第二十五章 益兼、白貂娘に粥を差し入れる 3
白貂娘が粥を食べ終えると、益兼は再び話を続けた。
「呂厳は昔、渠の将軍の一人でした。私の部下だったのですよ。代々、益家と呂家は、渠を代表する武門の家系でした。特に呂厳は若いころから博覧強記で知られ、渠国内でも将来を期待されていたのです。ただ当時から彼は、知識が先行する男でした。なにしろ南華の国々の間では、せいぜい小競り合い程度の戦争しか起きませんでしたからね。北方のような大規模な戦争はほとんどなかったのですよ」
「戦争の経験が多いのが良い事ではないでしょう」
白貂娘がぽつりとそう言うと、益兼は微笑んだ。
「確かにそうです。しかし彼は、自分の実力を見せる場を与えられなかった事を、今でも恨んでいます。元々、勝ち気な男でしたから、王殿の様に、自分より経験の豊富な相手には、余計に対抗心を強めるのです。この辺りで呂家と言えば、有数の大豪族ですから、敢えて彼を怒らせる真似をする者などいません。しかし王殿は、彼に足りないものが経験ではなく、柔軟な思考である事を見抜いて、それを指摘してしまいました」
「戦争は刻々と変化する状況の中で、臨機応変に動かなくてはなりません。呂校尉はそれを、杓子定規に兵法書の記述に当てはめて話されたので、ついあのような事を言ってしましました」
「こう言っては失礼ですが、王殿はもう少し辛抱すべきでした。所詮、あの男がその程度だと判っていたはずです。彼に何を言われても、戯れ言として聞き流す方が賢明だったでしょう。なまじ相手にしたので、決闘などを申し込まれてしまったのです。もし私が親善試合の事を言わなければ、彼は真剣での勝負をあなたに挑んだ事でしょう」
「では、大司馬も本心では試合に反対だったのですね」
「当然です。どちらが勝っても、後にしこりを残すだけですからね。ところで王殿、試合にはどういう心掛けで臨むつもりでしたか」
益兼の質問の意味を、白貂娘は理解しかねた。益兼はその様子を見て、さらに言葉を付け加えた。
「呂厳は、今でもこの地では、有数の剣術士として知られており、人々にも人気があります。しかし私の見たところ、王殿は彼よりも上のようですな」
そう言われて、やっと彼女は益兼の言わんとしている事を理解した。
「私は別に、勝敗にこだわりはしないので、例え試合をしても、彼に勝ちを譲るつもりでした」
「まあ、王殿の性格からして、そうでしょう。ただ、負けるのは構わないのですが、負け方が少々問題になります。一方的に負けられては困るのです」
「それは、呂校尉の自尊心を傷つけるからですか」
「それもあります。しかし、別の理由もあります。王殿の北伐での活躍は、この地方にはあまり正確に伝わってはいません。そのため、王殿の実力を疑う者も少なくありません。王殿と呂厳の試合を見て、この街の人々が、次傅の実力を過小評価するようになっては困るのです」
益兼の口調は、それまでの和やかなものから、真剣なものへと変わっていた。しかし、白貂娘はなぜ、益兼が試合の内容にこだわるのか、理解しかねた。
「なぜ、試合を見て私の評価が下がると、大司馬が困るのでしょうか」
「私が困ると言うよりも、瑛という国自体が困るのです。王殿の評価が下がると、北伐において王殿に頼った瑛も、その程度に過ぎない、と南華の民は考えるでしょう。もちろんたかが剣術という個人技だけで、全ての評価が決まる訳ではありません。しかし、多くの者は実際に目にした事柄を元に、評価を下す傾向があります。ですから、親善試合とは言っても、王殿は国の面子を背負って貰わねばならないのです」
当然、益兼の言葉は程王の謀反を見据えてのものであったが、そのことについては彼女にはまだ伝えなかった。
「では、本当は私が勝った方が良いのでしょうか」
「本来はそうです。しかし、ここが微妙なところですが、今、この地の実力者でもある、呂厳の機嫌を損ねる訳にはいかないのです。私の実家もこの辺りでは豪族ですが、今では呂氏の方が、影響力が強いのです」
「つまり、僅差で負けて欲しい、そういうことでしょうか」
「口で言うほど簡単ではない事は判っています。しかし、試合をする以上、瑛の運命を背負ってもらわねばなりません」
白貂娘はまだ、程王の謀反計画については知らされていない。しかし、益兼の真剣な態度から、この試合の経過が、重要な問題と関係している事を察した。
「判りました。私の力の及ぶ範囲で、精一杯、努力致します」
白貂娘の言葉に、益兼は再び微笑んだ。
益兼自身も、自分が彼女に課した要求が、無理難題に近いものである事は判っていた。
益兼はその人当たりの柔らかさで知られていたが、自分の孫か、曾孫ほどの年齢しかない白貂娘に対しても、丁寧な物腰で頼んだのは、自分の要求の難しさを思っての事である。
しかし益兼の予想に反して、白貂娘は愚痴一つ言わずに彼の要求を承知した。これがもし他の者であれば、相手がその意味を理解していないのではないかと、疑ったところであろう。彼は白貂娘の度胸に、内心で驚いていた。
「成る程、大将軍が養子に迎えたいと思うはずです」
「なにかおっしゃいましたか」
「いえ、ほんの独り言です。では、今日はもう遅いので、これで失礼します」
そう言い残して、益兼は従者と共に、白貂娘の部屋を後にした。




