第三十二章 景達、謀を廻らせて劉監の策に乗せられる 1
六日目の早朝、白約楽は従兄弟から届いた一通の手紙を受け取り、狂喜した。
「ついに証拠を掴んだ。これで堂々と兵を繰り出せる」
それは莱峡郡太守の離粛が程王に宛てて出した、決起の日付を確認する書簡であった。
彼は直ぐにそれを、回徳、益兼の二人の元へと持っていった。
「これこそ、程王謀反の決定的な証拠だ。では、太子にはすぐ都へお戻りいただき、陛下に御出陣願う事としよう」
回徳は直ぐにそう決断したが、白約楽はそれを押しとどめた。
「いえ、太子にはもう少しここにいて頂きます」
「なぜだ。程王の叛意が明らかになった今、太子をここに留めて、危険に晒す必要はないではないか」
明らかに不満気な顔で、回徳は白約楽を睨んだ。白約楽は心の中で舌打ちをしたが、自分を押さえつつ、彼に質問をした。
「今回、太子が南華巡幸を行った理由は何ですか」
突然の問いに、回徳は戸惑った。
「それは、南華の民の心を掴む事と、太子の教育のためではないか。いまさらなぜ、そんな事を聞く」
「もし、太子が今、都へ逃げるように帰るなら、南華の民は何と思うでしょうか」
白約楽がそう詰め寄ると、回徳は言葉に詰まった。
「太子の資質を疑う声が、朝廷内に少しずつ広まっています。今こそ、その声を黙らせる絶好の機会ではありませんか」
「だが、陛下が御出陣されるからには、後継者たる太子は大事を取るべきではないか」
「今のままで、太子の地位が安泰だとでも思っているのですか。今、太子がご自分の役割を果たさずに都へ逃げ帰るなら、必ずや太子の椅子を失う事になるでしょう」
煮え切らない回徳の態度に、珍しく白約楽は語気を荒げた。
両者の間に一触即発の雰囲気が漂ったが、その時、益兼が穏やかな声で口を挟んだ。
「太子の身の安全は第一に考えなければなりませんね」
その場の緊張感を削ぐような言い方に、二人の気持ちが一瞬、呆けた。
その気の緩みを衝くように、彼は話を続けた。
「もし、太子が今、都に戻るなら、瑛は自らの国内が安全でない事を内外に示す事になりはしないでしょうか」
益兼がそれまでの論点と全く違う観点から話を進めたため、回徳も白約楽も黙り込んでしまった。彼は普段、余り意見を口にしなかったが、それだけにたまの言葉に重みがあった。
「できるなら、程王には手紙などではなく、実際に動いてもらった方が、その罪を天下に示す事ができます。太子が動くのはそれからでも遅くはないでしょう」
「しかし、いつまでもここで相手の動きを待つ訳にもいかんではないか」
回徳は益兼の言葉の正しさを認めつつも、さらに食い下がった。
「では、予定通りの十日間に加え、さらに二日留まる事と致しましょう。この街に留まる日数は既に程王にも伝わっているでしょうから、それが伸びるなら程王も痺れを切らす事でしょう」
「だが、何を理由に二日留まるというのだ」
「一日は、王次傅と呂校尉の親善試合を行う、という触れ込みでよろしいでしょう」
「では、その後は」
「太子は比禁殿を待っているのです。比禁殿があと二日のうちに戻らなければ、もう一日待つ程度は、不自然ではないでしょう。もし、その間に戻ってきたとしても、太子の予定は一杯である事にして、比禁殿との面会をその日にすると言えばよいのです」
「太子の意向次第だ。太子が自分の意志で決定するなら、儂も従おう」
回徳としても、それ以上、反論する事はできなかった。決定を太子に委ねるのが精一杯であった。
「大司馬、お待ちください」
会合が終わった後、白約楽は部屋を出てゆく益兼の後を追った。
「先程はありがとうございました。お陰でこの計画も順調に動くでしょう」
白約楽の言葉に、益兼は別に大した事ではない、という素振りをしてから口を開いた。
「太傅も、この巡幸での太子の立場を承知しています。しかし同時に、太子は回一族にとって、外戚としての自分たちの立場を固めるための切り札でもあるのです。太子が危険な目に遭う事が判っていて、太傅がそれを黙って見逃したとなれば、それこそ一族から吊し上げを食う事になるでしょう」
「確かに。私も少し、焦っていたようです」
益兼はその言葉を聞くと目を細めた。
「ところで、程王はあと三日のうちに動くかな」
「まず、間違いありません。程王は気の短い方です。顕広攻めの時に示した自制心は、彼の限界を越えたものでしたが、そのために指揮官を降ろされるという恥辱を味わっています。今度は同じ轍を踏むまいと、積極的に動く事でしょう」
自信を持って白約楽は答えた。
「そうですね。しかし、問題はそれからですよ。回太傅ではありませんが、太子の身の安全は確実に守らねばなりません」
「太子には、程王がこの街を囲む前に太傅と一緒に出発して頂きます。ただ、太子の護衛として次傅にも同行してもらうつもりだったのですが」
そこで白約楽は顔を曇らせた。
「なるほど、次傅を水の上に出す訳にはいきませんね。では、次傅には私と一緒にこの街へ残ってもらいましょう。太子の護衛には、私がふさわしい人物を探しておきます」
益兼の答えに、白約楽は安堵の表情となった。
「ところで、あなたはどうするのです」
「私ですか。私は蜀将軍の相手をしなければなりません」
「なるほど、既に万全の作戦を立てている、という訳ですね。それで、太子にはどんな役を振っているのですか」
益兼は何も知らないような顔でそう聞いたが、白約楽には益兼が、既に見当を付けている事を見て取った。
「大司馬には隠し事はできませんね。確かに私は、太子に少々冒険をして頂こうと思っております」
「さあて、あなたが話しても太傅は納得しないでしょう。私から彼に根回しをしておきますよ」
「そうして頂けると助かります。私も自分の役割に集中できます」
白約楽は、益兼が自分の考えを汲み取り、後ろ盾となってくれる事に心から感謝した。




