスは、精霊をないがしろにするアトラーナ王族を良く思っていない。
火の王は、アトラーナを見限った時、隣国に神殿を起こすだろう。
他の神も、恐らく追従する。
迷う暇は無い、決断せよ。
我らに城を一時任せよ」
「馬鹿な!明け渡せというのか?!」
「汚れを一掃する為だ。
糸を1本1本切るよりも、元を叩いた方が早い。
そしてその元は、お前の親族だ。
汝は気高くありたかろう、だが臣民にとって、時にその志は迷惑である」
「キアナ…… ルーサだと…… 言うのか…… 」
「一時だ。
だが、それが数日かかるか数週間かはわからない。
その間、主は邪魔だ、退避せよ。
魔導師の長にも伝える。
どこでもよい、強固な結界の中に潜め。お前が取られたら厄介なのだ。
わかるだろう、人間の王よ。
決断は早い方が良い。急げ」
無言で青の巫子を見つめていると、ストンと自分の身体に落ちた気がした。
ガクンと膝折れて床に手をつき、テーブルに目をやる。
青い炎は小さくしぼみ、消えそうになった時、ハッと王が声を上げた。
「そちらに! 兵が向かっている! 兵が! 」
『承知している、案ずるな。ではな。疾く、決断せよ』
フッと、火が消えた。
ふうっと王が息を吐き、ロルドーの手を借りて椅子に腰掛ける。
「青の…… 火の巫子…… か」
「何をご覧になられたのか? 」
「無数の…… 紐付けられた、魔物の手下となった者たちだ。
城内、城下、無数にいた」
「なんと! まことですか? 」
ロルドーが、髭を撫でながら深くため息を付く。
「災厄も作り話と…… あまりの力に王族が恐れたから、と、密かに聞いたことがございますが、信憑性がありますな」
「王は無力だよ。こう言うことにはな。この事態を見て、愚鈍と言われても言葉もなかった」
「それは無視出来ぬ失言ですな」
「愚鈍である事極まりない、我ながら自分に失望した」
「ほほっ、何を仰います。少ない戦力でいかに戦うか、一緒に考えましょうぞ」
「うむ、頼りにしている」
「ははっ! 我が老いぼれの命、アトラーナ王の為に」
王の瞳に明るさが見えて、ロルドーも姿勢を正し胸に手を当て頭を下げた。
マリナは時に辛らつです。
王はここまで状況の悪化した事に、気がつきながらも見ぬ振りをしてきた自分の行いが、愚鈍と言われても仕方が無いと頭を下げます。
長い平和の中で、人にかしずかれ漫然と王の座にいた自分は、一体何をしてきたのかと自問自答します。
巫子にお前は邪魔だと言われても、ぐうの音も出ません。
とは言え、ランドレールは、追い込まれると何をするかわかりません。
最後に王だけは無事に生き残っていなければ、国は乱れます。




