第十九章 白約楽、南華巡幸前に根回しをする 1
「礼里、私は今度、南華へ行くこととなった。そちも一緒だぞ」
何時になく嬉しそうな様子で、喜香太子は白貂娘に南華巡幸の一件を伝えた。
「はい。今朝、太傅から伺いました」
実を言えば、白貂娘は二日ほど前に習婉からその話を聞いていた。
習婉は後宮内に独自の情報網を持っており、いろいろな噂話に精通していた。
その中に太子の南華巡幸と白貂娘がそれに同行するという話があり、彼女はその噂話を、白貂娘の控えている部屋まで遊びに来たついでに伝えたのである。
白貂娘自身は別に頼んだ訳ではないのだが、習婉は彼女が自分のために骨を折ってくれたことのお返しとして、時々そうして後宮や朝廷に流れる噂話を教えてくれていた。
そうした話はまだ瑛の朝廷の権力構造に疎い彼女にとってもありがたいものだったが、今回は先に聞いていたことが若干裏目に出た。
「どうした、そちらしくない。余り嬉しそうではないな」
太子が不安そうに尋ねてきたのである。
「えっ、そのようなことはありません。私は旅をするのが好きでございます」
そう言いつつ、白貂娘は太子の鋭い指摘に驚いた。
彼女は確かに旅は嫌いではない。
しかし実を言えば今回の南華巡幸にはあまり行きたくない彼女なりの理由があった。それでも彼女は顔を覆っているので、声に気をつければ気付かれないだろうと思ったのである。
太子はその感情を敏感に感じとったのであったが、彼女の反応からその件に触れてほしくないのだと感じ、そこは流すことにした。
「そうか、ならよい。私はあまり旅をしたことはないからな。南華の地は美しい地で、文化も進んでいると聞く。沢栄や比禁の名前を聞いたことはあるか」
「ええ、有名な詩人ですね。”氾江に浮かびて暁を迎う”や”幹陽侯に贈る”の詩は私も好きですよ」
「良く知っているな」
そういうと喜香太子は”氾江に浮かびて暁を迎う”を詠唱し始めた。王礼里もそれに和した。
「太子はとても感情を込めて詠いますね」
「そちも上手だ。そちは戦だけでなく詩も詠えるのだな」
「いえ、自分ではまともに作れません。ただ、好きな詩を数曲覚えているだけです」
「沢栄が太守をしている砂峡郡も今回の巡幸の中にはいっている。今から楽しみだ」
「そうですね。でも、まずは今日の勉強を行いましょう」
そう言って白貂娘は勉強の準備を始めた。
「義堅、おまえには予め伝えておく」
白約楽は丁義堅の元を訪ねるとそう切り出した。
「今度の太子の巡幸は、実際には程王に謀反を起こさせるためのおとりなんだ。私も太子と同行して、太子の安全を守る。君には、程王謀反の連絡が入ったなら、すぐに陛下と共に兵を連れて南征をしてもらうことになる」
突然の白約楽の言葉に、丁義堅は驚くよりも呆れてしまった。
「毎度のことながら、おまえの考える策はとんでもないものばかりだな」
「もう慣れただろう。今回の程王の謀反は瑛の国が通らねばならない関門の一つだ。もし、この謀反をすぐに鎮圧できなければ、今度は南華地方全体に、反乱が飛び火することになる。逆に、首尾良く鎮圧できたなら、南華の民も瑛の力を認め、皇帝の威光は天下に満ちるだろう」
「分かっている。だが、問題が一つあるな」
以前に程王謀反の話を聞いた時から考えていた不安を、丁義堅は口にした。
「水軍だ。北の兵は水戦に馴れていない。瑛の水軍の内、氾江にあるものは、ほぼすべてを蜀将軍が握っている。彼が程王に加担するなら、鎮圧は難しいぞ」
しかし、丁義堅のその不安を聞いても、白約楽は別に気にする様子はなかった。
「そのことか。確かに瑛の水軍は蜀将軍がほぼ掌握しているが、別に彼にしか水戦ができない訳じゃない。義堅は陸上を鎮圧することに専念してくれればいいよ」
「また私には秘密か」
丁義堅は、白約楽が事の詳細を話さないことで不満に思ったが、白約楽はその不満も聞き流した。
「敵を騙すには味方からだ。悪く思わんでくれ」
「まあいいだろう。私は自分のやるべきことをやるだけだ」
「たのむよ。私も自分のすべき事をしなければならない。太子の巡幸の準備をしなければいけないからな」
白約楽はそう言い残して丁義堅の元から去っていった。
「全く、あいつはいつも忙しくしているな」
丁義堅はぽつりと独り言を言った。




