314、巫子の言葉
リリサレーン様! どうか私と変わって下さい! 今、一度、お力をお貸し下さい! 」
リリスがそう叫ぶが、リリサレーンは心の中で、無言で首を振る。
『それはお主の指輪。わらわには、補佐しか出来ぬ。
さあ、敵を見るのだ。お前の言葉であれを焼き尽くすが良い』
リリサレーンが、リリスの手を取り黒い鹿を指さす。
でも僕は!! 私は!!
わからない!!わからないんです!!
悩むリリスに、指輪が輝きその手を空へと向ける。
『 お前はどうしたい? 』
「 あれを、払いたい! 」
『 ならばそう命じよ 』
そう願っても、指輪は答えてくれなかった、何が違う? 応えてくれる時とそうで無い時。
口先だけではいけない。そうホムラ様が仰ったっけ。
リリスが大きく息を吸う。
指輪の輝きが増し、それを恐れる黒い鹿の頭が大きく口を開けて一帯に瘴気を吐いた。
草木がみるみる白く枯れ、瘴気の向こうで鼻先に乗ったトカゲの姿が死んだ瞳をこちらに向ける。
黒い鹿は、腐った頭をだらりと下げた。
鹿は力を得たように、またウジャウジャと身体からムチのようなものを増やす。
だが、その身体は次第に崩れてきて、頭だけがにょっきり生えている。
ああ……… と、リリスが哀れに思って吐息を漏らす。
鼻先に乗ったトカゲも鹿も、とうにその生を終えている。
共に植え付けられた憎しみと、眠りを妨げられた怒りと、そして突然自らの身に起こった戸惑いとが絡み合って苦しんでいる。
これほど遠くまで術が届くほどに、いったい何故急にあの魔物が力を得たのか。
この黒い鹿からは、あの魔物と…… いや、あれは悪霊となったものと、同じ人間の声がする。
ただひたすらに、悪意と殺意の声が。
哀れな姿に、鎮魂を願って手を伸ばす。
「 もう…… もう、苦しまずとも良いのだ、汝らは、安らかに眠りたまえ 」
ふと、自然に心からの言葉が出た。
手にあった光がふわりと上空へと手を離れ、空へ、空へとお日様のように登って行く。
カーーーーーーーーーーーー ン…………… ン…………
甲高い、澄んだ音を立てて、その光が四散した。
その音は、まるで精霊王を拝み奉るときの清浄な音のような、長い響きをもたらしている。
その一瞬の輝きに、空気が震えて鹿の鼻先と同化したトカゲがズルリと地に落ちて崩れ、黒い鹿は身体中から生えたムチを一斉にドサンと落とし、ゆっくりと地に膝を付けると泥となって崩れ落ちる。
そして鹿の泥からは、地の精霊が祝福を送るように緑が生えて小さな花を咲かせた。
「 え??? 」
リリスが、あまりに呆気ない最後に呆然とする。
自分の手を見て、指輪を見る。
一体、一体何だ? この結末は!! 私は、ただ一言つぶやいただけだ。
それなのに、あれほど苦しめられたこれが……… 黒い鹿が……… 瞬で………
「一体…… 、一体…… 何が?? 何があった?! これは………… 」
混乱するリリスをよそに、ホムラは太い木の枝に立ち、その様子をじっと見てつぶやいた。
「神槌と…… 呼んでおりました…………
神ノ木筒を打つ音と、よく似ておりましたので」
懐かしむような、その言葉を、ホムラが遠く空を見上げてつぶやく。
「神ノ木筒?」
「ええ、魂を、安らかに送るときに打ち鳴らす神儀の道具です。
もう、燃えてしまいましたが…………
果たして、道具を作れるミスリルがこの世にいるかどうか、巫子様がまた神殿を再建されるのであれば、神儀の道具はそろえねばなりません」
リリスが、顔を覆って目を閉じる。
巫子って、一体何なんだ?
巫子って、僕は、なんと習ったっけ??
これほどまでの力、僕は、理解出来ない!
「すいません………… まだ…………
良く………… まだ、良く…… 状況が飲み込めません。
神殿は、どうなるのかもわかりませんし…………
自分の何気ない言葉一つで、ここまで影響があるとは……
少し、私は今………… 少し、混乱しています。
時間を下さいませ。
今はとにかく……
エリン様と姫様を……レナントの方々を見に行きましょう」
「は、承知しました」
森を進むと、一直線にあの黒い塊が、木を押し倒しながら進んだことが見て取れる。
しかも、黒い塊はその身体に触れただけで草木を枯らし、汚れを振りまいているのだ。
なんてことだろう、あの光でどこまで浄化出来たのか、確認する必要があるのでは無いか。
ホムラが、木々を避けながら進んだあとを追って行く。
あまりの状況に、リリスの顔が青ざめた。
「こんな、こんな状況になるなんて…… エリン様お一人で、私はなんてことをお願いしてしまったのでしょう!
ご無理をなさっていなければいいのですが。
ホムラ様! ホムラ様早く!! 」
ホムラが風のように木を避けて走り、そしてリリスが恐怖で涙声になっているのを感じた。
ああ…… 本当に、この方は、自分よりも人を守りたいのだ。
心から。
たとえ腕が炭になろうと、それはきっとこの方には些細なことに違いない。
ああ…… なんと言う…………
巫子として、なんと言う…………
危険な御方であろうか。
それは、まるで、あの最初のレナントの旅の途中襲われた白い魔導師のような、そんな直結した言葉の力。
それがリリスには一番先に浮かんだのでは無いでしょうか。
白い魔導師は魔導師では無く、神木を使う使いでしかありません。
だから、神木を失うとただのトカゲや虫に戻ったのです。
巫子の力は呪術的な物で、必ず祝詞を唱えて、まあわかりやすく言うと神をおだてて力を借ります。
ところが日の指輪は直結です。
リリサレーンがこれまでリリスの身体を借りて現れた時、祝詞を唱えないのはこのためです。
日の神は最高神、祝詞など必要も無く、人の世に自分の与えた指輪を持つ巫子が現れたなら、その言葉は絶対神の言葉そのものなのです。
だからこそ人心を集め、王家に疎まれ、神殿の再興を二度と許さない。
これが理由なのです。