第三十二章 景達、謀を廻らせて劉監の策に乗せられる 2
その頃、都の陽安でも密かに、しかし確実に程王征伐の準備が進められていた。
すでに程王に叛意がある事を確信していた皇帝は、南華巡幸に合わせて要所毎に狼煙を設置させていた。南華に動きがあったなら、その狼煙を合図に自らが全軍を率いて南征できるように、丁義堅に命じていたのである。
「準備に怠りはないな」
その丁義堅を呼び出した皇帝は、この瑛国随一の名将に最後の確認をした。
「既に七軍の編成を終えております。何時でも中原の健児は、南華を席捲できましょう」
皇帝の諮問に対し、丁義堅はそう答えた。皇帝は頼もしげに彼を見たが、丁義堅は顔を強張らせながら、さらに言葉を続けた。
「今回の戦は、既に大勢は決しております。陛下自ら御出陣なさらずとも、我らだけで十分でございます。どうか、我らに御任せください」
彼の言葉に、皇帝の機嫌は見る間に悪くなった。
「今度の南征は、ただ勝つためのものではない。南華の民の心を勝ち得るための戦である。朕自らが出陣せずして、どうしてその心を勝ち得ようというのか」
「しかし、陛下のお体に触っては」
「くどい」
食い下がる丁義堅を、皇帝は一喝した。
「お主でなければ、謹慎を命ずるところだ。その事は二度と口にするな」
それ以上、丁義堅も皇帝を諌める事はできなかった。
元々、法安才は若い頃から体が丈夫ではない。そこへ来て、北伐、程王の謀反と、国家を揺るがすような事件が続き、毎日のように深夜まで激務を続けていた。
この上、皇帝親征ともなれば、丁義堅ならずとも、その身を案じない訳にはいかないのである。
「それよりも、七軍の全容はどうなっておる」
皇帝は、声を鎮めてから丁義堅にさらに尋ねた。
丁義堅は改まって七軍を率いる各将について述べ始めた。
「第一軍は陛下を総大将として私が軍を率います。第二軍は魏建広を大将、厳宮を参謀として第一軍の後詰め及び、兵站を担当します。第三軍は楊廉快が大将、魏粛を参謀として黄宛より出撃します。第四軍は離西を大将とし、参謀には陰葛を任じて第三軍の後詰めとします。第五軍は青聖を大将、顧謝中を参謀として楊下より海にそって南下することになっております。第六軍は興謹義が彪義挙を参謀として第五軍の後詰めを行います。さらに第七軍は遊撃部隊として、大将に覇質、参謀に霊顕尺を任じ、隆景に駐屯することになっております」
説明が終わると、皇帝は暫く黙っていたが、浮かない顔でぽつりと呟いた。
「余り聞かぬ名前が多いな。冠計はどうした」
「王将軍は既に第一線を退いております。今回は若い者に任せようかと」
「そうか。確かに世代交代が必要だ。今回の南征は、その者達の才能を見極めるのには打ってつけという訳だな」
実際、その通りであった。丁義堅自身も今回は出陣を控えた方が良い、という声もあった程である。しかし、皇帝自ら出陣するとなれば、大将軍である彼が出陣を控える訳にはいかなかった。第一、丁義堅以外に皇帝の身の安全を保証できるものは、今の瑛には存在しなかった。
「せめて、休がいてくれたなら、お主にももっと楽をさせられるのだが。やはり、西域から引き上げさせるべきだったか」
皇帝は溜息を吐きながら、そう呟いた。
弱音ともとれるその言葉を聞き、丁義堅は陛下の疲れが溜まっている事を実感した。彼の胸の内に再び不安がよぎった。
丁義堅は自分の部屋へ戻る途中で、大夫の回光と出会った。彼は現在、巡幸に行っている大司馬の代理をしていた。
回光は興奮した面持ちで、急いで皇帝の元へと向かうところだった。
「これは回大夫、どうしました」
丁義堅が呼び止めると、回光は目を輝かせながら、たった今入った報告を彼にも伝えた。
「丁大将軍、吉報です。駒梨国に駐屯している習都護が、段珪の先鋒として攻めてきた児充国の軍勢を打ち破り、さらに五つの国を取ったという知らせが入りました。私は将軍が陛下の元に居ると聞いたので、御二人にお伝えしようと思ったのです」
それは確かに、南征を前にしての、吉報だった。前年負けている段珪の軍を打ち破った事は、軍の士気を高めるだけではなく、内外に瑛の実力を示す格好の機会でもある。
「ほう、それは凄い。最近は暗い知らせしかなかったから、陛下もさぞお喜びになるだろう。だが陛下は今、御史大夫、大司農と話をしている。それが終わってから、共に報告に参る事にしよう」
「判りました。しかしこれで、我が軍にも弾みがつくことでしょう」
丁義堅は、回光からさらに詳しい報告を聞くため、自分の部屋へ彼を招待した。




