第二十六話 王蘭玉、白約楽に昔話をする 1
校尉の呂厳が、次傅の王礼里と親善試合を行う、という話は、次の日には早くも穣丘の町中に広がっていた。
「太子のお気に入りといっても、まだ十代の小娘というではないか。校尉殿の楽勝だろう」
「何でも、北の異民族と戦った事を自慢して、校尉殿に無礼な口を叩いたそうな」
「都では白貂娘などと呼ばれてちやほやされていたのであろうが、所詮は奉の田舎者だ。校尉殿がお灸をすえてやれば、目も覚めるだろう」
昨日の夜の話がなぜ、すでに朝の時点でここまで広まっているのか不明だったが、街を行く人々は、そんな話に華を咲かせていた。
白約楽はその日も一人で街に出ていたが、それらの噂を聞いて眉をひそめた。その時、突然後ろから肩を叩かれた。彼が振り向くと、そこには王蘭玉が立っていた。
「蘭玉さん、まだ穣丘にいたのですね」
白約楽がほっとしてそう言ったが、彼女はその言葉の意味を取り違えた。
「私がこの街にいたら、なにか不都合でもあるのかい」
「いえ、蘭玉さんは時間を無駄にはしない人なので、もう仕事に戻られたかと思っていたのです」
王蘭玉は昔から険のある言い方をする癖があり、白約楽ももちろんそれを知っていたが、苦手意識があるために、思わず言い訳めいた返事をしてしまった。
王蘭玉は自分の精神的優位を改めて確認すると、自分がこの街に留まっている理由を話し出した。
「なにね。昨日、久しぶりに礼里に会ったものだから、懐かしくてね。もう一度会えないかと思ったのさ」
白約楽はそう言う王蘭玉の口振りに、自分に対する威圧を感じたが、敢えてそれを無視して自分の用件を話し出した。
「そうですか。それよりも、蘭玉さん、実はお尋ねしたい事があるのですが」
「ああそうかい。私もあんたに一つ、聞きたい事があったんだ」
王蘭玉は白約楽を睨み付けながら、言葉を続けた。
「今、街の中に変な噂が流れているけど、これはあんたの仕業かい」
元々、王蘭玉も白約楽の事を自分の息子のように可愛がっていた。そのため、彼が商人を止めた事に不満を持っていたし、また自らの才を頼んで小細工を弄するのも気に入らなかったのである。
しかも、今回は彼女がやはり娘のように思っていた白貂娘が絡んでいる。もし、この噂に彼が絡んでいたなら、容赦しないつもりであった。
しかし、白約楽もこの噂に眉をひそめていたのである。彼は王蘭玉の機嫌が悪い事も察して、必死に弁明した。
「今回は私は何にもしていませんよ。昨夜の宴席で、呂校尉が次傅に難癖を付けたのです。しかし次傅が彼の誘いに乗らなかった上に、彼の経験不足を指摘したものですから、彼が激昂して、次傅に決闘を申し込んだ、という次第です」
「そうかい。怪しいけど、ありえない話じゃないね。まあ信じる事にしましょ」
白約楽の説明に、王蘭玉は取り敢えず納得した。しかし、その納得の仕方に今度は白約楽が聞き返した。
「ありえない話じゃないとは、どういう意味ですか」
「いやね、あの娘は昔からそういうところがあったんだよ。基本的には辛抱強い娘なんだけど、なまじ頭が切れるものだから、相手の気にしている事を見抜いてしまうんだね」
それを聞いて、白約楽も納得した。
「実を言えば彼女を登用する前に、一度、彼女の事を調べたのですよ。結局その時は、栄甘公主の侍女になる前の事については、詳しい事は判りませんでした。ただ、劉監が行商人の女性から引き取ったという事で、劉監自身も行商人の名前までは覚えていないというだったのですが、まさかその行商人が蘭玉さんだとは思いませんでした」
妙に長い前置きに、王蘭玉は警戒した。
「何が言いたいんだい」
「いえ、できるなら、蘭玉さんが知っている範囲で良いので、彼女の事を教えて頂きたいのです」
白約楽がそう言うと、王蘭玉は見る間に機嫌を悪くした。
「あんた、私が昨日言った事をもう忘れたのかい」
王蘭玉は脅しに入ったが、白約楽もここまで来ては後には引けなかった。
「もちろん覚えていますよ。ただ、彼女の経歴には不明な点が多いのです。私も陛下に推薦した手前、できる限り彼女の経歴を把握しておきたいのです」
「それはきちんと調べもせずに推薦した、あんたの責任じゃないか」
「少なくとも、奉に仕えた後の経歴についてはしっかりと調べましたよ。逆に言うなら、彼女を推薦できない理由はありませんでした。それとも蘭玉さんは彼女になにか問題でも感じておられますか」
珍しく白約楽が反論してきたため、王蘭玉は言葉に詰まった。
「そんなことはない。それでいいじゃないか」
「確かにそうです。私も改めて彼女を疑う気はありません。しかし、不思議だとは思いませんか。彼女は字も読めるし、礼儀作法もわきまえています。それも、劉監が引き取った時点で、です。蘭玉さんが読み書きと礼儀作法を教えられたのでしょうか」
「いや、商売の仕方くらいは教えたがね」
王蘭玉の返答は白約楽の思っていた通りだった。彼女は教養がないわけではないが、それでもやはり教えられることは限られるし、行商をしながら子供に礼儀作法を教える余裕がないことは、彼自身が良く知っていた。
「つまり蘭玉さんと会う前から、読み書きと礼儀作法をすでに身に着けていたということです。ただの孤児とは思えません。彼女が没落した名門の出身なら、今こそ自分の家を再興する絶好の機会のはずなのに、そうする気配もありません。といって、奉や瑛に怨みを持っていて、復讐を企んでいる、という様子もありません。いったい、彼女は何者なのでしょうか。今後も彼女には活躍してもらわねばならない以上、彼女の事をしっかりと把握しておきたいのです」
「それはあんたの事情であり、私の知った事じゃないね」
「話して頂けるなら、私も蘭玉さんが王次傅と会えるよう、骨を折ってもよろしいですよ」
白約楽が交換条件を出してきたため、再び王蘭玉は彼を睨み付けた。
「あんた、何時から私にそんな条件を出せるようになったんだい」
「これはいわば商売ですよ。王次傅も今は太子の先生の一人ですから、そうおいそれと時間を取る事はできません。蘭玉さんとゆっくり会う時間を工面するのも一仕事なのですよ。その見返りを私が要求するのは、別に卑怯な事でもないでしょう」
そう言われると、王蘭玉も反論しきれなかった。
「仕方がないね。ただし、私も礼里の事は、一緒に旅をした間の事しか知らないよ」
王蘭玉はとうとう折れて、近くの茶屋で話をすることにした。




