第一章 高寿蘭、段珪へ赴き夏臥単于とまみえる 3
夏臥単于が率いる部族の集落は、さすがに立派だった。高寿蘭はそれでも、瑛の使節団長として、いささかも臆することなく単于と会見した。一通りの挨拶の後、いよいよ高寿蘭は本題に入った。
「古来より、段珪の単于は中原で帝が代わるなら、その都度、入朝し、朝廷よりの印綬を受けていました。この度、我が大瑛は中原に長い間、割拠していた賊共を平らげ、その威光は四海に満ちております。にもかかわらず、単于は未だ一度も我が国に入朝しておりません。よろしく入朝なさい、我が国からの印綬をお受けになりますように」
高寿蘭は最初から夏臥単于に対して高圧的に接した。これは、皇帝の意向であった。相手に弱みを見せてはならない、ということで、これはつまり皇帝の段珪討伐の意志を強く示すものであった。もちろん、高寿蘭も死を覚悟しての言葉である。
しかし、夏臥単于はそのような高寿蘭の態度を鼻で笑った。
「古来というが、それはいつの話のことだ。南では長いこと続いた戦乱がやっと収まったようだが、その間、段珪は別に不自由はなかったぞ。それをなぜいまさら、瑛などという素性も知れぬ国に行かねばならぬ理由があろうか。その方もそんな国に忠義を尽くすより、我が元へ来て、我が手足となって働いた方が将来のためぞ」
「私は瑛の臣であり、帝こそ私の主人です。帝を裏切ることはできません」
「そうか。瑛には、自分の主を離れた者が多く仕えていると聞いたがな」
夏臥単于のその言葉に、高寿蘭は唇を噛んだ。
瑛は、周囲の国を滅ぼした際に、有能なものは積極的に登用したのである。このことは、そうした国が瑛に降り易くさせ、結果として瑛の天下統一は早まり、また滅ぼした国の統治もやりやすくなったのである。
そして、高寿蘭もまた、元は奉の高官だった。高寿蘭は奉の都が瑛軍に囲まれた時、降伏の使者として、瑛軍の指揮官だった丁義堅将軍の元へ行き、見事にその任を全うした。この時の高寿蘭の働きが皇帝の耳に入り、今回の任務への抜擢となったのである。
夏臥単于の言葉は、いわばそうした高寿蘭に対する皮肉でもあった。元は奉の臣であったのに、今は瑛の臣ではないか。そんな言葉が高寿蘭には聞こえてくるようであった。
「まあよい。私の元に留まるなら、そのうち考えも変わるであろう」
言葉を失った高寿蘭に対し、夏臥単于はそう言って、左右のものに彼を捕らえさせた。
「我々は既に南進を決めている。そちも我が配下になった方がよいぞ」
結局、夏臥単于は高寿蘭以下、使節団全員を捕らえた。彼は中原に兵を進め、そこを支配するという野望を持っていた。その時のために、一人でも多くの有能な人物を配下に増やさねばならなかった。彼らはいわば、そうした彼の計画の第一段階であった。
瑛の使節団を捕らえ、夏臥単于が側近の者と今後の計画を立てていると、取り次ぎの者が彼に再び来客を伝えた。
「今日は客人が多いな。今度は誰だ」
「亮塩殿です」
「ほう、亮塩が自ら出てきたか。よし、直ぐに会おう」
夏臥単于が会見の場へと出向くと、そこにはすでに亮塩が座っていた。
「大王様もご機嫌麗しく」
亮塩はそう言って夏臥単于に挨拶をしようとしたが、彼はそれを止めた。
「そんな他人行儀にならなくてもよい。おまえが自ら出てくるとは、珍しいことだ。今日は何の用かな。我が閼氏となる決心がついたかな」
閼氏とは、段珪の首長である単于の持つ正妻の事である。夏臥単于はこれまでに五人の妻を娶っていたが、最初の閼氏であった史鵡知は先年、死亡していた。
改めて閼氏を決める必要があったが、彼は、すでに子供のいる他の妻よりも、新たに聡明で中立の立場を取りうる女性を閼氏として迎えることで、将来起こりうる後継者争いを押さえようと考えていた。そして彼は、亮塩が最もふさわしい人物と判断し、閼氏となるよう彼女に求めていたのである。
しかし、亮塩はその申し出を受け入れることはしなかった。今日、ここに来たのも、そのためではなかった。
「その件につきましては、以前もお話ししましたように、私のような者は大王様にふさわしくありません。今日は別のお願いがあって参りました」
「ふむ、そうか。それで、その願いとはなんだ」
「瑛の使節団を引き取りたく思います」
亮塩の突然の申し出に、夏臥単于は当然のごとく難色を示した。
「その願いは聞き入れる訳にはいかん。我々は彼らを必要としている」
「大王様、どうか、お怒りにならずに私の話をお聞きください。彼らは大王様の元では働かないでしょう。彼らは皆、死を覚悟してこの地へ来ております。ですからどんな脅しも効きませんし、またどんな報酬にも心を動かすことはないでしょう。瑛の皇帝はそういう者を選んで、使節団を構成したからです。といって、彼らを殺すなら、大王様の南進計画は難しくなりましょう。瑛の民衆は残忍な主人を嫌います。使節団を殺してしまうような人物が来る、と知ったなら、彼らは必死に抵抗するでしょう」
夏臥単于は亮塩の話に考え込んだ。中原制覇の野望を持つ彼にとって、確かに使節団を拘留した、という悪評はあまりありがたくないものである。しかし、亮塩に彼らを引き渡したなら、彼らは彼女を連れていくのは火を見るより明らかだった。夏臥単于も、彼女の正体については見当がついていたのである。
「有能な者を欲するのであれば、有能な者を優遇し、その者の考えを尊重することです。そうするなら自然に有能な者は大王様の元に集まりましょう」
結局、夏臥単于は亮塩のその言葉を入れることとした。
亮塩が会見の場を出る時、夏臥単于は一言、彼女に言った。
「おまえを我が閼氏とできずに残念であった。白貂は再び戦場に戻るのか」
しかし、亮塩は微笑みながらそれを否定した。
「瑛には、数多くの将軍がおります。私ごとき者の出る幕はないでしょう」
それから少し間を置いて、さらに言葉を続けた。
「私の飼っている三頭の馬を今日は連れてきています。黄藍重来を除く二頭は大王様に献上いたします」
「それは嬉しい。大事に乗らせてもらう事としよう」
夏臥単于は笑ってそう言いながら、その場を下がった。
高寿蘭ら使節団の一行は、突然、解放されたことに驚き、さらに彼らを引き取ったのが亮塩であったため、さらに驚いた。
「亮塩殿、なぜあなたが私たちを助けたのです。私の言葉の意味が分からなかったのですか」
高寿蘭は亮塩に近づくと、そう小声で尋ねた。彼は暗に、彼女に逃げるよう言ったのである。
「いいえ、良く分かりました。そして、高大夫が瑛にとって必要な方であることもわかりました。ですから、私は皆さんをお助けしたのです」
「しかし、あなたは瑛から逃げたのではないのですか」
「もう良いのです。それに私は、逃げていた訳ではありません。前にも申しましたとおり、瑛に降る前に心の整理をしたかったのです」
「それは、国が滅んだ、ということですか」
「それもあります。しかし、もう過ぎたことです。それに私はやはり、寂しいところに住むのには向いていないようです。さあ、約束です。私を都へ連れていってください」
結局、高寿蘭は彼女を都まで護送することになった。そして、回光を先にやり、皇帝に今回の結果と、途中で捕らえた女性のことを伝えさせた。
「奉の将軍、白貂娘の王礼里を捕らえました」
この報告は、皇帝以下、その場にいた人々すべてを驚かすのに十分であった。