362、花売り(男娼)の青年
日も陰ってきた頃、兵の身体を乗っ取ったランドレールがドアを開き外へと踏み出した。
その部屋には、強い風が吹き込み背後から大量の塵が舞い上がってどこへと無く消えていく。
ドアを開け放したまま、あとを吹き込む風にまかせる。
風の精霊がこんな所にいるはずもない、精霊たちを出し抜いたようでククッと笑いがもれた。
金に執着した若い男には被虐心をひどく駆り立てられ、手を見ると震えるほどに高揚している。
金、金と無礼な物言いに頬を叩くと、悲鳴を聞いて奥から兄弟らしい兄が駆けつけた。
正体を現して共に軽く生気を吸い取り、若い男は動けなくなった兄の前で散々内と外からなぶられたあと、悲鳴も上げる間もなく二人そろって微塵も残さず悪霊の糧となって塵と化した。
「クククク……なんと楽しき宴よ。人の絶望感はこれほどに美味なものか。
ああ、この身体は良い、力も強く、男らしい身体。久々に肉の交わりを楽しんだ。
思わぬ収穫よ、一度に二人を食えるなど、良き余興であった。さて」
高揚した心を抑えて、次の獲物を探しに足を踏み出す。
城の自室には先ほど小姓が食事をと言ってきたが、いらぬと追い返した。
新しい小姓のステラは中流貴族の末の子供らしい。
ビクビクした少年で、見ているだけでイライラする。
あれもカレンのように気が向いたら紐を付けて追い出そうか。
そのくらいしか役にも立たぬ。
暗くなるのは好都合だ。
自室にも誰も来ないから気が散らぬ。
忌々しいあの少年リュシーは、下僕のフェイクと共に2つ隣の部屋に兵を付け追い出した。
もう奴らには何も期待出来ない。ただの精霊に対する人質だ。
あれには聖なる火が入っている。意識もないはずの火が、リリサレーンを乗っ取った影響か私の思い通りに動いた。
なんと言う、滑稽な物よ。聖なる火と言うが、どこが聖なる火だ。
ただ力を持った、身体を持たぬ力の結晶。
私と何ら変わりない。
問題はあれの下僕のフェイクだ。何を核にしたのか知らぬが、いつの日か牙を剥いてきそうな気がする。
不気味に、不敵に笑うフェイクの顔が思い出される。
あれには不用意に手が出せない。
口から火を吐くあれに、ゾッとしながら忘れようと周りを見回した。
闇の中、薄暗いランプを灯し、安普請のドアの前で、フードを被りリンゴをかじる青年がチラリとこちらを見た。
自分を見ると、フードを倒して顔を見せ、切れ長の目でこちらを見て薄い唇をペロリとなめる。
身なりは悪くない、フード付きのコートの下は、ワンピースの寝間着に裸足にサンダルだが、その仕立ては安っぽいものでは無く、サラリとした上質の生地をふんだんに作らせた寝間着のようだ。
合わせから見える、細かい刺繍の入ったレースの襟飾りは見事な物だ。
シンプルなコートは、豪奢な寝間着を隠していたのだろう。
肩までの金髪が美しく、見目も良い。
部屋を借りてたまに遊びに出る金持ちの商人の息子と行った感じだ。
顔を隠すのは、親にバレると連れ戻されるからだろう。
自分を誘うように、ドアを開け放したままスッと部屋に入って行く。
いい、得物だ。
舌なめずりして、あとを追う。
ベッド1つしかない部屋に入ると、青年は自分の方に寄ってきて抱きつきキスをした。
「いい身体してるね、僕の好みだ。城の騎士?」
「自分も言えない事を聞くな」
不粋に言い返すと、キョトンとしてクッと笑う。
動揺もしない、不敵さが気に食わない。
先ほど塵にした男の、恐怖におびえる姿が目に浮かぶ。
あれは素晴らしいエサだった。
だが、この男は何だ、自分は泣き叫ぶ姿が見たい。
そうで無ければ、ただのエサにしかならない。
青年がクルリと背を向けた時、黒く手を染め、その手でへし折ってやろうかと首を掴もうとした。
「自分も言えない、か。それもそうだ。
僕は貴族の御曹司さ。って言ったら信じるかい? 」
「まさか」
手を人間に戻し、以前は集まっていた貴族達の顔を思い返す。あの取り巻きの中にも、この顔は無かった。
まさか、こんな場末で貴族に会うはずも無い。
「噓を言うか。俺は噓が嫌いだ」
「じゃあ、あとで正解を教えてあげるよ。君が、僕を満足させたらね」
上着を椅子に放ると、するりと下のワンピースの寝間着を脱いで全裸になり、シミ1つ無い白い肌を惜しげもなく晒して振り向き、私の服の合わせのボタンを外し始める。
そして、服から手を入れ素肌を撫でながら、まるで心臓の音を聞くように胸に耳を当てて抱きしめた。
「ああ、あったかくて気持ちいい。
こうして頬に人肌を感じると安心する。
僕は、嫌になったのさ。やることなすこと、全部が否定されるあの家が。
だから決めたんだ、これ以上無いくらいに汚れてやるとね。
それでも長男の私に家を継がせるのか、考えると面白いだろう?
ククッ、花売りの貴族だよ?誰がこんな僕に嫁に来るんだろうね。
僕はただ、家を存続させる為だけの、家畜と同じだ。
何が貴族…… うっ」
私は、腕を引くと強引に口づけた。
最初戸惑っていた青年は、次第に身体を委ねて自ら口づけしてくる。
どこか、どうにもならなかった昔の自分を思い出させて、心が動いた。
「忘れさせてやる」
「そんな事、できるものか」
「できるさ」
上衣を脱いで抱きしめ、ベッドにもつれるように倒れて行く。
痩せた青年の肌は冷たく、夜風に冷え切っていた。
「ずっと、待っていたのか?私を」
「くくっ、なんて傲慢な奴、あんた何様だよ」
「王子だ」
「嘘つきだ、嘘つきが嫌いなくせに」
寂しげにクスッと笑う。
認めて欲しい人に認められない。
やりたい事はすべて否定され、拒否される。
人々の視線は冷ややかになり、自分の居場所が見つからない。
ただただ、身分だけが高く、それに縛られる窮屈さが自分にはわかる。
どこか、この時代に意識を得て、初めて湧き出た感情だった。
青年が、うるんだ瞳から涙を流す。
ねぶるように涙を舐め取り、青年の頬を舐め唇を合わせる。
薄暗いランプが、すき間風に揺れる。
次第に、青年のあえぐ声が、漏れ聞こえる。
まるで傷ついた自分の傷を癒やすように、優しく、優しく愛撫した。
静かな、それは静かな、思いがけない出会いがもたらした、時間が過ぎていた。
青年は、親への宛てつけなら普通に花街の身を売る娼婦を買ってもいいのです。
ですが、自分を汚してしまいたいと自ら花街に立っています。
何ともやるせない青年です。




