第二十八章 磁計侃、晁雲に白貂娘のことを尋ねる 1
「計侃、参りました」
呂厳の部屋にそういって入ってきた男は、身の丈九尺はあろうかという偉丈夫であった。
呂厳は、自分よりも年上の彼を、座ったまま一瞥もせず、すぐに本題に入った。
「街の中の噂はどんな様子だ」
「皆、白貂娘が呂校尉を侮辱したと思っている様子」
計侃と名乗った男、姓を磁というのであるが、憮然とした表情で一言、そう言った。明らかにその事を不満に思っている様子であったが、呂厳はそれには気付かず、彼の報告だけを聞いて顔を緩めた。
「そうか。それで、どちらが勝つといっている」
「校尉が大半の模様」
「ま、当然だな」
そう言うと、呂厳は今、気付いたかのように磁計侃に聞いた。
「お前はどう思う。俺とあの貂娘と、どちらが勝つと思う」
「私の関知するところではありませぬ」
磁計侃がそう答えると、呂厳は鼻を鳴らした。
「俺が負けて欲しいと思っているのだろう。そんな考えは捨てる事だな。俺があんな小娘に負けるはずがない」
「そう願いたいですな。勝っても何の自慢にもなりませんが、負けるなら大恥を掻く事になります」
磁計侃のその返事に、呂厳は顔色を変えた。
「貴様、誰に口を利いていると思っているんだ。口を慎め、この穣蛮め」
「事実を言ったまでです。では、まだ仕事がありますので、これで失礼」
そう言い残して、磁計侃は怒鳴り付ける呂厳を残して、部屋を出ていった。
実際、磁計侃は呂厳が自分で言った通り、彼が無様に負けてしまえばよいと思っていた。
それは磁計侃が、穣丘近辺に昔から住んでいる、穣丘族という少数民族の出身であることが関係している。
その昔、南華各地には少数民族が数多く存在していた。
しかし時代が進むにつれ、中原から押し寄せる文化の波に押され、その多くは民族としての独自性を失っていった。
そして現在、渠近辺で今でも民族としての独自性を保っているのは、穣丘族を含めてごく僅かである。
さらにいうとそのように残っている少数民族は、大抵の場合、差別の対象となっていた。
磁計侃はそのような現状を打破するために穣丘族の若者を集めて傭兵団を作った。渠の国のために死力を尽くすことで、自分たちの部族の地位向上を図ったのである。
ところが彼らが大きな活躍の場を得る前に渠の国が瑛に降ってしまい、磁計侃の努力は振り出しに戻った形となった。
そして、そのような磁計侃の心情に対して、呂厳は全くといっていいほど関心を示さなかった。彼にとっては、自分と自分の一族の事が第一であった。
磁計侃が努力をしているのを見ても、ただ報酬目当てなのだろう、という程度にしか見ていないのである。
しかも磁計侃は、呂厳を経験不足の若造とみなしており、そのことが彼の癇に障った。このため彼は、わざと穣丘族の部隊を自分の配下とし、そこで飼い殺しとする事にしたのである。
当然、二人は犬猿の仲となった。ただし、常に挑発するのは呂厳であり、磁計侃は彼の挑発をまともに受ける事はまずなかった。
今回、呂厳が、自分と次傅の親善試合に対して巷でどのような噂になっているか調べるという仕事を磁計侃に与えたのも、呂厳が彼に対して優越感を抱きたいという心情からであった。
磁計侃もそのことはわかっていたが、街の有力者の挑発に乗って一族の立場を危うくするわけにもいかないため、言われた通りの仕事を行ったにすぎない。




