第十二章 宋蘭楽、丁義堅の見舞いへ向かう途中で興魏と会う 2
南華地方の富を持ってすれば、全世界を買い取れる、とまで謳われた経済力ではあるが、やはり負担は負担である。当然、彼等の不満がいつかは噴出するだろう。
もちろん、皇帝もそのことを知っている。彼は南華地方の民の不満をそらすため、彼等の文化に対する敬意を示した。朝廷内での音楽や様々な道具類を、彼等の用いているものと同じものにして、彼等が中原の正統な文化を継承して来たことを認めたのである。
たとえば、少傅として喜香太子に礼儀作法を教えている陰支訓が、南華の名門である陰氏の出身であることは、その事を如実に物語っている。
彼の他にも、南華出身の人物を多数、中央に呼び寄せており、朝廷内で重職に就いていた。また、中原の太守が例外なく中央任官であるのに対し、南華地方は瑛に降った時点に太守だった者が、そのまま継続してその地位に留まっていた。
ただし、これらのことによって、南華地方の知識階級の不満をそらすことはできたが、当然、そうした事とは関係ない一般大衆の不満を解消することはできなかった。
さらに太守の留任を認めた事により、一部の太守は半独立状態になる、という弊害もでていた。
こうした問題と同時に、私塩業者の問題もあった。
瑛では塩の販売は国営であり、国家の収入の大きな部分を占めていた。しかし、南華地方には昔から、大小様々な私塩業者が存在していたのである。
もちろん、南華に存在した国々も、塩に税金をかけていたが、細切れに分割されたこの地方では、私塩業者を完全に摘発する事は困難だった。
それが瑛によって統一された事で、事情が大きく変わったのである。瑛の朝廷では、南華地方最大の私塩業者であった、高遂という人物を捕らえる事で、彼らを牽制した。
これによって、国の財政は潤ったが、私塩業者と影で手を結んでいた、この地方の一部の豪族の反感を買う事にもなった。
結局、この地方は、瑛にとって火薬庫のような存在となったのである。
また、歳弊問題は、瑛の西に広がる砂漠に点在する、都市国家にも影響を与えた。
元々、瑛はそれら都市国家の独立を認め、毎年、入朝するように求めていた。
しかし、都市国家の中にも親瑛派と反瑛派があり、反瑛派の巨頭である児充国は地理的に近い段珪と親しくし、他国が瑛に接近しないように圧力をかけていた。
それでも、瑛が天下を統一すると、瑛と交渉を持とうとする国家が増え、一番の親瑛派である駒梨国には瑛の西方都護が一部隊を率いて駐屯していた。
しかし、瑛と段珪との戦が限りなく瑛の負けに近い結果で終わると、彼等は瑛と接近しすぎることを危険と考えるようになった。このため、駒梨国とそこに駐屯する瑛軍は肩身の狭い思いをするようになった。肩身が狭いうちはまだ良いが、他の国に攻められる可能性もあるのである。
しかも、瑛は段珪への歳弊のため、財政が厳しい状態にある。金のかかる割に実際的な利益の少ない西域経営は、真っ先に廃止の対象として論じられ、ますます駒梨国の立場は苦しくなった。
この時、西方都護であった習休という人物が、駒梨国の苦しい立場を説明し、もしここでこの国を見捨てるなら、瑛の権威は失墜し、西域は二度と瑛には従わないであろう、という主旨の長文の手紙を、皇帝に宛てて書き送り、西方都護の存続を嘆願した。
結局、この習休の願いが聞き入れられ、規模はある程度縮小されるものの西方都護を置き続けることに決定したのである。
このため、鎮西将軍への就任が決まったまま、駒梨国への赴任の目処が立たずに立場が浮いていた宋蘭楽も、やっとその五月に、二千の兵を率いて駒梨国へと向かうことが決定したのである。
宋蘭楽はしばらく都を離れることになったため、丁義堅に挨拶をするために、彼の屋敷へと向かった。
彼は元々、あまり人付き合いが良いほうではなく、以前は丁義堅の屋敷を訪れることもほとんどなかった。彼にとってはそうした付き合いはただ煩わしいだけだったのである。
しかし、北伐以来、彼は休みの日にしばしば丁義堅の屋敷を訪れるようになっていた。
彼が目的地への道を急ぎ足で歩いていると、彼が最も苦手とする人物とばったり会ってしまった。
「ん、おぬしこんなところで何をしとる。どこに行く気じゃ」
相手の人物、医者の興魏は彼を見付けるとすぐにそう聞いてきた。
「大将軍の屋敷です」
宋蘭楽はぶっきらぼうにそう返事をした。
興魏は軍医である。彼も度々診てもらったことがあるが、腕はともかくとして、患者の扱いが荒っぽいことで有名であった。
当然、宋蘭楽も痛い目に合わされたことがあるが、相手は医者である。仕返しをして倍返しをされてはたまらない。
「ほう、義堅の所へ。何しに行くんじゃ」
「今度、正式に駒梨国へ行く事が決まったので、挨拶へ行くのです」
興魏の見透かすような目から顔をそらして、彼はそう答えた。
「そうか。儂もいまからあいつの屋敷へ行くところじゃ。丁度いい。おぬし、儂の荷物を持て。年寄りは大事にするもんじゃ」
そう言って彼は自分の持っていた荷物を宋蘭楽に渡すと、さっさと丁義堅の屋敷へと歩き出してしまった。
宋蘭楽は舌打ちをしながらも、その荷物をほうり出すわけにも行かず、結局、荷物を持ったまま興魏の後をついていった。




