234、死人(しびと)のジレ
キアナルーサの自室の中、手の平ほどもある大きな赤いルビーのような石を必死に磨く老人が苦しそうに息をつく。
その石は若い貴族達の血判を吸い込み、誓いの要となっているジレの石だ。
だがルビーは輝きを瞬かせ、血の色が次第に黒く闇の色になって行く。
それに驚いた顔で、ジレはブルブルと手を震わせた。
「お、お、お、ランドレールよ……」
「しっ、我が名はキアナルーサだ、違えるな。」
「くっ………その!ような事!」
ジレが王子に迫る。
酷く焦り、王子が思わずひるむほどに鬼気迫る姿。
なのにその足取りはよろめいて杖にすがりつき、おぼつかない。
「もうこの身体はダメだ。
もっと若く、力のある身体を用意せよ。」
「もう少し待て、私が玉座に座ればどうとでもなる。
あの魔導師の塔に若い魔導師を集めている。
その中から好きな身体を選べば良い。」
「もう!待てぬ!見よ!!」
ジレがローブを解き、どす黒く腐れ始めた胸を見せ王子に迫る。
王子は驚き、口に袖を当てて思わず顔をそらした。
「腐れ落ちれば悪い香を放つ。さすればお前にも都合が悪かろう?
くくく……お前から手を引いても良いのだぞ?そうか………
今度はお主の身体に取り憑いて、この国を滅ぼしてくれようか!」
「バカな事を!!不敬を申すな!我はアトラーナの王子ぞ。
我は!我は!今度こそ玉座に座し、身の程知らずの精霊どもを排斥して決起し、この国をもっと……もっと大きくするのだ!
お前はそれに手を貸すというたではないか!
お主は我が剣、元より剣に収まっておれば良い物を!」
「それはお前の都合であろう、自由に動けぬ身の辛さをお前などにわかるか。
こんな……封印された剣などに……
ならば生き血を用意せよ、石が、大切な石が血を欲している。」
「生き血など、欲しければ疲れた兵でも惑わせ、手に傷を付けてすするがいい!
くそ、くそ!ここまで上手く行ったものが、何か狂い始めている……いや!違う。
思い出してもみよ、我に好機が突然訪れたのは神の采配であった!
ここに神殿の火があったのは、それから力を得るばかりか操れたのは、今こそ我に玉座を取れという啓示だったのだ!
だのに、何故事が上手く進まぬ!
ガラリアめ!おのれ、あの下賤の花売りが!
あと一歩で隣国と諍いが起こせたものを、あれからすべてが台無しになった。
戦を起こせば、このような生ぬるい国などすぐに倒せたのだ。
アトラーナを併合させたのち、トラン王族を乗っ取り、古の国の姿を戻す!
この上もない!!だが、その方法がもろくも崩れた。
トランはもともと我が国の一部!アトラーナはこのような小国では無かった!
なのに、何故誰もそれをおかしいと思わない!
父王も、臣下どもも腰抜けだ!リリサレーンは顔を見れば説教しか言わぬ!
今のアトラーナ王家は腐りきっている。
みんな、みんな、死ぬがいい!」
はあ、はあ、はあ、
息をついて気を取り直し、時代が違うことに気がつく。
すでに、皆故人なのだ。
自分が生きた時代はとうに過ぎ去った。
「そうだ………そうか……みんな死んだか。そうか。クックックック」
ガラリアがいて、精霊王達もいることで勘違いした。
腹を押さえ、狂気の顔でひとしきり笑う。
そして、ようやく落ち着いた。
「もう良い、この小さな国から始めれば良い。
精霊を排斥し、軍事国家として侵略を始めれば、それで!」
「そうだ、共に現王を退け玉座を勝ち取ろう。
だが、その為にも身体だ。我もお前の為に動かねばならぬ。」
自由が欲しい……
だが、身体を用意するのはもっとも困難な事だ。
顔見知りが一人でもいると騒ぎになる。
この老人の身体も偶然城の近くで行き倒れた旅人の身体を乗っ取った。
死にかけはまだ不完全な力には都合良く、容易に乗っ取ることが出来た物の、元より行き倒れ。
これまで持ったのが上々だと言うべきだろう。
王子がチッと舌を打つ。
ガラリアが剣を封印しなければ、もっと力を使えるのに口惜しい。
だが、ジレは大切なコマであり一心同体とも言える。
「ええい、剣の封印が解けさえすれば……」
「巫子の血があればこんな封印など解けようぞ。
地の神殿から巫子が来ておろう、夜襲をかければ良い。
コマはもう揃っているではないか。」
「ならぬ、巫子を傷つけるなど、アトラーナの王子とて出来ることでは無い。
お前も知っているはずだ、ヴァシュラムを舐めてはならぬ。
あれは何を考えているのかさっぱりだ、どんな行動に出るのか思いつかぬ。
地の神殿と敵対するのは良策ではない、玉座を奪ってからだ。
あの、木偶の下僕の身体では無理なのか?」
王子がツイッと隣室のフェイクのことを顎で指す。
だが、ジレは何故か怪訝な顔で首を振り声を潜めた。
「あれは、何者か見えない。油断できぬ。」
「なにっ?木偶では無いのか?どういう事か?」
「木偶かもしれぬし、そうではないかもしれぬと言う事よ。
木偶の胸には確かにあれの水晶がある、だが、臭いがしない。
魔術で作られた木偶であるのに、術の臭いがせぬ。気味の悪い木偶よ。」
「まさか……他に生き延びた亡霊か?」
王子の言葉に、目を見開きジレがにたりと笑う。
自らも悪霊のくせにと不気味に乾いた声で笑っていると、王子がふと顔を上げた。
「なんだ?!地下に誰か入ってきた。」
ジレは「血の結束」で、貴族たちの血判をまとめた魔導師として出てきました。
その血判は呪いとして赤い石に吸い込まれ、キアナルーサを乗っ取ったランドレールの怨霊の手の内にあります。
そのジレ自身は、一体何なのか?
それは、壊されたほこらに封じられていた、剣の悪霊です。
悪霊も、意思があるだけに自由が欲しい。
王子はすでにランドレールのすみか。
他を当たると普通の人間しかありません。
ここで騒ぎを起こすのは賢明では無いだけに、行き倒れを拾ったわけです。
この怨霊と悪霊のタッグは、アトラーナをかき回そうと必死です。




