小川の主(ぬし)の家
少々歩いて、案内の精霊が前方の大きな岩を指さす。
その向こうには岩を超えるほどの丈をした沢山の草の葉が見えて、まるで林か森のようだ。
シャラナが振り向き、リリスたちに声を上げた。
「こっちよ!あの川の主殿の家。
あの岩の向こうの大きな気泡の中ですって。大きな草が見えてるでしょう?
大きな家ね、格が高い精霊と思われるわ。
イネス殿、言葉遣いお気をつけくださいませね。」
「わかった、心する。
あんな小さな川なのに、格が高い精霊なんだな。」
「あら、精霊の格に川の大きさは関係ありませんの。
あの川は町の近くだけれども、皆大切に使っているでしょ?人にとって水は命。
恐らく歴史の古い川なのですわ。」
「なるほどね、山の精霊と同じか……
そう言えばイルファも来るって言ってたけど、どうかな?気配を少し感じるけど。」
シャラナが案内の精霊に問うと、小さくうなずいて何か話した。
「彼女、イルファ殿に言われて案内に来たのですって。
さすが我らの巫子殿、動きが速いわね。さ、参りましょ。」
岩に沿って歩くと現れた、草で編んだ入り口に案内の精霊が招く。
入り口は少し小さくて、くぐるように入ると草を編んでまた入り口がある。
横には光る苔のかたまりが生えていて……
いや、生えていると思ったら、ひとかたまりがコロコロ飛び出してシャラナの前に転がっていく。
「あら、主殿の所へお願いね。」
シャラナが言うと、苔はポンと一つ飛び跳ねて、またコロコロ転がって草で出来た壁の間取りをコロコロ進んでいった。
「なんだ、今ごろ来たの?遅かったわね。」
その部屋の入り口をくぐると、少女の力強い声が飛び込んだ。
そこは広いホールのような床は外と同じ砂の部屋だ。
気泡の中の気泡の部屋で、中央のベッドをまた一つの気泡が包み込んでいる。
その前に、頭からベールをかぶった白いドレスの女の子が腰に手を当て立っていた。
「早いな、ほんとに来たんだ。
イルファ、紹介するよ。リリスだ、まだ城には認められてないけど、正真正銘火の巫子。
その白装束が昔の火の神官。
リリ、こちらが水の巫子イルファ殿だ。川の主殿は?」
「汚れ(けがれ)が漏れるのを懸念して、他へ移って貰ってるの。
苔玉だけ残してね。あの子たちいないと暗いから。」
「あ、あの……水の巫子様、初めてお目にかかれて嬉しゅうございます。」
リリスが、前に出ていつものクセで思わずひざまずこうとした。
ゴウカが、グッとその手を引いて、彼に囁く。
「赤様、火の巫子が位は上なのです。ひざまずいてはなりません。」
「でも、今は位など何の意味もありません。」
ゴウカの手に手を重ね、首を振る。
その様子に、イルファがふうんと首を傾げた。
「そう、昔は火の巫子って最高位だったのよね。
神官さん、気持ちはわかるけど今の時代に位に意味は無いわ。
まあ、私に火の巫子がひざまずく必要も無いけどね。
リリ、私はイルファ、よろしくね。リリって呼んでもいい?」
「もちろんです、イルファ様。」
「様はいらないわ、イルファって呼んでね。よろしく。」
イルファが手を出すと、リリスがそうっと手を握って握手を交わす。
イルファは力強い女の子で、グッと握ってブンブン上下に振った。
「挨拶は終わったし、さて!問題の彼よ。
今、この気泡の結界で閉ざしているけど、ちょっと不味いことになっているのよ。
水蜘蛛の衣の魔物封じも、このままじゃ破られそうだわ。」
中をのぞき込むと、元少年は緩やかな白いレースのドレスような服をまとい、身体が黒い斑点に覆われて、時々ひどく苦しんだ様子で歯をむき出しにする。
美しい金髪は毛先を残して黒い髪へと色を変え、苦しむときにはざわざわとざわめき、まるで生き物のようにうごめいてその長さを伸ばして行く。
水蜘蛛の糸で織った薄い布団を握りしめるその手には、長い爪が生えていてまるで猛獣のように布団を引き裂いていた。
どのくらい年月が過ぎたのか、少年と聞いていたよりも少し成長しているようで、年は19か20くらいに見える。
まるで、身体が魔獣に変貌するのを押さえているようで、その精神力の強さに皆の表情も締まった。
「ああ!ああ!やっとおいでになられたのか!!
巫子殿、申し訳ございません。どうか、どうかご助力を。」
気泡の傍らから、顔が青緑の宝石のように輝くウロコに覆われ、手には水かきが生えたセリアスが胸に手を当て頭を下げた。
「あら、まあ!セリアス殿、そのお姿は?」
驚いたシャラナが問うと、セリアスがガックリと頭を垂れる。
「これは…シャラナ殿、お久しゅうございます。
ずっと、ずっとお待ちしておりました。
いや、お恥ずかしい。
この世界では、飲み食いできない事が最初の頃たいそうつらくて。
2年ほどした頃、すっかり私の方が参って餓死しそうになったのです。
すると川の主殿が、カレンにこれ以上心配させるでないと、ほんの少し飲むようにと緑色の水を。
確かにラクにはなりましたが、私は次第にこのような姿に。」
気落ちした様子でぽつりと漏らす。
だが、イルファが大丈夫と頭を垂れた彼の頭を撫でた。
「それは時戻しの翠水よ。身体がこの世界に馴染むの。貴重品よ?
精霊界はね、時の流れが人間界と少し違うの。
戻ったとき、おじいさんになっていたら嫌でしょう?
川の主は、よほどあなたが気に入ったのね。それは、あなたを思って飲ませたのよ。
人の世に戻ればちゃんと戻るわ。」
「そうですか。でも、完全には無理かもしれません。
実は…シッポまで生えてしまって…はぁ……」
そう言うと、背中から伸びた、ヒレの生えたシッポをくるんと身体に巻き付けた。
「まあ、ほんと立派なシッポ!」
シャラナがクスリと笑う。
セリアスが気恥ずかしそうに、頭を掻いて微笑んだ。
すでに青年になっていた元小姓のカレンという名前は、可憐にはかなく死んでしまうのを予定して付けたんですが、セリアスさんのおかげで以外と芯の強い青年になってきました。
歯を食いしばって頑張ってます。




