210、愛し方、愛され方
黒髪の少年が、クッとほくそ笑み林檎をかじる。
しゃりしゃりとこ気味良い音を立て、噛み締めると芳香が鼻をつき、飲み込んでふうと息を吐いた。
「今年は良い出来の林檎だ。あれにも食わせてやりたいのう。
いや、必要無くなったか……
ククク……煩わしい気遣いなど、もういらぬ。それもよい。
そうだ、来年は不作にしてやろう、そうしたら再来年はもっと美味しく感じるに違いない。
あれが巫子になってから、煩わせぬよう不作の年を設けなかったからな。
そう言えば、神殿にも貢ぎ物が最近減ったな。
根を枯らして、今度の小麦は収穫を減らしてやろうか。
我が巫子に恥をかかせるとは人間どもめ、身の程を思い出すがいい。
面白い、ククク、これから面白いぞ。」
まだ10かそこらの少年が、傲慢で年寄り臭い言葉をつぶやく。
少年は主が持っていたと言う金細工を町で売り、背にはその金で買い込んだ食料を入れた袋を背負っている。
町をはずれて森に入り、具合の悪い主の待つ打ち棄てられた小屋を目指していた。
少年は主である魔導師が水晶を核に作り出した下僕……と言う事になっている。
確かに、その胸に魔導師の水晶は存在する。
だが雰囲気は、その魔導師よりも気高く自信に満ちて、時に老齢な姑息さも見せ、可憐な姿に相応しくない不気味さをかもしていた。
「やれ、ガラリアもしつこい事よ、口を開けばまずはあの子のことだ。
あの子に死んだ妹の名など許すのでは無かった。
わしの名を最後まで呼ばぬ時は、どうしてやろうかと思ったぞ。
だが、お前の絶望する様はいつ見ても美しい、何度見ても目を奪われる。
身体の限界が来るたびに追い詰めるのは、この上ない至上の楽しみよ。
しかし死に際の言葉、まず最初にわしの名を口にしなかった罪は重い。
そうさな、百年と思ったが……罰として五百年に一度にしよう。うむ、それで十分だ。」
そう決めて、満足そうにうなずく。
もう一口林檎をかじり、嬉しそうに腹をさすった。
「ガラリアよ、喜ぶがいい。
お前はこれからそこで、何も考えずわしだけのために、ただわしのために生きるのだ。
慈悲をと言うなら、五百年に一度だけほんの少し外の世界を見せてやろう。
何も考えず、何もしなくていい、そこで安心して永遠を生きよ。
ふう、それにしても地龍め、ガラリアだから良いものを、わしの許しもなく神域へ入るとは。
人間など平気で殺める者が、大層な変わりようよ。
まあ良い、当初の目的が早まっただけというもの。
さて、ガラリアのあの身体は神域の飾りにしようか。再生するとして、何才くらいの姿にしよう。
そうだ、一度鳥にして歌を楽しんでもいいな。
どんな声で鳴く物か、これで楽しみが増えたぞ。ククッ
と、なると……もう必要なくなったな……」
少年が、歩みをピタリと止めた。
かじりかけの林檎を上に放り、軽快にそれをキャッチする。
もう一口かじり、食べながら考える。
事が都合良く運び、機嫌いい様子でたまらずクククッと笑った。
ふと、音に目をやると、道脇の岩のあいだから、チョロチョロ水が流れている。
旅人が喉を潤すようにと心使いか、小さなコップが置いてあった。
少年はそれを見て足を止め、何故か眉をひそめる。
すると石清水が突然ドッとあふれ出て、水が巻き上がり、小さな人の姿を形取った。
やはりと小さくため息が漏れる。
「なんの用だ、シールーン。」
少年が、特に驚きもせず水に話しかける。
「ヴァシュラム、お前のはかりごと、私はずっと見ているぞ。」
「だからどうだという。」
「聖なる火をどうするつもりだ。何故フレアに渡さぬ。」
少年は、苦い顔でプイと先に進もうとする。
水の精霊王シールーンは腕をひとなぎし、水を飛ばすと少年の頬を傷つけた。
少年が、それをひと撫ですると傷は消える。
そして立ち止まり、ため息をついて振り返った。
「なにをする、無礼者。」
「お主が話を聞こうとしないからだ、無礼者め。
忘れたか、わらわとそなたは常に共にある。
水が濁れば地を汚し、地が汚れれば水が濁る。
好き勝手に行動をする前に、お主の立ち位置を考えよ。」
「ふん、わしもその位わきまえておるわ。
こうしているのも、またあの災厄とやらを起こさぬよう見守る親の心くばりよ。」
あからさまな薄ら笑いに、シールーンをかたどる水が揺れる。
それは怒りを表していた。
「何が心配りだ、ガラリアを腹に抱き込んだ安心感から、あの子を見放そうという魂胆であろう。」
見透かされ、少年がチッと舌打つ。
子供を聖なる火ごと、何もない狭間の異世界にでも放り込もうと思ったのだ。
「ヴァシュラムよ、ガラリアを思うならあの子を護れ。
共に生きる道は、それからでも開けよう。
あの子は、すべての縁者を亡くしたガラリアが生きるには必要な子だ。
お前にはわかっているはずだ。」
その言葉に、少年の顔が歪んだ。
「子供は必要ない。」
「必要だ。どれほどガラリアがあの子の幸せを願っていたか、あの子に妹の名を付けたことを考えればわかろう。
妹は共に盗賊に捕らわれ、病にかかっても薬草一つ与えられずガラリアの手の中で死んだのだ。
その時どれほどの絶望を味わったか、お前には何度も話して聞かせたろう。
何故ガラリアの気持ちを考えぬのか。
ガラリアがあれほど妹の屍をあの村に……両親と共に葬って欲しいと願ったのに、お前は聞こうともしない。」
またその話かと、少年がウンザリしてため息をつく。
「屍など、何処にあろうと地の中だ。場所など関係ない。
だから、せめてと言うから妹の名を付けることは許したではないか。
それ以上に何をせよというのだ。」
「ガラリアと共に子を、大切に慈しめと言っている。」
少年が、その言葉に醜悪とも見える様な苦々しい顔で、歯を剥いて唇を噛んだ。
相手の気持ちは一切考えない。
そんな愛し方が地の精霊王のやり方です。
それでもそんな彼を追い求めて愛されようと努力するガラリアは、一つは自分の命と身体を彼に握られてしまっている負い目があります。
別れたくても別れられない苦しさは、ガラリアを常に追い詰めています
 




