29、闇夜のヘビ
深夜暗闇の中、塔の裏手にある井戸の前でメイスがブツブツとつぶやく。
時々回ってくる兵は、先ほど見回りに来たのでしばらくは来ることもないだろう。
漆黒の闇がポッカリと口を開く井戸を覗き、メイスはほくそ笑みながら呪を唱えていた。
「暗闇に生きる王の血族よ。その血は闇に染まり、その吐息は絶望を語り、その指は孤独をつま弾く。
闇を生きる者に光は無し。
その孤独は永遠なり。」
レスラカーンの部屋を、冷たい風が吹き抜ける。
肌寒い中うっすらと汗ばみ、彼は眉間にしわ寄せうなされていた。
普段城より宰相邸や離宮にいる方が長い彼は、メイスとは面識も薄い。
眠る彼の夢に、遠く絶望の言葉がこだまする。
その姿が、メイスの覗く井戸の底にゆらゆらと映り、メイスが手を差し伸べる。
すると袖の中から、細いヘビが絡み付きながら現れた。
『たった1人の息子に何も求めぬ父を呪え、お前を無き者とする王を呪え、お前から何もかも取り上げる王子を呪え。
目が見えぬは大罪ではあらず、お前を知るは闇の住人のみ。
殺せ、恨め、呪え、何もかもを拒め、すべての存在を呪うがいい。
闇の住人レスラカーンよ。
我が下僕をその身に宿せ。
呪いを受け止め、大いなる闇の使いとなれ』
ヘビがスルリと井戸の中へと身を進める。
しかしその時、レスラカーンの寝室では窓からアイが忍び込み、うなされる彼に気が付いていた。
「うなされてるニャ」
ベッドに立ちかかり上を仰ぐと、何か言いようのない圧迫感が押し寄せる。
怪訝な顔で辺りを見回し、ギョッとして身体中の毛が逆立った。
レスラカーンの眠るベッドの上の闇の中から、ヌッと少年の手が現れ、良く見ると、それを伝って一匹の細く黒いヘビがレスラカーンへと向かっていく。
「フーッ!なんだにゃ!」
しかしアイが驚いて飛び退き遠巻きに見ている間も、ヘビは鎌首をもたげてレスラカーンの身体を狙っている。
人を呼ぶ間がない。
思わずアイは身を躍らせた。
「ウニャ!」
助走を付けベッドを足掛けに飛び上がり、ヘビを猫パンチで床に撃ち落とした。
『いたっ!』
爪が当たったのか、闇から出た手はサッと消える。
アイは床に落ちたヘビを押さえつけ、もがく相手の頭に噛み付こうとしてウッと引いた。
キャーやだやだ、こんなのに噛み付きたくない!
誰か来てーーーっ!!
しかしヘビは、何とか逃げようとアイに巻き付き締め上げる。
2匹がバタバタ暴れる物音に、隣室のライアが慌てて駆けつけた。
「ヘビが!」
「コイツ、彼を狙ってたニャ!」
「レスラカーン様を?!この!」
ライアが懐剣で頭を落としてヘビを殺す。
するとヘビは煙となって、風にかき消された。
「き、消えた?!何と面妖な!」
「ライア!レスラカーンは無事にゃ?!」
「ああ、レスラカーン様!」
アイに言われ、ライアが思わず彼を揺り動かす。
「うん……あ、あ、ライア、ひどい夢を……」
ようやく気が付き目を開けるレスラカーンに、ハッとライアがアイを見た。
「レスラカーン様、ネコが……喋りました。」
「し、しまったニャー!」
慌てて口を押さえても遅い、泡くってアイはそこを逃げ出し、キアンの部屋に逃げ込んだ。
「つっ、痛。リューズ様の使いが消えてしまった!くそ、あの猫!」
胸を左手で押さえ、メイスが右手のひっかき傷を苦々しい顔で見て唇をかむ。
「おのれ、リューズ様の呪を邪魔したな。どうしてくれよう。」
ギリリと井戸のフチを掴み、人の気配に慌てて水を汲む。
「誰だ?……ああ、メイスか。こんな夜更けに水くみとは危ないであろう、またいかがした?」
魔導師のバルバスが、塔の入り口から顔を出す。
相手が彼と知って、メイスはホッと胸をなで下ろした。
「あ、申し訳ありませんバルバス様。冷たい水が飲みたくて。
バルバス様は?」
「ああ、なんだか精霊達が騒がしくてね。私が代表で見に来たわけさ。」
「精霊ですか?私にはトンとわかりかねますが……」
フフッと笑い、バルバスが彼の頭をポンと撫でた。
「そりゃね、メイスも魔導を勉強して、精霊の道を見つけたら見えるようになるさ。」
「じゃあ……リリスにも見えるのでしょうか?」
何故か、ふとリリスの顔が浮かんだ。
「そりゃあ、彼は特別……なんだろうな。」
「特別?」
「ああ、……だから恐ろしいのさ。」
「よく、わかりません。ですが先日、私はお友達になったのです。
無理矢理部屋まで押しかけてこられて、勝手に飲み食いまでされて本当に困りました。」
「部屋まで?なんと言う……やはり……」
バルバスがその言葉に、サッと顔色を変えた。
視線を走らせ、何か考えている。そしてメイスの肩を掴み、真剣に告げた。
「それは友達と言わないよ。
メイス、あの子は色々うわさがあって、今何とか城の人間に取り入ろうと画策しているんだ。
巻き込まれないようにしなさい。」
「はい、承知いたしました。でも、もしあのうわさが本当ならリリスが王様になるのでしょうか?」
「馬鹿な!その言葉、二度と口にしてはいけない。
このまま王家を侮辱するようなら、あの子はいずれ何らかの処分を受けるだろう。
さあ、お前が心配することはない。もう遅い、お休み。」
うなずき、部屋に戻りながらメイスが舌打つ。
「なら、さっさと殺せばいいのに……」
汚い、けがれた不浄の赤い髪。なのに、主リューズは彼に一目置いている。
決して侮るなと。
あの弱々しい少年、なぶり殺してやりたい。
髪と同じように、身体さえも汚され血に染めて。
人に嫌われ、そしられ、踏みつけられて、絶望の中で死んでいけばいい。
「そしたら僕が、君の迷った魂を下僕として使ってあげる。」
ククククク……
メイスは手に流れる血を、ぺろりと舐め笑った。
メイスは魔導師ではありません、なので魔導は使えません。
なぜ彼が魔導を使えるか、それは彼が使っているのでは無いからです。
だから魔導師の塔にいながら他の魔導師にバレない、そう言う落とし穴であります。