209、救いを求める声
ガラリアが、地龍サラシャの腕の中で見えなくなった目を見開く。
ヴァシュラムの中にいるのに、ここまで来てもヴァシュラムが手を差し伸べてくれない。
駄目だ、よくよく考えるとヴァシュラムは、るつぼに来たらこの身体で復活させてやるとは、ひと言も言わなかった。
しまった、また言葉遊びに引っかかったのかもしれない。
今すぐ泉へ……いや、もう引き返しても遅い。
自分は見放されたのだ、ああ、とうとうこの時が来てしまった。こんなタイミングで。
最悪だ。
ヴァシュラムは、子供のこともオモチャにしか思っていない。
私が消えたら、次はあの子で遊ぶつもりだろう。
意識が遠のく、私はどうなってしまうのか。
身体が死んで、取り出した霊体を好きなようにされるのか、何か違う物に作り替えられてしまうのか、もしかしたら永遠に石ころにでも封じられるのかもしれない。
自分はヴァシュラムとフレアゴートとの契約で、輪廻の輪からはずされている。
契約に応じたときは、子供のことがあったし、その頃のまま、その先も大切にされると思ったから安心して応じてしまった。
でも……それからそう感じることは、ほとんど無くなった。
これは罰だ、私を守って死んだ村人や家族が、私に与えた呪いだ。
ならば受けなくてはならない。
それはずっと覚悟してきた。
でも……本当は、終わりがないのは恐ろしい、怖い。
リュシエールのことが心残りでたまらない。
霊体で捨てられてもきっと、安らかに眠ることなど出来ないだろう。
自由を失い、安息とはほど遠く、苦しみ抜いて悪霊に変わるかもしれない。
若返りの施術の時も、不安が無かったわけじゃ無い。
でも、肉体を失うと霊体がどうなるのか、どうされてしまうのか、それはヴァシュラムの思うままだ。
言いようのない恐怖が、絶望が心を満たす。
あの時、盗賊達と共に土砂に埋もれて死んでしまえば良かったのだろうか。
お前は汚れてなどいないと、優しく抱いてくれた、あの頃が懐かしい。
飽きられ、弄ばれても、それでもあの言葉を支えに懸命に生きてきた。
でも、こうなったのは浅はかにも精霊の言葉を信じてきた、自分の過ち……あとは運を天に任せるしかない。
ああ……駄目だ……
リュシエール、私はまたお前を救うことが出来なかった。
また幸せに出来なかった。
私を、私だけを恨め。私だけを憎め。
他の誰にも罪は無い、私が、私の存在がすべて悪いのだ。
気が遠くなる、これが自分の意志を語れる最後の会話となるかもしれない。
せめてと、ガラリアは力を振り絞ってサラシャに口を開いた。
「サラシャ……地龍殿……」
「ここに、ここにおります」
「地龍殿……気高き、あなたが……汚され、汚れきった……身の私などに、ほんの一時でも頭を……垂れることになり、申し訳……なかった……」
「そのようなこと、言ってはなりませぬ……」
「私は……私は、これが最後かもしれぬ……皆に……世話になったと……伝えて…………欲しい……
う、うう……」
「何を……大丈夫でございますとも。御方様、しっかりなさいませ!」
ガラリアの身体からはすっかり生気が消えて、真っ白で色は抜け、肌はボロボロですでに希望が見えない。
サラシャが急いでいた足を止め、彼の身体を抱きしめる。
流したことのない涙が彼の頬に落ち、流れて消える。
ここはすでに神域なのに、なぜ精霊王は助けて下さらないのか。
苦しむ彼を見るのが恐ろしい。
これほど思うようにならない命のもどかしさに、サラシャは生まれて初めて嗚咽を漏らす。
それでも、彼は最後の時まで詫びの言葉しか囁かなかった。
「……リュ…シエ…ル……すまない……
イ……イネス、……私は……私は…………巫子じゃない……偽物で……
皆を……あざむいて……許し……て……
でも、……あ、あ……ああ……ヴァ……ヴァシュ……お願い、お願い、……どうか、お慈悲を……
怖い、誰か……助け………………て……あ…あ…サラ……シャ……あり……が……と……」
「御方様!御方さ……あっ、」
手の中でガクリと彼の身体から力が抜けた瞬間、神域が強烈な緑の光に包まれた。
るつぼに渦巻く力が一息に集中し、ガラリアの身体を包んで宙に浮く。
「おお、主様!間に合って良かった。もっと早う!早うお出でなされませ!」
ホッと息を吐き、力が抜けてサラシャの姿が崩れ全身蛇のような姿になった。
髪はするりと額でまとまって3本の角となり、口からぺろりと細い舌が覗く。
銀のウロコは更に固く固まり、岩に当たると鈴のようにシャンシャンと鳴った。
「主様、御方様の再生の儀を。」
緑の輝きはぼんやりと人の形となり、その中に取り込まれたガラリアが目を開けた。
「ああ……良かった……まだ、私の声が……まだ……良かった……」
彼がつぶやくと、愛しそうに見えない無数の手が彼の身体をかき抱く。
弱々しく震える手を合わせ、見上げるガラリアの緑色の瞳が輝き、涙がガラスのような玉となって光の中で輝いた。
「精霊王よ、朽ちかけた身の私に……ほんの少しでもお目を向けて下さるなら、これまでお仕えしてきた情けに、ほんの少しのお慈悲をお分け下さい……。
どうか……どうか……お慈悲を……もう少し、ほんの一時だけの時間を……どうか、お慈悲を……どうか……」
その力無く、今にも消え入りそうな言葉を遮るように、輝きが彼の唇に口づけを落とす。
ガラリアは救いを求めて両手を頭上に掲げ、不安に心さいなまれながらも目を閉じて、輝きに身を任せるしかなかった。
緑の輝きは、ガラリアを包み込んだままるつぼの更に奥へと向かう。
それを追って、サラシャもスルスルと奥へと消えていった。




