26、盲目のレスラカーン
王都ルランの城では、朝の会議のあと皆と一時を剣の練習に費やし、キアンが庭に出て1人考え込んでいた。
剣の練習は、彼らにとっては自衛と体力作りだ。
特に戦場に出るわけでもない高位の貴族王族には、スポーツのような物だろう。
しかしキアンは戦いが近づくにつれ、何か嫌な予感に駆られて気楽な貴族たちとは別に、ひどく真面目に取り組んでいる。
彼の心の中は時が過ぎる事に次第に暗雲立ちこめ、不安が大きくなっていった。
このまま父王が病気が悪化して床についたら、もし崩御なさることでもあったら。
すべて自分の不安でしかない。
相談できるリリスはいない。
この大事の時、何かあっても自分で判断しなければならない。
そう思えば気が狂いそうになる。
「ホホ……まあ……」
女達の声に顔を上げると、近くに控えていたゼブラが声の方向を探す。
「あちらから聞こえます、王子。」
「何だろうな、行ってみよう。」
ゼブラと共に、声を探し庭をまわって噴水のある場所へ出る。
数人の女達が、下を見て楽しそうに騒いでいた。
「いかがした?ずいぶん楽しそうだな。」
「これは王子、お耳触り申し訳ございません。」
一同が頭を下げ、足下を気にした。
そのドレスの間から、なんだか忙しくグレーのネコが顔を出す。
「ニャーーーン!」
キアンの顔を見るなり、バッと飛び出し彼に飛びついた。
「まあ、王子に失礼を、ご無礼お許し下さい。
城の外にウロウロしておりましたのを、兵が捕らえて参りました。
お腹がすいていたらしく、それはもう凄い勢いでミルクを。」
「へえ、命拾いしたな、お前。」
キアンがネコを抱き上げると、ネコが小さな声でささやいた。
「キニャン、にゃっと会えた」
「おま……ごほっ!ごほっごほごほ!」
目を丸くしたキアンが、思わず咳でごまかした。
「まあ、王子お加減が?」
「い、いや、なんでもない。このネコ気に入った。私が貰っても良いか?」
「え?ええ、それは構いませんが……」
「じゃあ連れて行くぞ、ゼブラ来い!」
「はっ」
キアンがネコを抱き上げて、いそいそと部屋に急ぐ。
猫はようやく目当ての人間に出会え、ウルウルとした目で彼に抱きついた。
「こちらでございますよ、レスラカーン様。」
「早う、急いでおくれ、ライア。」
丁度あとに残った侍女の元へ、痩身の白い肌に長い金髪を後ろに編んだ、優しい顔立ちの青年が杖を片手に召使いのライアに手を引かれ現れた。
彼は現王の弟、宰相サラカーンの一人息子レスラカーンだ。
生まれつき目が見えないために執政に加わることも出来ず、いつもは宰相家の邸宅に静かに暮らしている。
だが今の状況から、父親が心配して警備のしっかりした城に連れてきていたのだ。
「済まぬ、ここだと聞いて急いできたのだ。ネコはまだいるのだろうか?」
「これはレスラカーン様。」
いつもは穏やかな青年の興奮した姿に、戸惑いながら一同が頭を下げた。
「ネコがいると聞いたのだ。さわらせて貰えぬか?」
レスラカーンは目が見えないので、動物の柔らかな感触がとても好きだった。
以前飼っていた猫が死んでしまったので、恋しさもあって急いで駆けつけたのだ。
「ああ、申し訳ありません。たった今王子が連れて行かれまして……」
申し訳なさそうに頭を下げる侍女に、レスラカーンがガッカリ肩を落とす。
「そうか……それは残念だった。出来れば貰っていこうと思ったのだが、遅かったな。」
「私がのちほど王子にお借りして参りましょう。なんでしたら城内のネコを探して参ります、どうぞお部屋でお待ちを……」
「いや、もういい。忙しい王子にはお気遣いさせる事の無いようにと言われている。
皆も忙しいであろう、ありがとう。」
沈んだ声で、それでもあっさりと諦める姿は、それに慣れているようで気の毒にも思えてくる。
いるかいないかわからないような彼は、孤独の中で耐えているのを皆が知っているのだ。
「申し訳ありません。でもネコを見ましたら、きっとお連れいたしますね。」
「ありがとう、気を使わせて済まぬ。」
「残念でございましたね。」
レスラカーンの手を引き、部屋へ戻りながらライアが残念そうに言った。
彼がネコをとても好きだったのを、ライアは十分くらい知っている。
親がずっと宰相家に仕えていた為に、ライアは幼少の頃から、彼の目となりずっと仕えてきたのだ。
「そうだな、ライアはネコは好きか?」
「はい、可愛くて好きでございます。」
「そうか、可愛いのか……、どんな姿で、どんな色をしているのだろうな……
きっと…………いや、なんでもない…………」
手を引かれて回廊を行くレスラカーンが、頰を打つ冷たい風に立ち止まった。
急に手を震わせ、杖を離して顔を覆う。
硬い音を立て、杖がカラカラと転がって行った。
「レスラカーン様、いかがなさいました?!」
ライアが驚いて杖を拾い、彼の肩を抱きかかえ人目を避けるところへ誘導する。
彼の肩は震え、ひどく興奮して指の間から涙がこぼれていた。
「ライア、ライア、私は……」
「レスラカーン様、ライアが付いております。どうぞご安心下さい。」
「ライア、私はこの目が見えるというなら、どんな事でもするのに!たとえ魔物とだって……」
涙が流れて、目も開くのに何故この目は見えない!
少し、ほんの少しでも見ることが出来れば!
同じ王家に生まれた男子だというのに、何もかもキアナルーサに奪われているようで心が軋む。
城に来て、自分の無力が痛いほど見せつけられる。
「何をおっしゃいます。どうかお心をお強く持たれて……
やはり……やはり、離宮の方へ参りましょう。
いつもこの季節は静かなシリウスの離宮へ行きますのに、慣れない城住まいできっとお心がお疲れになっているのです。」
大事の前に、身を守る術のない盲目の彼が誘拐でもされては大変と、父のサラカーンが離宮行きを許さなかった。
それは父としての愛情だとわかっている。
生まれるときに難産で母を亡くしてから、未熟児で死にかけた息子の目が見えなくても、生きていてくれればそれでよいと父は何も言わず大事にしてくれた。
でも、大きくなるごとにかえってそれが辛くなる。
お前の目が見えたならと、無言のうちに父のプレッシャーを感じて、ただひたすらに人の迷惑にならないよう静かに息を殺して生きてきた。
「レスラカーン様」
手を引くライアが何も出来ず彼の手をギュッと握る。
これほど取り乱すレスラカーンを見るのは久しぶりの事だ。ライア自身も、彼の気持ちを思えば辛い。
まわりが戦になるかもしれないと士気を上げる中、何も出来ずただ亡霊のように城内を彷徨う事しかできないのは、どんなに口惜しいだろう。
「レスラカーン様には、ライアが付いております。私が必ずお守りします。どうか、どうか、お心を安らかに。」
ライアの力強い言葉に、落ち着いたのかようやく気を取り直し顔を上げた。
「ありがとう、ライア。17にもなって、恥ずかしい事をしてしまった。迷惑をかけてすまぬ。」
「いいえ、レスラカーン様はもっと我が侭を仰って良いのです。
そうだ、他の者に子猫が生まれたところがないか聞いて参りましょう。
きっとお気に召す子猫が見つかりますよ。」
レスラカーンがニッコリ微笑み、涙を拭いてうなずく。
そして杖をしっかり握り立ち上がると、優しく吹く風に目を閉じ歩き出した。
「クス……王の弟の息子か……
たかがネコになんてこっけいな、道化に相応しい者よ……」
2人の背後の物陰には、メイスが隠れてイタズラっぽくほくそ笑んでいた。
ライアは、宰相家で下働きをする両親の元に生まれた男子です。小さい頃から親の手伝いをするうちに、レスラカーンの力になりたいと思うようになりました。身分違いから家を出てまで彼に仕える決意をしますが、身分にうるさい宰相がそれを受け入れたのも、レスラカーンの初めてのおねだりだったからです。怖いオヤジほど子に甘い物です。
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