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343、空には必ず日の光があるように

「もう、目を開けても良いぞ」


マリナが手を離すと、そっと、青年が目を開く。

彼はふと横を向き、フードを直して顔を隠す。

お顔を見るのもはばかられる。この方は、本当に巫子だと確信していた。


「お心遣い、ありがとうございます」


青年は、静かに頭を下げた。




マリナが川に目を移すと、ギーが川の中で、少年が流されないように溺れないように身体を支えている。


マリナがほとりまで来ると手を合わせ、声をかけた。


「ミスリルよ、良い、川から上がれ。川の精霊に力を借りる」


「はい」


そっと手を離し、そして流れを乱さないように川から上がってくる。

少年はすっかり精気を奪われ、冷えきった身体に意識を失い、ドロリとした視線がボンヤリと宙を見つめている。


「これより始める。

皆々、精霊神をうやまい、こうべを下げよ」


静かに手を合わせ、そして目を閉じる。

ボッと、マリナの両側に青い火が灯った。


パーーーン!!


打つ手の音が、辺りに響く。


その音は周囲に結界を作り、そして辺りに響くのは川の流れの音だけになった。


「死者と生者の狭間はざま彷徨さまよう魂よ、そは死者にあらず。

打ち砕かれし心よ、その身を離れる事べからず。


死者の国は遠く、汝が横たわるは生者の聖なる清水きよみずなり。

水の精霊シールーンよ、心に一片のよどみも残すことなく洗い清めたまえ。


汝、清められし御霊みたまは、フレアゴートの神聖なる炎によって、新たに再生を行うものなり。

火打ち石よ鳴れ、ごうごうと、苦難を燃やし立ち向かう炎となれ。

心の火種よ今こそ燃えよ!」


マリナが腕輪のある手を空へと向ける。

その瞬間、


カーーーン


と澄んだ音が響き、そして水の中で少年の身体が一瞬ボウと青い火に包まれる。

火の勢いは一瞬で、ビクンと身体が跳ね上がり、やがて穏やかな表情になる。

ゆるゆると火が身体の内に消えると、少年がゆっくり目を開いた。


「サリヌス!!」


ぽうとした目が、見回すように動いた。

頭の中で、誰かが囁く。



『   さあ、心の目を開け。悪夢は終わった。   』



夢うつつのように、何度もまばたきする。

ゆっくりと身が沈み、さらさらと流れる水が、次第に顔を埋めて行く。

ぷくぷく鼻と口から息を吐きだし、空の色に鮮やかに青く輝く水面をうっとり見つめ、息を止める。


ああ……なんて綺麗な空なんだろう……


思わず水を吸って、ドッと鼻から水が流れ込む。


ガボッゴボッ


「ゴホッ!ゴホッ」


サリヌスが、川から身を起こし、数度咳をしてツンとした鼻を押さえる。

いきなり現実に戻されたような顔をして、ゆっくりと周りを見回した。


「苦しかろう、それが生きている証だ。少年」


マリナが、サリヌスの顔をのぞき込む。


「僕は…………

僕は、悪い夢を、見たのでしょうか?」


ボンヤリと、水をしたたらせながら、マリナに問いかける。


「いいや、その夢うつつはすべてが現実だ」


ゴクンと息を呑む。


「そう……でしたか。やはり」


「記憶が消え去る事はない。だが、恐れる事もない。

もう、終わった事なのだ」


「僕は、花売りをしていた……僕は、男達に…………何で…………」


両手で、顔を覆って肩をふるわせる。


「過ぎ去った日々は、良い事も悪い事も過ぎていくごとに薄くはかなく消えていく。

だが、魔物に利用され、お前の受けた体験は残渣のように残り、きっとお前を苦しめるだろう。

だが、それはお前が自らした事では無い。

魔物がお前の身体を利用したのだ」


「ぼ……くは、王子に襲われて……そして……

それから、記憶が曖昧で…………

ああ……、怖い、怖い。身体が思うようにならない」


片手で顔をおおう彼に、マリナが手を差し伸べる。


「さあ、手を。

自ら、恐ろしい体験を思い出すことはない。

目を開いて、何が見えた?それは美しいものでは無かったか?」


「……ああ……空が、美しい空が見えました。美しく澄んだ水が見えました」


「それで良い。

世には美しいものがあふれている。

見たくないものを見る必要はないのだ。

お前の心に今必要なのは、そう言う物だ。


お前は決して1人ではない。

たとえののしる者がいても、お前はその言葉をいちいち受け止める事はない。

鈍感になれ。時に耳は飾りであって良い。


そして、空を見よ、空には必ず日の光があるように、必ずお前を照らし、支える存在があるはずだ。

汝の道行きに祝福あれ。


さあ、兄が待っている。

お前を探して、探して、探し回ってやっと見つけたのだ。

その事実だけを、より良い事実だけを受け入れよ。

兄と、そのミスリルは、お前を大切に思って生きている。

それを糧にお前も生きよ。

お前の心は、人として何一つ間違った事はしていない。

お前の身体を支配していたのは、あってはならない魔物なのだ。

だが、もうお前の身体からは、それは一糸残らず消え失せた。

安心して明日を見よ」


サリヌスが川を上がり、ポタポタ水を落としながら静かに目を閉じ恐る恐るマリナの手を握る。


「私は、生きていてもいいのでしょうか?」


「生きよ、天が死んでも良いと、言うその日まで、天寿を全うせよ。

お前がこれから死んだように生きるのか、それとも心を何かに燃やして生きるのかはお前次第だ」


その背を、兄がコートを脱いで、包み込みしっかりと抱いた。


「サリヌス、ああ、良かった。良かった」


「兄様……ギー、探して……くれたんだね」


「当たり前じゃないか!私の大切な弟。

僕は心配で、心配で、本当に……良かった、ああ、良かった」


「兄様……うっ、うっ、ううううう…………」


サリヌスが、兄の胸に抱かれて泣いた。

兄は彼を痛いほどに抱きしめ、そして濡れた髪を暖めるように手で包み込む。


「泣けるなら大丈夫だ、お前は大丈夫だ。お前は僕が守るから。

僕と、ギーが守るから」


「サリヌス様、ギーは老いぼれても生涯お仕え致します。どうか強く生きて下さいませ」


「うん、うん、兄様、ギー、ありがとう」


兄がホッと安息の吐息を吐く。

そして、いまだフードで顔が見えないマリナに聞いた。


「ああ、ありがとうございます。ありがとう。

なんとお礼を申し上げれば。どちらの神殿にお礼を申し上げれば?

地の神殿でしょうか?」


マリナがまた、グレンに抱っこされる。

くふふっと笑って、人差し指を唇に当てた。


「んー、まだ僕らは神殿が無いんだ。

何も持ってないからね、だから期待するよ。

火の神殿が出来たら、いっぱい寄進をよろしくね。じゃ!」


ぷらぷら手を振って、白装束に抱きかかえられ、マリナが去って行く。

青年達は、彼に頭を下げて顔を上げた。


「火の……神殿……」


それは、先日見た空いっぱいの青い火。

青年は、弟の身体を抱きしめながら、人生をかけて、きっと恩を返そうと心に誓っていた。


サリヌスの姿は、マリナにとって、かつてのメイスであった自分の姿に見えます。

自暴自棄になった自分を、救ってくれたように思ったのは魔物でしたが、それは紛い物の救いの手でした。

暗い深淵を見つめるその生活は、不安と隣同士で、捨てられる恐怖にさいなまれ、そしてただ利用され搾取されるだけでした。

だから彼は言うのです。

空を見よと。

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