107、上を見る、見ない
リリスは手紙を手に、セレスの部屋を出て自室へ戻り、後ろ手にドアを閉めて呆然と立ち尽くした。
ヘナヘナと座り込み、ドアにもたれてがっくりと手紙を見る。
何と書いてあるのか、上等の紙に蝋で封がしてある手紙がなんだか重い。
「なんか、疲れた。」
聞いた事もない弱気のリリスの言葉に、ヨーコが膝の頭に留まって顔を覗き込んだ。
「やめる?」
「そうですね、逃げたい気分です。」
「キアンが、力になってくれるかしら。」
「さあ、……王子に頼るのは、無理だと心にとめておきます。
何しろ欲しい物が御世継ぎの印ですし。」
「ザレルは?騎士長なんでしょ?」
「ザレル……様には……ご迷惑はかけられません。」
帰ったら、父様と、勇気を出して呼ぼうと思っていたのに……それはご迷惑になってしまうな……
家にも、帰らない方がいいのだろうか、なんだかもう、自分の居場所がどんどん無くなっていく気がする……
カツカツカツ……
足音が、背後で止まる。
ボウッとしていると、いきなりもたれかかっていたドアが開いた。
「うわっ!」
バッタリそのまま廊下に倒れ、寝たまま見上げるとガーラントが目を丸くしている。
「いかがなされた?」
「いえ、別に。ちょっと考え事を。」
「夕食に参りましょうか。それともこちらで召し上がられますか?」
「とんでもございません!食堂に参ります。失礼しました。」
慌てて飛び起き、ガーラントに頭を下げる。
するとなぜか、ガーラントは一歩引いて、先に歩くよう促した。
「どうなさったのですか?ご気分を害されたのでしょうか?」
「いいえ、巫子様とも……とも知らず、これまでの無礼お許し下さい。」
いきなり頭を下げるガーラントも、王の子息と巫子のダブルでどう接して良いか迷っている。
とりあえず一度非礼を詫びて、あとはリリスの判断を仰ぐことにした。
「は?えーと、えーと、私は何も変わっておりませんし、火の神殿などありませんから巫子は関係ございません。
ですので、これまで通り指輪のない魔導師と、セフィーリア様の使用人でお願いします。」
あたふたと、突然態度を変えたガーラントの後ろに立つ。
リリスの顔はなぜか青ざめたり赤くなったり、自分の身分の変化について行けず、混乱しているのが容易に見て取れた。
「くっくっく」
「私は真剣です!お笑いにならないで下さいな、変わらずよろしくお願いいたします!」
笑われてプイと腹を立て、むくれる顔なんて初めて見る。
「貴方も子供だったな、そう言えば。しっかりしすぎて忘れそうだったが思い出した。
では、失礼してこれまで通りに。」
「もう、早く食事に参りましょう。あ、そうだ。このガルシア様から王様へのお手紙はどういたしましょう。
ご身分の高い方のお手紙など、どう扱って良いのかわかりません。」
「ああ、わかった。ではお渡しする時まで私がお預かりする。」
「そうして下さると助かります。なんだかすっごく重たいのです。」
「重い??手紙が?」
「ええ、石より重とうございます。さ、参りましょう。
そうだガーラント様、また旅になりますがよろしくお願いします。
グルクの騎手も出来るなんて凄いんですね。今度私にも、是非教えて下さいませ。」
「レナントの騎士は皆一通り出来るのだよ、ここは国境の町だからな。」
「どうしてガーラント様は本城へ?こちらのご出身なのでしょう?」
歩きながら、リリスが問うて彼を見上げる。
ガーラントはチラリとリリスを見て、ニヤリと口角を上げた。
「ザレル殿は、国の騎士達の目標なのだよ。
あの方のそばに少しでも近づけるならば、一度里を離れるのも良いかと思ってな。」
「ふうん、ザレル様はアイドルだったのですね?知りませんでした。」
「あ?あいど……る??」
「いえ、主人が人気者とは存じませんでした。
私も、隠してた上等のお酒をこっそり飲まれても怒るのはやめます。」
「ザレル殿は、リリス殿を息子とお呼びになっていたが、リリス殿は父と呼ばれぬのか?」
「はい、主が使用人をどうお呼びになるのもご自由ですが、使用人の身分である私が父とお呼びするのは……
アトラーナでは……ルランでは無理です。」
「もう、身分の事は気になさらずとも良いのでは?」
「どうでしょう。火の神殿はありませんし、私も今さら巫子様などと、おこがましいばかりで……
使用人の方がラクです。」
ふうむ。
ガーラントが腕を組み、リリスをチラリと見る。
使用人が巫子や王の子などと言われると、普通は少しは上を見るようになると思うのだがな。
欲のない何とも変わった方だ。
「リリス殿は、良い暮らしに興味はないので?」
「さあ……
術のアイデアが浮かぶのは無心で水くみしている時ですし、それを深く考えるのは床を掃除している時ですし……
良い暮らしとは使用人の上に立つと言うことでしたら、私には今のところ不要です。」
「無心になれるのは、何も水くみだけではないでしょう。」
「うーん、そうですよね。薪割りとか、もっと上手に出来れば他の事を考えることも出来るんでしょうけど、薪割りは難しくてザレル様にはヘタだといつも笑われます。
そうだ、私は帰ったら、剣の勉強をせよと言われてるのでした。」
「いや、そう言うことではなくて……」
リリスも、ではどう言うことかと見上げて腕を組み考える。
二人して渋い顔で悶々と考えながら歩いているうちに、食堂へ着いた。
リリスは上を見ないように、キツくしつけられています。
それが彼の頭の低さを助長していますが、頭の低い人間を嫌う人は少ないです。
城の意向は思いがけなく、かえって良い方向に向いています。
皮肉です。




