141、身代わり石
「あれは!飲まれた人たちでは?!」
「イネス様!」
後ろでルネイ達の声がした瞬間、イネスの手が腰の剣を抜き、カエルに向けて閃いた。
遠く上空のカエルの腹が鮮やかなほどにスパッと断たれ、人々の入った腹の袋ごと下半身が分離される。
しかし、その瞬間カエルの腹は繋がり、人々はまた腹の方へと持ち上げられた。
「オオ、危ナイ危ナイ、サスガハ地ノ刃ノ巫子、隙ガ無イ。
サテ、取引ヲナサイマセヌカ?
コチラノ方々ト、交換デハイカガナモノデゴザイマショウ?
無事二返シテ欲シクバ、めいす様ヲオ返シ願オウカ。」
空には結界の反発する光りが瞬いて、それを物ともせずカエルは裂け目からますます身を乗り出してくる。
しかし、またイネスが剣を構えるとスッと後ろに引いた。
「チッ、警戒しているか。」
まず最初の一撃で、魔導師を狙うべきだったと今さら後悔する。
人の形をする相手を切ることが出来ない甘さを、こんな所で晒してしまった。
「イネス様、引き渡しますか?」
「いかがなさるので?イネス様、引き渡しましょう!」
兵達が、口々にメイスの引き渡しを迫る。
レナントの人々にとって、メイスと囚われの町の人々を秤にかけても答えは一つしかないだろう。
だが、彼は修行も積んでいない巫子なのだ。
それを引き渡すことの意味が、どれほどまたこの国の脅威となるか、巫子である自分は良く知っている。
「ならぬ、あれを引き渡せば、またその力を利用され、この国の脅威となるだけだ。
先日襲ってきた時を、そして本城の魔導師の塔が崩れたのを忘れたか?!」
イネスの高い声が響き、兵達のざわついた声が静まった。
皆、メイスが巫子らしいとは耳に入っている。
その力が利用されるとどう言うことになるのか、彼が魔物に支配された姿を目の当たりにして恐怖を感じた者も少なくないのだ。
巫子とは強い力にもなり、また強力な敵ともなる。
「コチラモ引ケヌゾ、地ノ巫子。
主ガオ待チナノダ、館ヲ潰シテデモ返シテモラウ。」
不気味な魔導師の声に、人々が思わず一歩引く。
イネスは身じろぎもせず、魔導師とにらみ合いながら心中でひたすら活路を模索していた。
仮死状態のメイスの横で、カナンが剣を握りしめて閃光が漏れる窓を見つめる。
ドアの外では兵達がバタバタ駆け回り、イネスの言いつけで数人が警護に就いていてくれている。
しかし、それでも魔物に普通の人間がいくら抗っても、時には意味のない物だと良く知っている。
緊張の中、ノックの音がしてハッと聞き耳を立てた。
「カナン殿、魔導師グロスがまいりました。」
ホッとして、ドアを開けるグロスに思わず笑みが出た。
「良かった、私一人ではどうにも……グロス様に来ていただくと助かります。」
「魔物はメイス殿を引き渡せと来ているようじゃ。イネス様が毅然と断られているようですが、どうなる物か。
ここまで来られては守りきれるかわからぬ、一応守りの陣をしきに来たのじゃ。
周りに魔導で文字を書く、さ、ベッドを部屋の中央に。」
「は、はい。」
邪魔な椅子やテーブルを隣の部屋に移し、カナンが急いで準備を始める。
グロスが窓に目をやり、ふと漏らした。
「わしが作る複製のまやかしではすぐにわかってしまおう。せめて身代わり石があれば……」
「身代わり石?……確か、神殿にあると聞いたことはありますが……魔物もだますことが出来るのでしょうか?」
「あれはヴァシュラム様が気まぐれに作られる魂の鏡。魔物もしばらくは気がつくまい。
だがそれだけに希少品じゃ。神殿以外では見たこともない、残念な事よ。」
唇を噛みながらメイスを見る。
今、仮に渡すと判断したにしても、仮死の状態では騒ぎを大きくするに違いない。
イネスで、この状態を上手く乗り切れるのか ……
「セレス様が……」
カナンがセレスがいたならと、つい口から出そうになって飲み込んだ。
今はイネスを信じよう。
グロスがとりあえずはメイスの周囲に文字を書き始め、魔導で守りの陣を引いていく。
その時、静かにドアが開きサファイアが部屋に滑り込んできた。
「サファ……」
「しっ」
指を立て、サファイアが腰からナイフを抜く。
メイスへその切っ先を向けた時、思わず叫びそうになったカナンの口をグロスが覆った。
イネスはこれまで、自分の力を隠していました。
切るという行為は、まるで人と人との絆まで切ってしまいそうで心がおののきます。
彼は恐れられる巫子では無く、セレスのように頼られ愛される巫子でありたかったのです。
でも、彼は甘さを捨てなければなりません。
自分の力を見せることで、彼は頼もしく、頼られる巫子となるかどうかの瀬戸際です。