第二十章 喜香太子、南華巡幸のための旅路につく 2
実を言えば、今回の南華巡幸でも習婉のそうした隠れた配慮があった。
最初、彼女の名前も南華巡幸の名簿に入っていたのである。
中原における文化が、先の戦乱のために、ともすると軽視されがちになっていたのに比べ、南華地方ではむしろその間に華やかな文化を開花させ、士大夫階級から市民へと浸透するまでになっていた。
特に瑛の統一前夜には最盛期とも言える時代を迎え、程の最後の国王となった楊近とその父王楊啓親子を筆頭に、数多くの著名な詩人が輩出していた。
そして、その余韻は今も続いており、中原の文化は南華に遅れること数十年、とまで言われていた。
そうした中で、瑛の朝廷としては、中原出身の著名な詩人を同行し、決して瑛が文化後進国ではないことを南華に示すことを考えたのである。その候補に挙がったのが、習婉ともう一人、法詠華の夫である回循粛であった。
最初、習婉は巡幸への参加を受けるつもりであった。しかし、同行者の中に回循粛の名前がある事を知り、法詠華も同行を望んでいるという噂を聞くに及んで、自分は参加を断ったのである。
「陽長公主は私を好いてはいないわ。私は構わないのだけれど、あの方に不快な思いをさせるのは不本意だから、今回の巡幸は諦めることにしたの」
習婉は、白貂娘にだけそう、自分の本音を語った。彼女は自分よりも年下ながら、口も堅く、聞き上手でもあった。愚痴をこぼす相手としては最適だったのである。そのため習婉はしばしば彼女の部屋を訪れては、あれこれと愚痴を語っていた。
習婉自身、本来は他人に媚を売るような態度は性に合わなかった。
それでも保身のために、対人関係に神経をすり減らしていた。それに朝廷内の様々な裏情報に通じていたため、精神的な重圧のはけ口を以前から求めていたのである。
このため、白貂娘と習婉は親しい、という噂が広まり、法詠華は都にいる間は白貂娘にも近づかなかった。
しかし、巡幸の始めに法詠華は白貂娘を見て失望すると、なぜ皆が彼女のことを騒ぎ立てるのか、改めて興味を持ったのである。
法詠華は巡幸中に暇を見ては白貂娘に近づいた。彼女の正体を見極めようとしたのである。
もし、白貂娘がこの時、法詠華の機嫌を取るような態度を示したなら、彼女は二度と白貂娘には近づかなかったであろう。
しかし白貂娘は、陽長公主に対するに相応しい敬意は示したが、必要以上に媚びることはなかった。別に意識しての事ではなかったが、その態度が法詠華は気に入り、巡幸中は彼女を相手に自分の暇を潰すのが日課となっていたのである。
法詠華は白貂娘の部屋の前まで行くと、軽く扉を叩いた。
「はい、少々お待ちください」
そう返事をして出てきたのは、白貂娘ではなくて彼女の侍女である甜憲紅であった。
甜憲紅は、扉の前に陽長公主が立っていたので驚いた。自分の主人が陽長公主と親しいことは知っていたが、まさか彼女がいきなり訪ねて来るとは思っていなかったからである。
「あなたの主人はどうしたの。部屋の中で何をしているの」
法詠華がそう尋ねても、甜憲紅は突然のことで、皇族の人に対してどう対応すべきか悩んでしまった。
「あの、いえ、私の主人は、体調が悪いと申しまして、今は、寝床に就いています、です」
やっとの事でそう答えてから、自分が何か粗相をして相手を怒らせなかったかと、改めて相手の返事を待った。
「体調が悪い。朝は何でもなかったじゃない。いったいどうしたのよ」
そう言うと、法詠華は甜憲紅を押しのけて部屋の中へと入った。




