騎士の本懐(ほんかい)
日が落ちて、手元が暗くなってきた。
ガイラムが弟子にランプに火を付けるよう指示している。
セリアスが彼の元に行き、あらためて頭を下げた。
「ガイラム殿、失礼した。よろしく頼む。」
「貴方の気持ちはわかっている。力を尽くそうぞ。」
魔導師ガイラムが、再度小川に向かう。
砂金をひとつまみ小川に落とす。
ブツブツと呪をつづり、もうひとつまみ、ふわりと舞い上げた。
杖を両の手に握り、小川に向かってクルリと回し、そっと杖の持ち手側を向ける。
「我は魔導師ガイラム、水に属するものなり。
汝、気高き小川の精、その流れは澄み渡り、清き水は地の汚れさえも清浄に変える。
どうか、どうか、汝が捕らえし少年を、どうぞこの場に戻したまえ。」
杖で、水面をちょんと触れた。
水面に波紋が広がり、小川の流れが緩やかになって行く。
ポッと小さな明かりが、川面から無数に沸き起こり、舞い上がった。
それは次第に一つになり、水面に小さな精霊が姿を現す。
それは人型に輝き、もこもこ盛り上がっては崩れて、また人型になった。
「がいらむヨ、オ前ハ、ナント、イウ、無礼、者カ。
真実ヲ、見ル事、ヲ、怠リ、我ヲ、盗人ノ、ヨウニ、告ゲル。
早々ニ、立チ去レ。話ス、コトハ、ナニモ、ナイ。」
「な、なんと!」
ガイラムが、愕然と顔を上げる。
セリアスは心を決めたようににじり寄り、地に伏して声を上げた。
「申し上げます!どうか、どうか、この無作法、お許しを!
私は騎士セリアス・エンシスアル。
あなた様が保護されている少年を探している者です!
少年が傷ついていることは知っております。
あなた様のおかげで生きている、そのことに感謝申し上げます!
どうか!ここに出すこと叶わぬのならば、少年のそばに行くことをお許し下さい。」
「なっ!何を言う!セリアス!気でも狂ったか!」
ミリアムが、慌てて彼のシャツを引っ張る。
だが、彼は微動だにせず頭を下げ続けた。
「精霊の世界に、人間が行くことは禁忌かもしれません。
ですが、暴漢に襲われ、おびえている姿に心が痛みます。
どれほど恐ろしい目にあったのでしょう。
あの活発で、澄んだ瞳で微笑むあの子が、あのように小さく、おびえるほどに。
私は!私は!あの子を救えなかったことが………このように、偉そうなあつらえを持つ騎士でありながら、救えなかったことが、申し訳ないのです。
私は、そばにいて、大丈夫だと、心を落ち着けてやりたいのです。
どうか、どうか、どうか、お許し願います!」
精霊が、彼をじっと見つめる。
「汝、心ノ、清キ、者ヨ……シバシ、マテ」
光の塊がぶるっと震えて、バラバラになると水面に消えた。
しんと辺りが静まり、川面が穏やかに輝く。
しばらくすると水面がさざめき、大きく波打って、渦の中央が巻き上げるように立ち上がっていく。
ザザザザザザッ!
「おお!おお!これは!まさか!」
ガイラムが慌てて下がり、それを見守る。
水は人よりも高く立ち上がり、それが次第に人のような姿へと変わり、細身の水のドレスをまとったような髪の長い女性の形を取り、それが夜の闇の中で美しく青く輝いた。
「水の精霊女王!シールーン!」
ガイラムでさえ、その本来の姿を直に見るのは初めてかもしれない。
それほど人嫌いで有名なその彼女が、この町外れの小さな小川に姿を現すなど、考えもしなかった。
ガイラムは慌てて頭を下げると、その姿をまじまじと見ることも出来ず、圧倒される存在感に凍り付いた。
シールーンが、水音を立てながらセリアスを指さす。
指は怒りに震え、指先から水がこぼれて指が短くなると、また細く長い指が形取られる。
『 汝!何故!巫子を連れてこなかった! 』
シールーンが、水を震わせ揺らぐ声で腹立たしそうに問う。
その一言で、あの占い婆が彼女であったのかと、愕然として悔いた。
「申し訳、ありません。私には……
人にはしがらみが多く、私にはそれを払う力もございませんでした。
私は、弱く、愚かな男でございます!
ですが!この命かけましても、その少年の一生を、夢を!ここで終わらせるには忍びない、諦めの悪い男でございます!
どうか、美しき精霊女王よ!この愚かな人間に、大いなるお力添えを、もう一度!どうかもう一度だけ!賜りたくお願い申し上げます!」
シールーンを真っ直ぐに見つめ、燃えるような瞳で訴えて、そして頭を下げた。
『 汝、我が身の甘さを知るが良い!
精霊界に、人が行くのは命を削るぞ!その覚悟があるというのか?! 』
「覚悟の上!」
『 ホ、ホ、ホ、精霊界は人の世とは世が違う。
水がありながらそれを口にすること叶わず、飢えと渇きに苦しみ抜いて、死して石に変わると言うても、汝はそう言いきれるのか? 』
「大切な者を救うためならこの命、かけてこそ騎士の本懐!石に変わろうと構わぬ!」
『 よくぞ申した!二言は無いな! 』
「 騎士に二言はない! 」
『 許す!来るが良い!人の子よ! 』
シールーンが大きく手を広げて彼を招く。
「 はっ! 」
セリアスが毅然と立ち上がり、シールーンへと歩き出す。
ミリアムが、ガタガタと唇を震わせながら、彼の名を呼んだ。
「セ、セリアス…………」
「ミリアムよ、今度は、今度こそは、巫子を頼む。
騎士長の館に赤い髪の炎の巫子がいる。
彼を、今度こそ、彼を頼む。」
セリアスが、振り向きもせずそう言って、シールーンの懐に抱かれ、彼女の水の中に入って行く。
『 汝、勇敢な男よ、お主ならば力になろう。 』
そう言い残し、シールーンの姿は一息に水になって消えた。
無数に飛んでいた光もいつの間にか消え、後には静かに流れる小川が普段の流れを見せている。
「ば、馬鹿な!セ、セリアス!!」
ミリアムがガチャンと持っていた剣を落とし、それにつまずきながら小川に駆け寄った。
後には、呆然とその場から動けない男二人が残され、サラサラと静かな水の流れる音が響いていた。
血の出る思いで後悔に歯を食いしばるセリアスの気持ちを本当に理解していたなら、
彼の言うとおり、家のことより巫子を呼ぶことを優先したなら、
どうとでも出来たのです。
俺に任せろと言えなかった。
従兄弟を思っているつもりで、実は思っていなかった。
さあ、後悔、今度はミリアムの番です。




