332、火の巫子たちの心の会話
リリスの声が頭に響き、そしてしばらくすると囁くように返答が聞こえてきた。
“ いいや、私の赤。これは私の主、フレアゴート様の心の声。
神は我らを案じて声をお控えになっていらっしゃる。
これは、我ら巫子としての……人と神の橋渡しである巫子の仕事だ。
赤も気がついているはず、アトラーナには長年火の神殿が無かったために、歪みが生じている。
悪霊は、その間隙を縫って力を得ている。
君は戦って何を感じた?
これほど大きくなった悪霊が、人を操り、死者さえ動かす悪霊が、この神の国、精霊の国アトラーナにいること自体が異常であると!
そう感じたはずだ! ”
『 ……それは…… 』
“ 地水火風、何が欠けてもバランスを欠いて精霊界は崩れる。
私の赤、私は黄泉の世界でそれを感じながら、川に映る現世を見ていた。
王家はあまりに無知だ。
アトラーナから、神の消える日は遠くない。
それはアトラーナという小国の消滅を意味する ”
リリスの見開いた、視線の定まらない瞳が細かに動く。
そしてゆっくり閉じると、大きく息を吐いた。
『 マリナ、わかった。
君は私よりも物事に捕らわれず、思うことあって動いているのだろう。
君にまかせる、私の青。
だが、いたずらに敵を増やすことは無い。
我らが必要なのは、味方を増やすことだ。
反感を買って、人心に受け入れられない神殿を作っても、それはただの飾りとなってしまう。
人の心はうつろいやすい。
今日味方であっても、明日味方である保証は無いのだ 』
“ わかってるよ、私の赤。
君の言いたいことは、考えていることは、手に取るように良くわかる。
だが、戦って勝ち取るしか無いのだ。
赤のやり方では、力があっても権力に負けてしまう。
権力にさえも打ち勝つ方法を探らねばならない。
ただ、私の赤。これだけは、今一度心に留め置いて欲しい。
たとえ神殿が無くとも、我らは神事の復活をせねばならない。
その為には生きねばならないのだ。
王家にはなんとしても、わかってもらわねばならない。我らの必要性を ”
リリスが、返答を考えるように静粛が響いた。
王家は火の巫子を殺してきた。巫子は存在するだけで人心を集める。
このままでは、どうしても自分たちをも殺そうとしてくるだろう。
火の神殿の再興などもってのほかだ、それは自分が一番わかっている。
自分は世継ぎでありながら、それでも親に捨てられたのだ。
でも、マリナの考える戦いとは……
戦うと……、自分が考えてきたものは、説得だった。
でも、青は積極的過ぎて、自分との違いが大きすぎる。話し合いが必要だ。
でも今は、疲れすぎて、考えがまとまらない。
『 私には、答えがわからない。
今の私は、こうして君と話すだけで精一杯なんだ。
…………私の青……私は……この身体を十分に回復させて、君に返さねばならない。
私は、 僕は、 ……少し、疲れた 』
“ わかってるよ、大丈夫。君は1人じゃ無い。
これからは一緒に考えよう。そして答えを出していこう。
君にずっと言いたかった。
僕を信じてくれて、待っていてくれて、ありがとう。
お休み、私の赤。そして、君の中に君の指輪の存在を感じる。おめでとう。
会える時を、楽しみに待ってる ”
『 私の……青、私も、……早く…… 』
すうっと、またリリスの寝息が始まった。
2人の会話が、まるで周りに聞かせるようにオープンで、ルシリアが愕然と顔を上げた。
「アトラーナの……消滅……ですって?」
手元からペンをポロリと落とし、乗馬服にインクのシミを作る。
それに気がつくヒマも無く、彼女は携帯のインク壺と紙を横に置き、指を噛んで視線を走らせ考え始めた。
見ると横に置いた紙の束には、彼らの会話が一語も残さず書き写してある。
皆が彼らの会話に耳を寄せる中、彼女は記録に残したのだ。
とっさに大切な会話だと判断した彼女は、その判断力がどこか兄に似ている。
だが、ホムラはそれをチラリと見て、前垂れを下げた。
レナントの姫らしいが、彼女も王族の1人だ。
ホムラは決して彼女に対しても油断していなかった。
火の巫子は、王家と戦うと言ったのだ。
青様が思い描いていらっしゃるのは、積極的な事だったのだろう。
それを赤様には、まだよく納得されていらっしゃらない様子であった。
それでも、青様のお言葉には力があった。
あれは恐らく、腕輪の洗礼を受けていらっしゃる自信から来るものだろう。
代々青様は元来普段はひっそりと奥の間にいらっしゃるが、有事には多大なお力で赤様と共に困難を切り開かれる。
火の巫子は生き神なのだ。他の巫子とは格が違う。
それを人間が手を下すなど考えられない愚挙だ。
なのに、今の現世の人間達は、恐れを知らない。
ルシリアが、またペンを取って寝台をデスク代わりに紙を取り出す。
彼女の真意はわからない。
止めるべきか、見ているべきなのか、ホムラの中で葛藤が激しく渦巻いた。
心の会話は裏表のないものです。
彼らの心の内には、自分たちの欲得が一切見えません。
それを聞いた姫が何を考えるか、彼女を知るものなら容易に思い浮かびます。
ですが、ホムラは彼女を知りません。
マリナを守って共にレナントを旅立ってきた姫を、レナントの人々を、信じ切ることが出来ない彼は、やはり根底で、王家に怨みをもっているからです。
それはとても根深く、彼らを傷つけています。
リリスが目覚めない不安が、ここまでリリスを追い込んでしまった自分たち守が、またあの災厄を繰り返してしまうところでは無かったのかと、自分の心をひどく責めています。




