第十七章 白約楽、策を弄して程王を都へ参内させる 1
現在、瑛の皇族のうち、八人が王に封ぜられている。
皇帝の弟に当たる、慶王法貴円。
叔父の薛王法知允、程王法九思、葛王法栄。
先帝の従兄弟に当たる、渠王法良粛、幹王法暦静。
薛王の次男で奉王の法角、三男の細王法利環。
彼らは王と言っても、実際の権限は太守と変わらない。せいぜい、その国を自分の血筋のものに引き継げるぐらいである。
しかし、一口に国といっても、そこには格というものがある。土地の歴史や重要度も関係しているが、一般に中原の国の方が格は高く、法知允の封ぜられている薛の国がもっとも格上だった。続いて、法栄の封ぜられている、やはり中原の葛と、法貴円の封ぜられている南華の|慶《けい》がくる。
以下、幹、程、渠、奉、細と続く。
ここから分かるように、法九思の封ぜられた程は、彼の弟である法栄や、いとこの法暦静よりも格が低い。
なぜ彼が弟やいとこよりも格の低い国に封ぜられたのか。一般に知られている経緯は次のようなものだった。
瑛が天下統一を成し遂げた、光玄六年の事である。
親族と功臣達への論功行賞が行われた。この時、法九思を含む六人が王位につく予定だった。
ところがこの時、松皇太后が先帝の遺言であると言って、法九思を王に封ずることはならない、と言い張ったのである。
しかし松皇太后の言う、先帝の遺言については、皇帝も高官達も聞いていなかった。と言って、皇太后の主張を無下に退けるわけにもいかず、彼を王に封ずることは一時的に見送られたのである。
しかし、皇太后はその年のうちに亡くなり、先帝の遺言についての真相を知るものはいなくなってしまった。
このため、翌光玄七年に彼と法角、法利環の三人が改めて王に封じられたのである。
勿論、法九思は自分がいとこよりも格下の国に封ぜられることを嫌ったが、彼自身が顕広攻略に失敗した経歴があったため、強く主張することができず、結局は程の国に甘んじることになったのであった。
このことは彼の中に不満の種を植え付ける結果となり、彼は自らその種の芽が出るように育て、謀反という大樹を育て上げたのである。
その程王法九思が各地に放っていた密偵の一人が、都から驚くべき情報を持ってきた。それは、陽安で程王が謀反を起こす、という噂が流れている、と言うものだった。




