345、悪霊のささやき
コン、コン
「誰だ!」
ビクンと驚き、思わず大きな声で返す。
だが、相手は驚きもせず、静かな声で返した。
「叔父上、私です。キアナルーサです」
「キアナ?何の用だ?突然」
おかしい、普通、キアナの側近が先に来るはずだ。
それとも側近を起こさず1人で来たのだろうか?
不思議に思いながら、急いで布を下ろしてタイル絵を隠し、絵をずらして元に戻す。
ガチャリ
ドアが、突然すうっと開く。
ハッと、不気味さに目が奪われ、その場から思わず数歩下がった。
音も無くドアが開き、滑るようにワンピースのような部屋着姿のキアナルーサが部屋に入ってきた。
部屋のロウソクに照らされ、その微笑みは不気味に……そして、今まで感じた事のないどこか怪しい雰囲気を醸している。
「な、なんという格好でうろうろしているのだ。
世継ぎがそのような寝間着で城内を……」
「叔父上、大切なお話しを……どうか、この私に力をお貸し下さいませ」
「私がお前に何を……」
「叔父上、私の、大切な叔父上、私と、手を組みませぬか?」
「手を? 組む?」
「気弱な王を倒し、そして強大な私たちの国を作り上げるのです」
仰天して、サラカーンが声を潜めた。
「な、何を言う、早う部屋に戻るのだ、誰かに聞かれたらどうする。
王はお前の父だぞ?何を言っているのかわかって……」
すうっと、滑るようにキアナルーサが彼の目前に近づく。
「冗談ではありません。
どうか、叔父上のお力添えを、私はこの国の為に、父と戦いたいのです。
どうか、どうか、この私と一緒に戦って下さい。
叔父上様の後ろ盾がないと、私の、僕の、この決意が……揺らいでしまいます」
顔を歪めて悲しそうな顔のキアナルーサが、ゆっくりと部屋着の合わせのボタンを、1つ、1つ、外す。
合わせから見える服の下は裸体で、驚き慌ててサラカーンがキアナルーサの手を掴み、声を潜めた。
「何をしている、気でも触れたか?!」
「叔父上様、どうか、どうか、僕にお力添えを。
その証しに、同盟の契りを。それとも、凡庸な私には王の資格がないのでしょうか?」
月明かりに、ポロリと流れるキアナルーサの涙が光る。
ハッとサラカーンが手を震わせ、首を振った。
「そのような事はない。そのような……私が強く言い過ぎていた。
お前はちゃんと王道を歩んでいる。だから心配などいらないのだ。
このような事をするでない、お前はまだ子供なのだ」
「だからこそ……、だからこそ、叔父様のお力が必要なのです。
どうか、私のそばに、ずっと私の……そばに、私の力になって下さい。
そうで無いと、このキアナは、恐ろしゅうございます」
突然、キアナルーサが、サラカーンの首に手を回し口づけをする。
それは子供とは思えぬ、舌を差し入れ濃厚な口づけで、サラカーンはくらりとめまいを覚えた。
どこでこんな、口づけを……
何かが口の中にドロリと流れ込み、思わず飲み込む。
「叔父上様。私は、あなたがいなければ駄目なのです。
あなたなら、私のお力になって下さるはず。
王は、手放したあの赤い髪の子に、火の巫子を許すでしょう。
巫子となったあの息子を、世継ぎへと戻すことさえあり得ます」
「そ、そんな事が!そのような、私が許さぬ!」
だが、押してキアナルーサが、声を潜めて語りかける。
「でも、あなたは宰相、王ではない。
叔父様、許せぬでしょう?考えてご覧なさい、王は何も、何も、失ってはいない。
あなたが殺せと言った赤い髪の子も生きて、そして巫子になろうとしている」
「あれは、王の子ではない!
誰から聞いたか知らぬが、王家とは一切関係の無い者だ!
元々存在しない者だ、失うも何も無い!
心配せず、さあ部屋に戻りなさい」
宰相は、大きく首を振って彼の言葉を一切受け付けない。
ふう…………
キアナルーサの姿をしたランドレールが、心で舌打ち、暗い顔でため息を付く。
硬い。
さすがに宰相を司るだけの男だ。
だが、私は知っているぞ。
お前のその、厳格な顔の裏側に隠された恐ろしいほどの怨念を。憤怒を。
暗い顔で絶望的な顔をしたキアナルーサが、両手で顔を覆いうなだれた。
「私の決意を…………
叔父様ならわかって下さると思ったのに。
僕は、ああ……僕は、1人で戦わねばならないのでしょうか?
あなたのように。
孤独の中で、戦ってこられた叔父様のように。
僕には、きっと耐えられない。
僕は、これから父と戦うというのに」
「何故そんな事を言い出すのだ。
王はちゃんとお前のことも、私のことにも気を使っている。
忙しい中でもちゃんと、お前にも……」
「ならば、何故。
王はあの子を殺さないのです。
それどころか、謝罪を口にされていると聞きます。
そんな事、そんな事、耐えられません!
この国に、もうこれ以上の神殿などいらない!
僕の時代を、精霊にかしずけというのか?!
ああ!ああ!そんな事、耐えられない!」
「キアナ……」
これだ。同調こそ、隙を生む。
あなたの味方は私だけだと。
叔父様、さあ、一線を越えて、強固な、何者にも揺るがぬ私の仲間になるのです。
さあ、
私をあなたの物にして下さい。されば、あなたは私の物になる。
「叔父様……
僕は、あなたの苦しみを存じております。
あなたはずっと1人で苦しんできた。
でも、もういいのです。
私がそばにおります。
さあ、
さあ、
失った物を取り戻す王に、
何も失う物など無い王に、
あなたの苦しみを、悲しみを、知ろうともしない王に、知らしめましょう。
ああ……あなたは、失った物を、取り戻すことさえ出来ないのに」
サラカーンが、息を呑んだ。
恐ろしい物を、思い出したくないように、一歩下がる。
よろめきながら、耳をふさぎ、そしてその手をキアナルーサに、ブルブルと震わせて伸ばした。
「な……にを言うのだ。
何を、知っているのだ。
キアナルーサ」
絶望に、崩れ落ちそうな宰相の姿がそこにある。
ランドレールは、心の中でほくそ笑みながら、キアナルーサの口から、その言葉を囁いた。
「私は、聞いてしまった。
私は、知っているのです。
王家の為に。
あなたは、
愛する妻さえも、その手で殺したというのに」




