第二十一章 法詠華、白貂娘を連れて穣丘の街へと抜け出す 1
太子の一行は白貂娘の極度の船酔いを除けば、何事もなく浪夏に到着した。
そこからの陸路も予定通り進み、各地で歓迎を受けつつ、一月後には隆景にたどり着いた。
「ここからまた船に乗れるのね。嬉しいわ」
馬車に乗ったままで、すっかり体の強ばってしまった陽長公主は喜んだが、白貂娘は再び始まる船旅のことを考えて暗澹たる気持ちになった。
法詠華は白貂娘のその様子に直ぐに気付き、近づいて話し掛けた。
「ねえ白貂娘。あなた、なんでそうも船に弱いのよ。あの程度の揺れ、何でもないじゃない。馬や籠の方がよっぽど揺れると思うけど」
公主の疑念は白貂娘自身にも当を得たものに思えたが、こればかりはどうしようもない。
「私にも判りませんが、水の上にいると考えるだけで気分が悪くなるのです。昔、溺れて死にそうになったことがあるので、そのせいかもしれません」
「ふうん、そんな事があったんだ。何故、水に落ちたの」
「実は私にもよく判りません。父の背中で寝ていたのは覚えていますが、目が覚めたら激流の中だったのです。多分、崖の上から足を滑らせたのでしょう」
判らないといいつつ、冷静に原因を分析している白貂娘に、法詠華は呆れてしまった。
「そう、それで水が怖い、と言う訳ね。だけど、これからは船旅が中心よ。どうするの」
「太子の巡幸に加わった以上、その務めは最後まで果たすつもりです。それに、乗り続けるなら、何時かは馴れるかもしれません」
それを聞いて、法詠華は再び呆れた。
「あなたって、何でも前向きに考えるのね。まあいいわ。もしあなたが帰ってしまったなら、この旅の楽しみが半減してしまうもの。それに、天下の名将の弱点を握っておけば、後で良いことがあるかもしれないしね」
最後にそう言うと、法詠華は笑いながら離れていった。
白貂娘は、いつかは馴れるだろうと言ったが、旅の間中、その気配は全くなかった。滞在地で一日も陸の上にいれば治るのだが、次の日には再び船の上、という日程が一週間ほども続いたのである。このため、その間は食事をすることもままならず、馴れるどころか完全に参ってしまっていた。
一行が砂峡郡に到着し、そこの中心地である穣丘にしばらく留まることが決定しなければ、あるいは白貂娘は本当に巡幸の一員から外されていたかもしれない。
決定は太子の意向によるものであったが、陽長公主もその決定を喜んだ。なにしろ、旅ばかりが続くのも飽きて来る。そろそろゆっくりと南華の街を見物したいと考えていたのである。
「白貂娘、早く治ってよ。明日は一緒に街へ出るのだから」
法詠華が耳元で囁いた言葉に、そんな予定があっただろうかと考えつつも、それ以上思考力が働かず、小声で承諾した。
「だけど、物好きの喜香が比禁に会いたいと言って良かったわね。確かに比禁と言えば有名だけど、わざわざ留守にしている人を待つというんだから」
比禁は、砂峡郡の太守をしている沢栄と並ぶ、南華でも有数の詩人であった。この二人は交流があり、比禁は穣丘の郊外に住んでいたのである。
但し、一行が到着したときはたまたま旅に出ており、留守であった。
太守から、いつもは十日前後で戻ると言う話を聞いた太子は、ぜひ彼に会って話をしたいと希望した。
日程的にも余裕があるため、太子の希望を受けて、この街に十日ほど留まることになったというのが公主が聞いた経緯である。




