212、愛し方の答え
一度水に戻って、また人の形を取ったシールーンがブルリと波紋を広げる。
それは、まるでため息のようだった。
「まこと、ガラリアとなるとお前らしゅうない、もっとよく考えよ。
我ら精霊、皆ガラリアを好いておる、あれはすでに、人間よりわれら精霊に近い者。
皆、お前たちの行く末を見守っておるのだ。
よくよく考え行動せよ、大地の精霊王よ。
ガラリアを思うならガラリアの望みを叶えよ、そしてもっと、愛すればこそ相手を尊重して大切にせよ。
共に支え合い、語り合ってこその良き伴侶。
さればお前の思いにもガラリアはきっと応えようぞ。
ガラリアにとって最も安らげるはずの場所で、手を合わせ慈悲を請わせるようなことをさせるな。
悲しさのあまり、お前の聖域を潰したくなる。
セフィーリアも、お前たちのこと案じておるぞ。」
シールーンの話が終わると、パシャンと水が形を失い、また元のようにちょろちょろ水の流れる音が静かに響いた。
少年の姿のヴァシュラムが大きくため息をつき、またプイと歩き出す。
手の中の林檎をじっと見て、視線を落とした。
「大切にだと?ふん。
わしを誰だと思うておる…ちゃんと死ぬことの無いよう大切に見守っておるではないか。
わかっている、今回やり過ぎた。
まさか、あれほどガラリアの身体が弱っていたとはしらなんだ。
しばしの足止めくらいにしか思ってなかったのだ………」
でも、死ぬ前にちゃんと助けたじゃないか。
だいたい死んでも、再生すればすぐに………
“死ななければ………それでいいのか?”
何か心に引っかかっていたことが声を上げた。
「ふふ……馬鹿な。いいや大丈夫だ、それだけではない。
わしはあれを大切に、だからずっと一番巫子に据えてきたではないか。
常に人間どもに、かしずかれるように。
人間は、地位を上げれば、金をやれば若さを与えれば一番喜ぶ。
喜ぶはずだ。」
でも、あれは………それでも、昔のように笑わぬのだ。
………昔のように、歌わぬのだ。
あの、可憐な妖精のように、軽やかに明るく振る舞わぬのだ。
ああ………わしに、このわしに、これ以上どうせよという。
ヴァシュラムの頭に、ガラリアの姿が浮かぶ。
幸せそうな子供の頃の姿が鮮烈に。
盗賊から救い出してやったあれは、すっかりやつれて汚く(きたなく)汚れ(よごれ)、死んだような瞳で輝きもなく、色あせていて酷く気落ちしたのを覚えている。
が、わしは、それでもやっと手に入れることが出来たあれを、とりあえずは愛でてやることにした。
致し方ない、わしにも責がある。
巫子に据えて身分を与え、美しい衣服を与え、食べ物や金に困らせたことも無い。
精霊体に少しずつなじませ、死にかけたら再生し、若返らせ、たとえ死んでも黄泉から連れ戻せるようフレアと契約も交わした。
最悪の場合、身体は腕一本でも残っていれば再生できる。
……そうだ、あれは何だろう……
力の暴走で、あれの半身が消えたときは、少しスッとした。
あれの身体が、きれいになったような気がした。
あれはひどく恐れていたが、わしは喜んで美しく身体を再生させた。
……そうだ、………そうだ!
見よ、ガラリアは安泰ではないか。
あれもそれに十分満足していたはずだ。
これ以上、どう大切にと………
心でつぶやいて、ハッと目を見開く。
『お主の腹に囲うことと、盗賊の奴隷になっていたことの、どこに違いがあるという!』
ち……違う、そうじゃない、それは、
そうだ………間違ってなどいない。
いや、何か違うと?喜びを分かち合うとは何だ?
支え合う?ガラリアが、ただの人間が、わしの何を支えるというのだ?
いや、違う。
与えるだけでは駄目だと、そういうのか?
わしは、何か愛し方を間違っているのか?
この精霊王が?!
間違ってなどいない。
いいや、間違っていると?
一体………何を、だ?
立ち止まり、前髪を掴む。
目を見開き、自問自答を繰り返す。
少しずつ、何か間違っているような気が、ふつりと湧き上がった。
おかしい、どこかおかしい、何処で間違った?
愛していると、共にありたいと言いながら………
笑う顔が見たいと言いながら、悲しませても、苦しませても、死ななければ良いと思っていた。
生き延びたい間は、わしに頼るしかないあれを、わしはどう扱ってきた?
まさか…………
わしは、ただ一方的に支配していただけなのか?
愛し合ってなどいない………わしは怖れられているだけで愛されていないというのか?
そう言えば、あれの身体をこの手で抱きしめたのは、いつの事だったろう。
なぜ、あれほど愛したあれを、汚れたと、色あせたと、そう思うのか………
あれを、ガラリアを弄んでいたのは自分ではないのか………?
「助けて」と、自分では無い誰かへ向けてあれに言わせてしまった自分は……
一瞬でも、黄泉に落とそうとしたのは………
ああ、ああ………私は……これほど……苦しいほどに、ガラリアを愛しながら………
一体、何をしているのだ?
ぽとりとかじりかけの林檎を落とし、その場に立ちすくむ。
目を見開き、震える両手で頭をおおい、よろめきながら木に倒れかかった。
ズルズルと、木にもたれてその場に座り込む。
森が、しんと静まりかえった。
「 ………おおおおぉぉぉぉぉ………… 」
慟哭と、同時にその両手から、蕩々と水がこぼれ始める。
その姿が徐々に木に溶け込み、透き通って行く。
やがて彼の姿は木の中へと消え、あとには食料を入れた麻袋が地に倒れ、中から林檎が1個、コロコロ転がり出てきた。
麻袋から出て、林檎が1個転がって行く。
それを小さな手が拾い、その手に空から降ってきた水滴がぽつりと落ちた。
手の主は、ポツポツ雨が降り出した空を見上げ、袋を拾って重そうに背負う。
雨は、何故かその小さな身体を濡らすこと無く、表面でシュンシュンと蒸発するように消える。
拾った林檎をキュッと洋服でふいて、怪訝な表情をすると、頬まで裂けて大きく口を開けて放り込んだ。
そして一口で芯まで、ばりばりかじって食べてしまった。
「ふん、やはり人間の食い物は口に合わん」
不服そうにつぶやき、つややかな黒髪をかき上げて顔を上げる。
服装も、そしてその顔も声も、先ほどの少年そのものだ。
「うーむ、久しぶりの人間の形に身体がどうも馴染まぬ。」
ブルブルッと動物のように身体を震わせると、頭からにゅっと一本角が生えた。
「おっと、いかん、気をつけねば。」
慌ててそれを手で押し込む。
そして先ほど同じ姿の少年が消えた木をいちべつして、プイと顔をそらした。
「やれ、2本足は面倒くさいのう……」
雨の中、雨具も使わず濡れない不思議な少年は、ブツブツ文句をつぶやきながら、主の魔導師が待つ小屋へとゆっくり歩き出した。




