第十一章 白羊策、北の地より帰還して白約楽と対話する 1
厳しい冬の寒さが薄らぎ、陽安の郊外もやっと春めいてきた頃、北の地から一群の商隊が、陽安へと近づいてきた。
瑛の都である陽安では、外国からくる商隊も珍しくはない。
同じように様々な地方からきた商隊が、門の近くでたむろしていた。彼らは皆、入城許可が得られるまで、そこで待っているのである。
ところが、先ほど到着したばかりのその商隊は、それら待っている他の商隊を横目に、まっすぐ城門へと近づいた。
当然の如く、彼らのところに役人が近づき、戻って順番を待つようにと怒鳴る。
その時、商隊の中からでてきた一人の男がその役人に一枚の書面を無造作に見せた。
髭だらけのむさ苦しい顔と、長旅で汚れた服を、最初はいぶかしげに見ていた役人も、その書面を読むと、急に態度を変えて、愛想よく彼らが通り過ぎるのを見届けた。
彼らは真っすぐ都の大通りを通り、一件の大きな屋敷の中へと入っていく。
先程、役人に書面を見せた男はその屋敷の主人だった。
彼は商隊の者達にそこでたっぷり賃金を与えると、すぐに沐浴をし、髭を整え、服を着替えて再び屋敷を出た。
彼はそのままどこへ行くともなく、都の最も繁華な商店街を歩き周り、日が暮れるまでそこで時間を潰していた。
やがて日が暮れてから、彼はその商店街から抜け出し、今度は高官達の住む区画へと向かった。
立派な屋敷の並ぶその区画の中でも、一際大きな屋敷の裏口へ着くと、彼はそこを軽く叩いた。すると扉が小さく開き、外にいる人物を確認すると、すぐに屋敷の中に引きずり込むように招き入れた。
彼は中に入ると案内も受けずに歩きだし、さも慣れた様子で一つの部屋へと向かった。
彼がそこに入ると、すでに二人の男が座っていた。
「おや、先客がいたとは知らなかった。お久しぶりです、興先生」
「いや、おぬしが帰ってきたという知らせを耳にしてな、会いに来たと言うわけじゃよ」
興先生、と呼ばれた人物は、他でもない医者の興魏であった。そして机をはさんで反対側には元の丞相であり、現在は諌議士という職に就いている、白約楽が座っていた。
「長旅で疲れただろう。だがおまえのお陰で、大体は思惑通りになった。改めて礼を言うよ、羊策」
白約楽が羊策と呼びかけた男も、姓は白といい、白約楽のいとこだった。
「今回の仕事は大変でしたよ。なんせ錐烏国の王は慎重な男でしたからね。段珪が瑛に攻め込むといっても、なかなか信用しないし、段珪が動いたことが分かった後も、迂闊に腰を上げようとはしませんでしたからね」
「まあ、遅れはしたが、錐烏を動かすことができたお陰で、瑛軍の壊滅は避けることができた。終わりよければすべてよし、と言ったところだな」
「何をいっとる。瑛の大敗の張本人の癖に」
興魏の言葉に白約楽は頭を掻いた。
「いや、私もまさか義堅が抜けただけで瑛軍があそこまで弱くなるとは思いませんでしたからね」
そういうと白羊策の方を向いた。
「白貂娘がいなければおまえの活躍も無駄になるところだったよ」
「白貂娘。ああ、奉で将軍をしていた、王礼里とかいう少女のことか。都に来るまでにも噂を聞いたよ。なんでも段珪軍を破ったはいいが、自分は段珪に捕まったとかなんとか」
「おまえは彼女のことはまだ知らないのか」
「大まかな話は聞いたが、詳しい話は知らん。この件に関しては自分で情報を集めるより、おまえに聞いたほうが早いし確かだろう」
「それはそうだ。このことは世間にはあまり知られていないからな」
そういうと白約楽は北伐の経過を簡単に説明し始めた。
白貂娘は寡兵で大軍を相手にするときのごく一般的な方法をとった。つまり地の利のある場所に誘い込み、伏兵をもって敵に奇襲をかける策である。
餌である輸送隊を指揮していた法角は、段珪軍が追ってくるのを確認すると、適当に相手をしつつ、頃合を見計らって荷馬車を捨てて逃げてしまった。
段珪軍は逃げた法角の軍勢には見向きもせず、先を争って荷馬車に群がった。
彼らが戦利品に夢中になっている時に、突然、瑛軍の伏兵が彼らを襲ったのである。兵力的には問題にならないほど差があったが、突然のことと、すでに夕暮れ時で敵の兵力が分からなかったことから、段珪軍は大混乱になった。
彼らは戦利品を取り合いながら、我先にと逃げ出した。
白貂娘が言った通り、彼らは戦利品が手に入った以上、無理に戦って命を落とす気はなかったのである。この点、倶留盃の見通しが甘かったと言わざるを得ない。
ただ、倶留盃には敵の兵力が僅かであることがすぐに分かった。そのため味方に踏み止まって戦うよう叫んだが、一度崩れた大軍をまとめるのは容易なことではない。結局、一緒になって逃げ出す羽目になったが、途中で追い返してきた法角に追い付かれ、馬から落とされて捕虜となった。
さて、逃げ出した段珪軍は、途中で今度は回光の率いる部隊と遭遇した。いや、遭遇したというより、逃げる段珪軍の背後に、突如として回光の部隊が現れた、と言ったほうが良かっただろう。回光は主力を率いて、段珪軍が通り過ぎるのを待っていたのである。そして彼には、逃げる段珪軍を追い立てて段珪の本隊に流れ込ませる、という役割が当てられていた。
回光はその役を見事にこなした。
彼が段珪の敗走兵を灰山を囲んでいる本隊に逃げ込ませたのは、丁度真夜中のことだった。
突然、味方の兵が負けて帰ってきたのを見て、彼らもまた動揺した。その動揺をついて、回光は本陣へ攻撃を仕掛けたのである。
段珪軍は灰山を正面とした陣を敷いていたため、回光率いる瑛軍の強襲は、敵の背後を衝く形となり、段珪軍は一時的に混乱に陥った。
灰山にいた王冠計将軍と宋蘭楽将軍も、敵が動揺していることに気付いた。彼らはこの機に乗じてここを脱出するしかないと考え、双方同時に灰山を討って出たのである。
しかし、段珪軍の数は多く、回光の軍も王、宋両将の軍も寡兵であるため、最初の混乱が一段落すると、しだいに瑛軍にとって状況は不利になっていった。




