第十一章 白羊策、北の地より帰還して白約楽と対話する 2
その時、別行動をとっていた白貂娘が、百騎の騎馬隊を率いて、突然、段珪軍の横腹から突撃したのである。
彼女は一気に敵陣に突入すると、向かってくる兵以外は相手にせずひたすらその中を駆け抜けた。彼女に従う者達も、ときの声を上げつつ同じように駆け抜けたため、再び段珪軍は大混乱となったのである。
しかも今度の混乱は先程とは比べ物にならなかった。
元々、一口に段珪族といっても、実際にはその中に数多くの部族が存在している。
夏臥単于はそうした部族を攻め、または吸収して段珪族を一つにまとめたのである。
しかし、そうして降伏した部族の中には、まだ完全に彼に心服していない者も少なからず存在していた。彼等はあえて公に夏臥単于に逆らいはしなかったが、隙あらば彼の支配下から脱しようと考えていたのである。
白貂娘はそうした段珪の内情を知っていた。そして、夏臥単于が二十万の軍を動員したと聞いたとき、段珪の国力からして、彼がそうした不満分子も含めた全部族を召集した、と判断したのである。
彼女は段珪の陣に突入したときに、おそらくそうした部族がいるであろう所を見計らって駆け抜けた。一種の賭けでもあったが、彼女の読みは見事に的中した。このため、元々戦意の低い彼等は、これ幸いと直ぐに退却を始めたのである。
結局この退却がきっかけとなって、段珪の陣営は内部から崩壊した。灰山にいた瑛軍もその隙に脱出することができたのである。
しかしこの乱戦の中、白貂娘は退却するときに流れ矢を肩に受けて落馬してしまった。同行していた路艾は、彼女を助けずに兵を率いて退却した。このため、彼女は残っていた段珪族の捕虜となったのである。
明け方になった時点で、双方の戦場に残る兵力は瑛が約六万、段珪は五万になっていた。
双方、これ以上の戦を続けることは無理だったし、また意味もなかった。
夏臥単于は瑛軍に紗無波という人物を使者として送り、瑛が兵を引くならば段珪としてもそれを追撃する意志はないことを告げさせた。
これはつまり一時停戦の申し入れであり、瑛側も、今回の段珪の行為に対する措置については後日改めて行う、という婉曲な言い回しで段珪の申し出を受け入れたのだった。
「なるほど、双方痛み分けというところか。それで、段珪とはその後どうなったんだ」
白約楽の話が一段落つくと、白羊策はそう聞いた。
「大夫の高寿蘭が瑛側の使者として、また段珪のところへ行っている。まあ、お互いに火遊びする体力は暫くないだろうから、今回は妥協の産物としての講和がなされるだろうな」
「戦後の賞罰はどうだった」
「義堅については病気だから、今回の敗戦の責任はなしとなった」
「それは当然だろう」
「宋蘭楽は西域への左遷が決まった。王冠計は中央に留まっているが、同じように閑職にまわされるだろう。こちらも左遷だな」
「なるほど、まあ、妥当な処置だな」
白羊策はそういった。二人とも敗戦の責任を取る形で左遷させられた訳であるが、その意味するところは微妙に異なる。
宋蘭楽はまだ若く、将来性がある。このため、不安定な西域で改めて経験を積ませるための左遷だと見たのである。当然、緊急の際には再び中央に呼び戻そう、という考えである。
一方の王冠計は既にかなりの高齢であり、これから先の活躍は余り期待できない。これまでの功績も加味して、中央での余生を過ごせるようにというための配慮だった。
白約楽は、さらに他の人々に対する賞罰についても話しはじめた。
「あとは奉王にはよく踏み止まった功績として若干の下賜がなされたのと、関北郡の太守にも同様に下賜があった程度だな」
「ふうむ、では回光には何もなかったのか」
白羊策がそう疑問を口にすると、白約楽は思い出したように言葉を続けた。
「そうそう、彼は大夫の位に就くことになった。景達の後釜だ。ただこれは、今回の一連の報奨とは別になされた人事の余禄だな」
白約楽が意味ありげにそう言ったため、白羊策は目を光らせた。
「そうか。一騒動あったのか」
「いや、そうではない。太傅の迂泉が引退する事になったので、代わりに大司農の回徳が太傅となったんだ。空きになった大司農に景達が就くことになり、景達の席には北伐に功のあった回光が就いた、というわけだ」
「なるほど、つまり騒動はこれから始まるというわけだ」
白羊策はそういうと、まだ聞いていない人物がいることを思い出した。
「そういえば、白貂娘はどうなったんだ。段珪にはもういないようだが」
「彼女は、北伐軍が戻った後、直ぐに行われた捕虜交換で、こちらが捉えていた倶留盃という段珪の武将と交換する形で戻ってきている。ただ、どうも肩に刺さった矢に毒が塗られていたらしく、一週間ほどは意識を失っていたようだ。興先生が手当てをしたので、今ではほぼ回復しているがな」
「毒が相手なら、興先生は専門家ですからもう安心ですね」
そういって、白羊策はそれまでほとんど黙っていた興魏に話を向けた。
「おぬしら、儂をおだてても何も出んぞ。まあ、あの娘はもう大丈夫じゃ。ただ、寒い日などは左手が少々痛むかもしれんがな」
「それで、彼女には何が恩賞としてあたえられたんだ」
白羊策は興味ありげにそう尋ねたが、白約楽は肩をすくめて否定した。
「いや、彼女には何もなかった。回復して動けるようになると、直ぐに元通り次傅に復帰しただけだ。加封、下賜、昇進のどれもなかった。まるで彼女と北伐は関係なかったかのような扱いだ」
それを聞いて、白羊策は首を傾げた。
いくら敵に捕まったとはいえ、瑛軍を救ったのは明らかに白貂娘である。その彼女に何の恩賞もなくては、他の者の士気にも関わるはずである。




