351、逃亡への説得
ライアがレスラカーンの前に立ち、ギリギリと宰相の姿をした男をにらみ付けた。
「部屋を出て行け。下賤が、空気が汚れる。この城を出て行け!」
「ほう、威勢がいいな、たかが側近風情が。
何ならお前も我の配下にしてもいいのだぞ?見目良い騎士よ。
お前達は私の好みだ、私の側近にしてやろう」
ライアが、怒りに燃えて剣を握る。
だが、抜刀しては相手の思うつぼだ。
グッとこらえて歯を食いしばる。
「おのれ、外道め。このままで済むと思うな」
「そっくり返してやろう、下賤の召使い上がりが。
夜だ! 夜が私の味方をする。
さあ、今日から一睡もせず、どこまで主人を守り切れるか、ククク、見物だ」
「たとえ千の敵を前にしようと、私はレスラカーン様をお守りする!」
「ほう!言ったな青二才。
いいぞ、私はお前のような反逆心のある者を叩き伏せ、その絶望に満ちた顔を見ながら食い潰すのが大好きだ」
ベロリと、よだれを流しながら舌なめずりする。
ライアがゾッと思わず怯んだ。
「魔物め、何故お前のような者が城内に入り込んだのだ」
くっくくっと宰相の顔をした魔物が笑う。
「それを知りたいか、そうさな、1つ教えてやろうぞ。
私はいたのだよ、ここに、最初からな。
死んだあとにでも魔導師どもに聞くが良い、だがさて、今は戻るとしよう。
昼である幸運に感謝するがいい。
そうさな……
今日は、王に、会わなくては、な。クックック」
ニイッとほくそ笑み、いちべつするとドアに向かう。
レスラ達が、思わず戦慄して目を見開いた。
「馬鹿な、伯父様まで毒そうというのか?」
「さあな、これから私がどうするか、楽しみにするがよい。
ククククク…………お前の父の身体、気に入ったぞ。皆恐れてひれ伏す。
邪魔者はお前だけだ。お前も私の物にしてやろう」
吐き気がこみ上げ、レスラカーンが口に手をやる。
だが今は、吐いているヒマは無い。
「父は!生きているのか?!」
「さあな、お前が黄泉で会ったら死んでいるのであろうさ。
シャール!戻るぞ!」
シャールが、ドアを開けて頭を下げる。
「この2人はどうも言動がおかしい。
この部屋から出さぬようにせよ」
「は?言動が?でございますか?」
「わしを偽物と申す。下らぬ遊びに付き合うヒマなぞ父にはない!」
「は」
シャールが、戸惑いがちな顔でライアを見る。
だが、ライアは愕然とした顔で声を出そうとしても出なかった。
閉じられたドアの向こうには、兵の足音が聞こえる。
レスラカーンがうめきながらうなだれて、ギュッとライアの服を握る。
2人はこの狭い部屋の中で、どうすればいいのかなど浮かばない。
光明の見えない先で、不安だけが広がっていった。
翌日昼過ぎ、レスラカーンの部屋の窓がコツコツ鳴って、ビクンとライアが顔を上げた。
あれから緊張しっぱなしで、心に余裕が無い。
もう2日寝てないだけで、足下がふらついた。
アイだと思うのに、なかなか窓が開けられず大きく深呼吸してそっと開く。
するとやはりそこには小さな袋を首に結びつけた黒猫の姿があって、ほうっと息を吐いた。
「アイかい?」
ライアと同じく心休まずに昼から横になっていたレスラカーンが顔を上げる。
「は、はい、」
トンと部屋に入ってきた彼女の背には、布で出来た粗末な人形の姿がある。
しいっと人形が指を立てた。
黒猫から降りて床に立つと、背中に刺した小さな棒を手に取り、クルリと回してとんっと床を打つ。
すると、フッと何か閉じられたように空気の動きが無くなった。
「誰だ?」
ライアが、レスラを庇うように立つ。
人形は深くお辞儀して、キョロキョロ見回しふわりとテーブルの上に乗った。
『ルークでございます。
驚かせて申し訳なく思いますが、今は急ぎ避難して頂きたく、こちらへ参りました。
まだ、あなた様はレスラカーン様に間違いは無いご様子』
レスラとライアが、ホッと息を吐く。
「まだ、無力な私で間違い無いよ。私はレスラカーン・ギナ・レイス・アトラーナだ」
『それは重畳、間に合いましたな。
昨日接触があった事は存じております。
この魔導師がいながら、お父上を守ること出来なかったことは、我ら制約下に打つ手の無かったことが悔しうございます」
「制約……魔導師は王族の聖域に術を使うべからずか。
なにが聖域か!
王族とて人であるのに、もっとも頼りになる者を遠ざける下らぬ制約を!」
『今、王族の館に手が出せぬ状況下で、魔物に自由を与えるしか無い我らには、これが今できる対処でございます。
ここで力を使うことは禁を破ることになる故に、我らは本来の力が出せません。どうか速やかに願いたく。
あの御方はすでに父君ではありません。
すぐに避難なさって下さい。その準備をして参りました。
明るいうちは奴も手出しできないでしょう』
「なんと!これは助かる。レスラカーン様!」
ライアが、明るい顔でレスラを見る。
だが、レスラは顔を覆い、そして大きく息を吐くと首を振った。
「それは出来ぬ。私は、王族だ。城を放棄などできぬ。
それより伯父上を先に避難させよ」
レスラの諦めにも感じる言葉に、ライアが息を呑む。
だが、これは予想されたことだ。
ライアは彼の手を取りギュッと握りしめて、切迫した状況の打破の一歩である事を必死で訴えた。
「レスラカーン様!今はそのような事を言っている時ではありません!
あなたが、今ここで命を落としたらどうされるのです!
たとえ他の王族が魔物に侵されようと、あなた様が生きていらっしゃる限り王族は安泰なのです!
あなたのお名前にギナがある限り、それは王位継承の証!
あなたが避難されることは、決して敵に背を向けることでは無いのですよ!
これは敵と向き合う為の準備なのです!
城など、こんな城など、魔物の巣くう城など、何の意味がありましょう!
あの魔物は言ったではありませんか!自分は最初からここにいたのだと!」
「でも、ライア。私は、父を1人おいて逃げられない」
レスラカーンの悲痛な顔に、痛いほど手を握る。
「ここにいてどうなされるのです。自由に動けなくては助けを呼ぶことさえ出来ません。
逃げたと言う者には言わせれば良いのです!
あなたは、お父上をお助けする為にもここを出なければ!
人に魔物は倒せません!助け手を呼ぶのです!」
ライアが必死で説得する。
これは好機だ。
これを逃してはあとが無い。
魔物に人間が敵うわけが無いのだ。
ギュッと、彼の手を握りしめる。
あの、魔物の言葉がライアの心を焦らせる。
レスラカーンを守りたい。
あんな魔物に彼が陵辱されるなど、考えるだけで血を吐いて死にそうになる。
安全なところへ、せめて魔導師の、巫子のそばへ!
禁を侵すプレッシャーは、ルークに相当のダメージを与えます。
それでも、王家の人々を守らねばならないのです。
攻められた時には城が落ちたら終わりですが、現状異常事態なので、王族さえいれば何とかなります。




