32、もっとしっかり
ふと、夜の闇の中、目を覚ましたリリスが辺りに目をやる。
かすかに虫の音がひびき、窓の外には星が瞬いている。
月が明るく輝き、夜も深い頃だとわかった。
ここは……レナント?
無事にたどり着けたんだろうか……
ベッドには、ヨーコが留まって眠っているようだ。
身体は至る所が痛み、寝返りを打つのも一苦労する。
しかし、ひどいケガをしたと思っていた左肩は傷がないのか手当てをした様子もない。
ガーラントに切られたはずの腕も、何故かふさがっている。
ただ、触れるとやはり、ケガをしていたらしい所はピリピリとした痛みがそこから広がる。
腕が、ちぎれたかと思ったのに……
だれか魔導師の方が助けて下さったのだろうか……
そっとため息を吐き、目を閉じた。
きっと、沢山、沢山の人が死んでしまった。
自分の力はまったく歯が立たず、何の役にも立たなかった。
いったいどうやって生き延びたのか、きっと術に長けた魔導師が来てくれたのだろうと思う。
最初から、自分でなくその方がいてくれたら。
みんなそう思っていることだろう。
きっと役にも立たない、忌まわしい凶事を呼ぶ悪魔だと、またののしられる。
恐かった…………
恐くて恐くて、恐ろしくて
思い出せば、口惜しさと恐怖とが入り交じってまた涙があふれてくる。
自分は今までどんな修行を積んできたのか、なんて甘ったれていたんだろう。
命をかけることがどんなことか、その覚悟がまったく足りなかった。
お師様にどれだけ恥をかかせてしまったのか。
もう母上なんて、とても呼ぶ資格がないように思える。
涙を流し、しゃくり上げ息を飲む。
ヨーコに気付かれぬよう、リリスはまた眠りにつくまでひっそりと泣いていた。
翌朝、セフィーリアがメイドを連れてリリスの部屋を訪れると、リリスはすでに服を着替え身支度を調えていた。
服はボロボロだったからだろう、代わりの服が用意してあったので着てみたが、生地は柔らかい上等の布が使ってあり、身分の高い人が着る物で自分には過ぎる物だ。
夜着でウロウロするわけにも行かず、使用人の服を探してくるまで借りることにした。
「あ、お師様おはようございます。
この服、お借りして良かったのでしょうか。
こんな上等の物に袖を通し申し訳ありません。すぐにお返ししますので。」
「何をしているのじゃ、まだ休んでいた方が良いのであろうに。さ、ベッドに戻るのじゃ。」
心配するセフィーリアが、驚いてリリスに手を伸ばした。
メイドはセフィーリアの指示で湯の入った手桶とタオルを置き、部屋を出て行く。
しかしリリスはくるりと身を返し、微笑んで彼女に一礼した。
「そうだ、挨拶がまだでした。
お師様、お久しゅうございます。お元気そうで何よりでございます。」
「良いから、そこへ座るがよい。まだ顔色が悪いではないか。さあ、母が身体を拭いてあげよう。」
「いいえ、とんでもない。リリスはもう大丈夫です。
それよりまだ皆様にご挨拶も出来ておりません。未熟者がこのように良い部屋にのんびり横になっていることなど、とても許される物では……」
「何を言う、母が良いと言うておるのだ。挨拶など、いつでも出来るではないか。」
「いえ、とにかく召使い頭の方にご挨拶を済ませませんと。使用人の服をお借りして、少しでもこちらでのお仕事を習わなければ、風のセフィーリア様の召使いはとんだ役立たずよとお師様に恥をかかせてしまいます。
ああ、そのあと許しを得られるなら魔導師の方にもお会いしなければなりません。
そうだ、不甲斐ない私を助けていただいたお礼も言わなくては……」
「礼?誰に礼を言うのじゃ。それにお前はもう、召使いに挨拶などせずとも良い。」
「そうは行きません。お師様はよろしくても、私はやることが沢山あるのですよ。
お師様、朝食は済まれたのですか?朝のお掃除はどうなっているのでしょうか。さあ、急がないと……」
部屋を出ようとするリリスの前に、ガーラントが立ちはだかった。
「これは……ガーラント様、おはようございます。」
「どこへ行くのだ。」
ムスッと大きな手を、リリスの肩に当て押し戻す。
「あっ、何をなさいます。」
驚き、抗うリリスの姿にヨーコが飛んできて、ガーラントの肩に留まった。
「チュチュッ、リリス話しを聞いて、それからよ。」
話し?
不安な面持ちのリリスを部屋に押し込むガーラントのあとを、メイドの女が朝食を載せたトレイを持って入ってきた。
「どうぞ、お食事をお持ちいたしました。こちらにご用意させていただきます。
他に御用がございましたら、何なりとお呼び下さい。」
小さなテーブルに食事を並べ、給仕をしてくれる女にリリスが驚いて師の顔を見る。
「私は……このような事をしていただくことなど……」
「よい。腹がすいたであろう?昨日は眠って何も食べておらぬからな。
さあ、ゆっくりと腰をかけ食べよ。母が食べさせてやろうか?」
「お師様!そのような……」
メイドがニッコリと微笑み、一礼して部屋を出る。
困り果てた彼の背を優しく撫で、セフィーリアが椅子に座らせた。
「先ほどから何故母と呼んでくれぬのじゃ。寂しいのう。何を気にしておる。」
「だって……」自分には……
ガーラントが一つ息を吐き窓から外を見る。
さわやかな風が頰を撫で、食事を前にしてうつむくリリスに目を移した。
「リリス殿、食事が終わったのちに話しをしよう。しかしこれだけはお聞かせしておかねばなるまい。
リリス殿、皆はあなたに感謝している。
あなたが決死で戦ってくれたからこそ、我ら半数がここへたどり着けたのだ。
あなたが同行してくれていたのは、本当に幸運であった。
風の魔導師リリス殿。」
リリスが顔を上げ、ガーラントを見る。
それは慰めなのだろうか。
「でも、半数の方が亡くなったのですね……」
「いいや、半数が生き残ったのだ。」
「もっと術に長けた方が最初からいらっしゃったなら、もっと早く打ち負かすことが出来たでしょうに……
私はなんて未熟な……」
とうとう耐えきれず、リリスの目からポロポロと涙が流れる。
しかしガーラントが眉をひそめ、彼を覗き込んだ。
「まさか、リリス殿はご自分で倒したことを覚えておらぬのか?」
「え??私が?」
「そうだ、あなたがあの2人を倒したのだ。それは……」
「そこまでじゃ」
セフィーリアが横から割って入った。
「それ以上は私から話す。とにかく食事を取るのじゃ。
ほら涙を拭いて、いつものように可愛くニッコリ笑うてみよ。しばらく会えなかったゆえ、母は寂しかったぞ。」
タオルを湯で濡らし、ギュッと絞ってリリスの顔をゴシゴシと拭いてやる。
するとその手をリリスが握りしめてきた。
今日は泣くまいと決めていたのに、母の優しさにどんどん涙があふれてくる。
「うう、母上様・・・・ひっくひっく・・母上様・・・
母上様、リリスは・・・
リリスは、沢山勉強したのに、それでも、何もできなかったのが悔しかったのです。
とても、とても恐かったのです。ごめんなさい、ごめんなさい。」
人前では泣くまいと思っていたのに、15にもなって男らしくない。
みんな、みんな悲しいのに、やっぱり自分はなんて子供なんだろう。
もっとしっかりしなきゃ、もっともっとしっかり……
タオルを置いて、泣きながら食事を食べ始めた。腹はとっくにグーグー鳴っている。
セフィーリアは何故かとても嬉しそうに笑って、隣に腰掛けリリスの背をずっと撫でてくれる。
ガーラントはフッと笑い、部屋を出てドアの前に立ち、その場に目を閉じた。