第十五章 白貂娘、習婉より相談をもちかけられる 3
白貂娘が景夫人の部屋から出ると、彼女を迎えに来た女官が、まだそこに待っていた。
「王次傅、いかがでした」
「何がでしょう」
景夫人の態度に、少し腹を立てていた白貂娘は、その女官が話し掛けて来た時にも、いつになく素っ気無い返事をした。
「景夫人の申し出です。お受けしましたか」
「個人的な問題です。あなたにお話しする理由はないと思います」
「そうですか。では、断られたのですね」
事実そうであったが、いきなりそう決め付けられるのは不愉快である。
「なぜ、そう決め付けるのです」
思わず白貂娘は、その女官にそう言い返した。しかし、彼女は顔色一つ変えずに返事をした。
「もし、お受けになったのでしたら栄甘公主に会えるのです。もう少し喜んでいてもよろしいでしょう」
女官の言い分は尤もであったが、それはつまり、その女官が景夫人の申し出を知っていた、という事である。
「なぜ、あなたはそれを」
「当然です。私が景夫人に入れ知恵をしたのですから」
さらりと言ったその言葉に、白貂娘は言葉を失った。
「申し訳ありませんが、次傅を少し試させて頂きました。あなたなら、信頼できそうです。どうか、私の相談を聞いて頂けますか」
「全く、あの娘は私たちに逆らおうなんて、なんて世間知らずなんだろう」
景夫人はそう、兄の景達に向かっていった。
「まあ、焦ることはない。白貂娘一人、どうってことはない」
「だけど兄さん、許せないわ。私が頭を下げたって言うのに」
悔しそうに言う妹を見て、景達は慰めた。
「もちろん、許しはしないさ。俺達の邪魔をする奴はきっと後悔させてやる」
景達がそう言うと、景夫人は頼もしそうに兄を見た。
「期待しているわ。あの娘は絶対に処刑してね。それも私たちに逆らうとどうなるか、誰もが理解できるように、一番残酷な方法でね」
景夫人は今からその時が待ち遠しいような顔をした。
「判った。そのかわり、お前はできるだけ静かにしていろ。迂闊に動いて、お前が陛下から疎んぜられるようなことがあれば、全ては水の泡だからな」
「大丈夫よ。陛下は私のものよ」
「あまり増上するなよ。陛下は頭の切れるお方だ。お前がこそこそ動いても、すぐにばれるだけだ。根回しと工作は俺に任せろ。お前は、陛下の心を掴むように努力しておればよい。できるだけ質素な暮らしをして、大人しくしていろ」
景達がそう注意すると、景夫人は露骨に嫌な顔をした。
「私は、もっと贅沢な暮らしがしたいわ。これでは、実家にいた時の方がまだよかったわ」
元々、皇帝法安才は質実剛健を旨とし、奢侈を嫌っていた。このため、景夫人も皇帝に気に入られるために、できるだけ贅沢を控えていた。それでも景夫人は皇帝の妃の中では一番、贅沢な暮らしをしていたのである。
「しばらくの辛抱だ。喜宝がしかるべき地位に就いたなら、幾らでも贅沢ができる。それまでは我慢しろ」
景達はそういって、景夫人を宥めるのが常であった。
白貂娘に話し掛けた女官は、習婉という名前であった。
「私には、二人の兄がいるのですが、二人とも自分の夢を追うことに夢中で、子供みたいなんですよ」
それを聞いて、白貂娘は相手の正体がやっと判った。
「二人の兄というと、太史令と西方都護のことでしょうか」
「そうです。よくご存知ですね。太史令の敬は、先の乱戦の記録を整理して、草稿をまとめるのに夢中ですし、西方都護の休は、習家の家系にしては珍しく、荒事を好む性格ですから」
「それで、私に相談したいこととは何でしょうか」
「私にとって、二人とも優しい兄です。その二人が自分の夢に安心して没頭できるよう、私には習家を守る責務があるのです。そのためにも、私は朝廷内で政争に巻き込まれる訳にはいきません」
「はあ」
白貂娘は、習婉の相談の真意がつかめずに、間の抜けた返事をした。
「しかし、私は運悪く景夫人の元で働くことになってしまいました。景夫人はあのとおり、野心の強い方です。このままでは黙っていてもこれから起きる政争の中心に身を投じる事になってしまいます」
そこまで言うと、習婉は白貂娘の方をじっと見た。
「私に何をして欲しいのでしょう」
「私が、景夫人の元から離れて、楊夫人の元で働けるように運動して欲しいの。楊夫人なら、政争の中心に自ら躍り出ることはないですから」
「私から、ですか」
「そう。私が自分で働きかけてもなかなか取り上げられませんし、それに、私が自分から楊夫人の元で働きたいと言っては、角が立ちますから」
つまり、白貂娘に怨まれ役をやって欲しい、という事である。
最初は気が引けたが、彼女の兄である習休は、丁義堅の親友でもある。結局、彼女はそれを引き受けることとした。
「ありがとう。次傅には借りができたわね。いつか機会があればお返しするわ」
そういって習婉は笑いかけたが、白貂娘は自分のお人好しさに思わずため息をついた。




