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342、サリヌスの兄の葛藤

カチカチ歯を鳴らす少年を、ギーが裸にして川にそっと降ろす。


「お寒うございましょうが、しばらくのご辛抱を」


「……寒い、寒い、寒い……」


小さなかすれた声で、少年サリヌスが何度も囁く。

目は硬く開かず、意識があるのか無いのか、冷たい身体で水に浸され寒いと繰り返す。

ミスリルのギーが、川に入りアザだらけで汚れた身体を洗い、そして身体を横にすると赤く腫れたしもの様子に目を閉じた。


「ギー、すまない。身体の中も、洗えるところまで洗ってくれ」


目を伏せ、兄の青年が小さく語りかける。

ギーが頭を下げ、震える手で少年の陰部に手を触れた。


「失礼致します、サリヌス様。御身を綺麗にしましょう。失礼致します。どうかお許しを」


何度も謝りながら、流れる水の中で赤く腫れた所に指を入れてかき出した。

横で、兄が見ていられず顔を伏せて嗚咽を漏らす。

その横に、マリナが立って彼の背に手を当てた。


「涙はここに置いて行くのだ。

お前はもう、泣いてはならぬ。

お前の涙はこの者を責めるだろう。そして家族にも悲しみをもたらす。

この光景は、死ぬまでお前の胸に秘めるのだ。

決して口に出してはならぬ」


「はい、でも父や母は、花売りの事を知っているのです。

私が探しに行くというのを、強く止められました。

もうあの子はこの家の子ではないとさえ父は言いました。

でも、僕の脳裏には、この子の活発ではつらつとしたその様子しか浮かばないのです。

それが、こんな……」


「私は言ったはず、この者は魔物に利用されたのだ。

魔物は人の生気を吸って力にする。

この少年はその道具にされてしまった。

不運な事だ、しかし、これでこの者の人生すべてがこれで終わったわけではない。

終わりではないのだ。生涯はこの後もずっと続く」


ハッと青年が顔を上げ、フードに隠れ、鼻先と口元しか見えないマリナの横顔を見る。


「僕は、私はどうすれば良いのでしょう」


「この者は一時心を荒らすだろう。

この身から魔を払う事は出来る。

だが、受けた心の傷は、その時の身体の感触は一生消えぬ。

恐怖心はよみがえる。


だがきっと、その傷が癒える日は来るはずだ。

微笑みは、お前にとって苦痛になるかもしれない。

だが、弟を思うなら、お前は笑みを浮かべるのだ。

噓のない笑みを浮かべるのだ」


そう、リリスのように。

たとえ魔物に操られても、彼はずっと僕に微笑みを絶やさなかった。

責めるのは簡単だ、同情するのは薄っぺらに思える。


そうさ、何がおかしいんだと、反発もしたとも。

でも、それが心からの微笑みだと気がついた時、その意味に、それに含まれた沢山の意味に、気がついた時にどれほど救われたか。

このお前の弟も、きっと気がつく時が来る。


「生きていて良かったと、心から思う事が大切なのだ。

それが……


生きるのだと、お前に生きて欲しいのだと、弟の力になるだろう。

疲れたら神殿に行けばよい。

神殿への道行きは心を磨き、そして自然の中で心を癒やし、心の中の澱を吐き出して再生への道のりとなるかも知れぬ。

急がず、ゆっくりと傷は癒やすのだ」


青年が、小さく、そして大きく首を振る。

見開いた目が、感じたことのない恐怖心を物語っていた。


「僕には、きっとできない……

きっと、弟を見ると思いだしてしまう。

あの男の息遣いを、あの軋む音を」


スッと、マリナが手を出す。

青年が、戸惑いながら手を出すと、その手をグッと掴んだ。


「お前の手は温かい。私の手はどうだ?

私の手を掴む事など、この先二度とないかもしれぬぞ?

お前は運がいい。

私の手は小さいか?ほら、こんなに手の大きさがちがう。

お前の手はゴツゴツして、きっと剣の腕は確かなものだろう。

さあ、目を閉じろ。良いと言うまで目を開けてはならぬ。

私の感触だけを身体で、心で感じるのだ。

そして、強く心に残すがいい」


目を閉じる青年の手を、両手で包んで、そして頬に当てる。

小さな唇に当て、吐息を吹きかける。


青年が、びくりと手を震わせる。

クスリと笑って、頬から手を離し、また両手で包んだ。


「お前のこの手はきっと弟を守るだろう。

汝、道道祝福あれ。日の光がある限り、お前の道行きには救いの手が現れる。

兄弟ともに手を取って助け合うがいい、お前達は1人ではない

鋭敏になれ、見落とすな、必ず道行きには誰かが手を差し伸べている」


はあっ……っと、息を詰めていた青年が息を吐いた。

心に、強くマリナの手の感触が、言葉が、流れ込むように残され、そしていやな記憶が押しのけられる。


ああ、この手の感触を、きれい事でしかない、都合のいいだけかもしれない、その言葉を、心の糧にしよう。

たった一瞬の記憶が、あれほど強烈に僕の心を傷つけたのだ。

弟は、立ち直れないかもしれない。

でも、立ち直れるかもしれない。

彼は、まだ生きているのだから。

マリナの言葉には重みがあります。

それは、自身も魔導師の塔で陵辱された恐ろしい経験があるからです。

それは、黄泉で数百年を過ごして、修行で立ち直れても記憶だけは消せないと言う苦く苦しい事実があるからです。

だからこそ、傷ついた弟を支えて欲しいと願います。

巫子を越えて、彼の心は強く願います。

鋭敏になれ、助け手を見逃すなと。

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