361、獲物を探す悪霊(表紙付き)
ガタンッ
自室の居間でキアナルーサの姿のランドレールが、椅子から滑り落ちた。
床を這って長椅子に行き、息を切らせて這い上る。
「ハアッ! ハアッ! ハアッ! ハアッ!
あ、あの下郎め!!
くそっ、ことごとくついてない。
ううっ、力が…… あれほどため込んだ力が、ごっそり持って行かれた!
浄化されてしまった!!
この、身体…… 不甲斐ない。気持ち悪い、吐き気がする。
何か、何かエサを食わねば。
誰も認めぬ、巫子などと、ふざけた事を。
待っていろ。力を蓄え、宰相を使って思い知らせてやる。
クククク、こちらには沢山のコマがあるのだ」
しんとした部屋に、見回して息を付く。
あれほど集まっていた貴族の子息達も誰1人来なくなった。
側近も、呼んだ時しか顔を見せない。
それでいいような気もするが、敵は増えるのに自分の身の回りに誰もいない事が、人に囲まれたリリスの強気の表情を見ると余計に気が触る。
1人だったあのリリサレーンの生まれ変わりが、城を追い出したのちに力をどんどん付けてゆき、あれほど人を集めてしまった。
生まれた時からの嫌われ者が、あの、人心を集める力は何だ?
巫子である故の力か?
火の巫子を、甘く見たわけではない。
何度も殺そうとしたのに殺せなかった。
王の前で見せた口寄せの力が、鮮烈によみがえる。
素晴らしい、あれほどの、リリサレーンでさえ見せた事のない。
あの、故人さえも顕界させるほどの力。
それに対して、このキアナルーサという王子は何だ?
ついてくるのは側近1人、人を惹きつける力は皆無だ。
血の契約を集めたのは、あまりに不甲斐ないこの王子のせいだ。
この身体、世継ぎでなければこだわる必要も無い。
何の役にも立たない。
宰相を動かし、村を攻めなければ。
その前に、力を補給しなければならぬ。
目を閉じて、長椅子に横になる。
そして紐付けた男達の位置を探った。
非番なのか、街に出ている男がいる。
それは一般兵でも戦士のように鍛えた男で、顔も見目良く整って気に入っていた一人だ。
何度も自室に連れ込み楽しんだだけに、紐付けはしっかりしている。
ランドレールがニヤリと笑った。
その男は、街をぶらつき休日の買い物を友人と約束していた。
戦士を目指し、下級兵士の中で行われる次の勝ち抜き戦に出る為、友人に武具のあつらいで助言をもらおうと、待ち合わせ場所に向かっていたのだが、まだ時間が早い。
ほったらかしだった、ほつれていた鎖かたびらも修理に出したので、それを取りに行こうと足を向けた。
先日、剣の取り回しを練習していたら、ザレル総騎士団長に筋がいいと声をかけられ、友人達にも凄い事だとほめられた。
心が締まり、今度こそと言う気概に燃えている。
王子にも懇意にして頂いているのは心強い。
ふと…………
そう思った時、王子の艶めかしい様子が思い浮かび、顔が赤くなる。
まさか本当に、そう言うご趣味をお持ちとは知らなかったが、最近とみにうわさになっていたので、何度も誘われ気に入られたかと悪い気はしなかった。
鼻をこすって、ニヤける顔を隠しながらぼやく。
「まあ、出世の道は多いに限るよな」
『 ならば、我が手足になれ 』
頭の中に暗い声が響き、ビクンと顔を上げた。
ドッと冷や汗が流れ、腹の底から、何かがせり上がってくる。
震える手を見ると、一瞬真っ黒に染まってそれが脳天まで突き抜けた気がした。
見回して、人通りのない路地にフラフラとよろめく。
「お兄さん、具合が悪いのかい? 」
路地の奥から見ていた近所の中年の女が、心配して近寄ってくる。
しかし、顔を上げたその男の顔は、嫌悪に満ちて女を見下した。
「無礼者、下がれ」
女は、戸惑いながら男の不気味さに数歩後ずさりすると家に逃げ帰った。
「女はいらぬ。キイキイとうるさいばかりだ。
あれ以外の女など、すべてに虫唾が走る。
私の人であった頃の私の人生をねじ曲げ、そしてすべてを自分の思い通りにしようとした女など、嫌悪の対象でしかない」
頭の中に、嫌でも毎日地下牢に訪れた女の声が思い浮かぶ。
どれほど自分に向けて謝罪と懺悔と、そして愚痴を並べても、うるさいばかりだ。
お前が生んだのだ。
この私も、そしてあれも!
おまえのせいだ。
おまえのせいだ。
おまえのせいだ!
おまえのせいで俺はあれと契りを結べなかった。愛していた、たった1人の女と。
何故巫子に生んだ。何故、妹に生んだ。
すべてが裏目に出て私は後悔にさいなまれ、何を恨んでいいのか怒りにまみれ、すべてを憎んで悪霊と、魔物と呼ばれる物になった。
おまえが何もかも悪い。
ああ、頭があの女の声で憤怒に渦巻いている。
静かに眠りたかった。
何もかも終わってしまったあとで、静かに。
地下道に響く怨嗟の声で、私は、我は、俺は、明るい方に行けなくなってしまった。
あの声は呪いだ。あの女の声。
だから女など、街ごと食ってやる。
私自ら手を下さぬ今を、薄汚い心で安堵して過ごせ。
私が今望むのは……
男の記憶から、町外れの花街に向かう。
花街は小さな通りだが、2本あって女通りと男通りがあり、裏に回ると店では無く個人でやっている。
自分が向かうのは、店にいる花売り(男娼)ではない。
いなくなっても誰も気にとめない花売りの男だ。
騒がしい花街の裏通りを歩むと、まだ明るいうちから粗末な小屋から男女の艶っぽい声が聞こえる。
店で買うより安いだけに、昼夜関係なく潜んで好みの獲物を探す男の姿が見える。
男の店には、ドアに花が一輪刺してある。
暗がりから、痩せ細った少年が一輪の花を差し出す。
その手をパンと払い、いらぬとばかりに突き飛ばした。
生気だ、もっと生気にあふれ、身を持て余した男だ。
若い男が1人、小屋から手招きした。
丁度いい、丁度いい生気のオーラだ。
まず一人目のエサはこいつにしよう。
腹を空かせた悪霊が、招かれてその男の部屋へと足を踏み入れる。
若い男は何も知らず、まずは金の相談を始めた。
魔導師ジレを無くしたあと、1人になった開放感から見境無くエサにした為に、彼の周囲で行方不明者が増え、貴族の子息は誰も寄りつかなくなりました。
世継ぎとは言え、常にそばにいる側近の1人もいないのは異常です。
今の側近のケルディムは、最初ゼブリスの後釜に付けたことに喜んでいましたが、奇行に走る王子に見切りを付けて、自分の身を守る為にあまり近寄らなくなっています。
自分はたった1人、敵はどんどん集結して行く様に、どこか寂しさを感じる様は、まだランドレールに人間らしいところが残っているのでしょう。




