363、魔物の口づけ
「はぁ……のど、カラカラだ。なんて……なんて酷い人。
こう言うの、慣れてるじゃない。油断した、意外だよ。」
四肢を投げ出して、息を付き青年が問う。
「お前が慣れてないからだろう」
兵士の鍛え抜いた力の強い身体を思う存分使って、青年を思うさま蹂躙したランドレールは、満足感にククッと笑いベロリと青年の華奢な指を舐める。
「ねえ…………ねえ、なんで王子って言ったの?」
「王子だからさ」
「まさか!」
ククッと笑って、起き上がると傍らから酒瓶を出してコップに注ぎ、グッと飲み干した。
飲む?とコップを差し出されたが、首を振った。
「魔物憑きの王子って、有名だよ?今じゃ誰もそばに寄りつかないってさ」
「そうか、有名か?」
「有名だよ。面白そうじゃない?
何でそんな事言い出したのか、僕は興味あるね」
興味か。浅はかな、場末の花売りらしい言い草だ。
「興味があるなら教えてやろう」
逃げるなら殺せばいい。
青年を引き寄せて口づけると、胸から次第に黒く変貌して行く。
大きく目を開いてどす黒く変貌する顔を凝視しながら、青年は呆然と抱きしめられている。
私は彼の反応が薄いのに不満を感じ、ドッと黒い澱をベッド上にあふれさせると、彼の身体を足下からドロドロと包み込んでいった。
恐怖で身動き出来ないはずの青年が、何故か身体を離すと黒い澱を両手にすくって首から胸にこすりつけてククッと笑い出す。
「なんだ、ほんとに魔物なんだ。
フフッ、ククッ、なんだ、クククク……
これ、僕の身体にも入れたの?僕も中から食われるのかな?
いいね、散々苦しんで、転げ回って死にたいんだ」
「怖くないのか?」
「どうでもいい。もう、どうでもいいんだ。
あんた人を食うんだろ?兵士が消えるの、食われたに違いないってうわさになってる。
僕も食べればいいよ。僕なんか消えたって誰も気にしない。」
そう言うと、自分から抱きつき口づけしてくる。
私は黒い澱をスッと身体に戻し、人の姿に戻った。
何だろう、こんな人間もいるのだろうか?
この人間の感情が良くわからない。
自分はもっと生きている時、貪欲だったはずだ。
さっき食った男もそうだ。人は生きることにも、欲しい物を手に入れることにも貪欲で、自分さえ良ければあとは何でもいいはずだ。
だが、この男は何だ?
どうでもいい?
そんな感情、自分は思ったことがあったろうか?
しかしこの不可解な男が、自分を何故か一番受け入れている。
そして、自分が生きていた時と同じような思いにさいなまれている。
気に入らなければ食えばいい。私は1つ、面白い余興に賭けをしようと思った。
「この身体は借り物だ。
明日、私の元に来るが良い。私は今、キアナルーサ王子の身体に住んでいる。
お前は城に来て、私のそばにいろ」
じっと、青年が私の視線を探るように見る。
「なんで魔物になったの?」
「それは……そうだな、それぐらい話してやろう。
何もかもが思い通りにならなかったからだ。
すべて否定され、反対され、遠ざけられ、抗ってもすべてが裏目に出る。
あげくは毎日毎日毎日毎日毎日毎日毎日毎日、何年も何年も何年も何年も何年も何年も母親の怨嗟を一方的に聞かされる。
その暗い暗い泥沼に飲まれたような呪いで眠ることも出来ず、冷たい地の底で身動きも取れず、明るい方へ行くことが出来ない。
私は死したのちも殺され続けたのだ」
「それで悲観したの?」
「悲観?そんな物無い。憎んだのだ、すべてを。王家を、この国を。
そして決めたのだ、いつかあの忌々しい王座を奪ってやると。
誰の代でも構わない。関係ない。
安穏と座り続ける王を絶望の淵に落とし、奪って、奪って、そして精霊たちをこの国から追い出してやる!
この国を手に入れ、人間の国に戻すのだ!!」
興奮して息付く様にも気にもとめず、青年はクルリと身を返してベッドの端に座り、足をブラブラさせている。
「ふうん…………憎いんだ……
それで……誰から遠ざけられたの?」
「それは………気が向いたら教えよう」
「そう……あなたの、本当の名を教えて」
「それは……それも、来たら教えよう」
青年はしばし考え、酒をあおるとテーブルにグラスを置いた。
顔を上げ、大きく息を付く。答えが決まったようだった。
「わかった。僕の名は……じゃあ、僕の名もその時にわかると思う。
合い言葉にしよう、“黒の指輪”と。黒の指輪が会いに行く」
「わかった」
「…………僕に、何を望むの?」
「私のそばにいろ。
私は、勝手に私の目的の為に動く。だが、敵はいても、そばにいる者はいない」
「人も殺すの?沢山?」
「殺すと思う」
「あの城乗っ取るんだ」
「そうかもしれない」
青年は、クククッと肩を揺らすと、声を上げて笑った。
「なんて面白い魔物なんだ。この精霊の国と呼ばれる、腐った国で。
精霊なんて、何の役にも立たない。
僕は精霊が見えないんだ、目の前にいても見えない物を信じろって言うのは滑稽だ。
巫子を見た事があるかい?
あれが奇跡だって?奇跡なんてありはしない。あんな物、異端の能力でしかない。
わかった。僕には何も出来ないかもしれないけど、手を貸してもいい。
僕の身体を利用するといいよ。そうだな、君の非常時のエサにもなるかな?」
青年は、卑屈に笑ってもたれかかってくる。
私はしかし、愕然としていた。
なんてことだ。
なんてことだ!
ああ…………やっと見つけた。
私の同志。
考えを同じくする者が、こんな所で思い悩んでいた。
私は、彼の肩を抱いて引き寄せ、顎を上げると頬を寄せ、口づけを落とす。
「食わない、汚さない。約束する。必ず来い、我が元へ」
「ククッ、魔物の約束なんて、魂売り渡したのと同じだよ」
「そうだな、私にお前の全部をくれ、お前が心変わりをするまで」
「まだ、会って一時しかたってないのに、信用するの?」
「身体を繋げばわかる。お前と私は同じ物だ。生きているか、死んでいるかの違いだけ」
「うん、君はもう一人の僕だ。誰にも愛されない、疎まれるだけのもう一人の僕。
明日、黒の指輪が来たと告げて訪ねたら……
本当のあなたなら、口づけして」
「待ってる」
「もう一回して、破る事の出来ない契約の印を。
僕を後戻り出来ないほど汚せばいい。
僕はあなたと同じ運命でいいさ。あなたが死ぬ時、僕も共に暗い黄泉に行きたい。
二度と生まれ変わらない暗黒の泥の中に。」
恐れもせずに、青年はまた愛おしそうに首に手を回してくる。
2人は、その夜、夜明けまでその部屋で過ごした。
今回ランドレールに語らせてみました。
事後の詳細を省略しやすいので。




