第十三章 丁義堅、宋蘭楽に西方都護について語る 1
「興先生、そろそろ私に本当のことを教えてくれてもいいんじゃないですか」
丁義堅は突然、そう興魏に言った。
「さあて。儂がおぬしになにを教えるというんじゃな」
興魏は内心驚きつつ、そう言ってとぼけた。
「北伐の際に、先生が私に毒を盛った事についてです」
丁義堅がそう言うと、興魏と一緒に座っていた宋蘭楽は驚いて二人を見回した。
「儂がおぬしに毒を盛る。なるほど、義堅は創造力が逞しいな」
「茶化さないでください。いったいなぜ私に毒を盛ったのです」
丁義堅が興魏の顔を睨んだ。返答次第では只ではおかない、という目だった。彼は普段、ほとんど怒りを表に出すことはなかった。今も怒鳴り付けている訳ではなく、静かに問い詰めていたのだが、かえってそのために凄みがあった。
宋蘭楽はその目を見て、自分が糾弾されているように感じ、身を強ばらせたが、興魏は相変わらず何事もなかったかのように頭を掻いた。
「そう怖い顔をするなよ。確かにおぬしに毒を盛ったのは儂じゃ。勿論、理由はある。じゃが、儂の口から聞くより、約楽から聞いたほうが良いじゃろ」
興魏の口から、突然思いもしなかった名前が飛び出して、今度は丁義堅が驚いた。
「では、約楽が私を殺そうとしたというのですか」
「なにも殺そうとしたんじゃない。おぬしを助けようとしたのじゃ」
「私を助ける。何故、毒を盛ることで私が助かるのです」
「おぬし、約楽の奴が丞相を辞める前に奴から何か言われなんだか」
丁義堅はそう言われて、しばし考えた。
「確か、他人に引き下ろされる前に自分から引退しろと言っていた……」
「そうじゃ。といっても、法家一筋のおぬしが、そう簡単に辞められるもんじゃない。しかし、おぬしがいつまでも大将軍の位に居続けるなら、おぬしにとっても瑛にとっても、ためにならんのじゃ」
「だから毒を盛ったというのですか」
「そうじゃ。そうでもしなければ、おぬしを休ませることはできんじゃろ。まあ、約楽のやつには他にも理由があるようじゃがな。とにかく、儂はやつから、おぬしを殺さぬ程度に動けなくしてくれと頼まれたのじゃよ」
丁義堅は興魏の言葉にもまだ納得の行かない顔をしていた。
「分かりました。後で約楽を問い詰めてみます」
「まあ、やつも悪気があった訳じゃない。あまり苛めんようにな。しかし、おぬしなぜ今ごろ儂が毒を盛ったことに気付いたんじゃ」
「礼里ですよ。彼女が教えてくれました」
丁義堅は一言そう言った。
「ほう、あの娘が気付いたのか。じゃあ儂は白貂娘の診察をしてくるとするか」
そう言って興魏は部屋から出ていった。後には丁義堅と宋蘭楽の二人が残った。
「あの先生、とんだ喰わせ者だ」
暫くしてようやく宋蘭楽がそういった。
「蘭楽、今の話しは誰にも言うな」
丁義堅はそれまでの厳しい表情を緩め、普段の様子に戻りながらも宋蘭楽にそう口止めをした。しかし、宋蘭楽は言われるまでもなく、誰にも口外する気はなかった。
「それよりも、おまえも漸く左遷先が決定したな」
そう丁義堅が皮肉を言うと、宋蘭楽は顔をしかめた。
「全く、習休とかいう奴は、何を好んであんな辺境に固執するんでしょうね」
宋蘭楽はそう文句を言った。もし習休が皇帝宛の嘆願書を書かなければ、瑛の西方都護の職は廃止となり、宋蘭楽も駒梨国くんだりまで行かなくても済んだのである。
「休を悪く言うな。彼は自分の夢を追っているんだよ」
「丁将軍は習休という人物を知っているのですか」
「ああ。もし彼が西方都護にならなければ、今ごろは私ではなく彼がこの国の大将軍になっていただろう」
宋蘭楽は丁義堅の言葉が信じ難いものであるかのように顔を再びしかめた。
「しかし、それならなぜ彼はあんな辺境の地に飛ばされているのです。なにか失敗でもしたんですか」
「いや、彼は自ら望んで西方都護になったんだよ。自分の夢に少しでも近づくためにね」
「習休の夢とは何なのですか」
丁義堅は宋蘭楽の質問に対して、昔、習休から直接聞いた話を語り始めた。




