第七章 回光、北伐軍より戻り益兼を驚かす 2
「王次傅。先日の北伐軍の見送りに太子が立ち会わなかったと聞きましたが、どういうことでしょう」
回皇后は少し強い口調で王礼里に尋ねた。
本来、太子の行状についての責任は太傅である迂泉が責任を持つ事である。そしてその事については、すでに皇帝からの軽い叱責を受けることで済んでいた。
しかし、王礼里が太子の説得をするために、部屋に入ったまま時間は過ぎてしまったという話を聞き、皇后は自分で改めて彼女から事情を問いただそうとして、北伐軍が出征した翌日、再び自分の部屋に彼女を呼んだのである。
「太子が行きたくないとおっしゃいましたので、その理由を訪ねておりました」
王礼里のその回答に、回皇后はため息をついた。
「王次傅、あなたは太子の我が侭を聞くためにいるのではありませんよ。太子として、また将来の皇帝として相応しい人物に太子を教育していただかなくては困ります」
「申し訳ありませんでした」
回皇后としても、皇帝が不問にした件をしつこく追求したくはない。しかし、一つだけ、聞いておかねばならない事があった。
「それで、太子は何と行っていました」
「太子から、誰にも言わないように口止めされました」
すぐに聞けると考えていた回皇后は、王礼里のこの返事に不意を付かれた。
「私は母親です。私も知る権利があるでしょう」
「しかし、約束を破るわけには参りません」
「仕事を首になってもですか」
「はい」
回皇后はその返事に、王礼里の意志の強さを感じとった。
太子との約束を守ろうという態度も、太子を軽んじる風潮が行き渡っている中では必要なことである。太子の実情を誰にでも話すよりはよっぽどましであろう。
結局、王礼里から太子が何を言ったかを聞くことは諦めることにした。
「王次傅、あなたの口の硬さが、私に対してだけではないことを願います」
そう最後に王礼里に言うと、回皇后は彼女を下がらせた。
白貂娘が回皇后に呼ばれてから二週間程後、仕事を終えて彼女が陽安の表通りを歩いていると、前方から全力で騎馬が駆けてきた。
本来、街中で馬を走らせることは、緊急の場合を除き禁じられている。
白貂娘は道端に避けてから、改めて駆けてくる馬の乗り手を見た。それは北伐に参加しているはずの回光だった。
彼は回氏の中でも期待の若者で、現在二十歳だったが、その才能を皇帝に愛され、様々な場面で経験を積むために用いられていた。
先に派遣された使節団にも高寿蘭の従者として参加し、今度の北伐軍では監軍の一人として従軍していたのである。
その彼が、血相を変えて宮殿の方へ向かうのを見て、彼女は前線で何かよからぬことが起きたことを悟った。自身は北伐とは関係のない仕事をしているとはいえ、胸騒ぎを感じた彼女は再び足を戻し、宮殿へと向かった。
宮殿へ駆け込んだ回光は、自分の馬を厩舎へ入れるのももどかしく、大司馬益兼の元へと向かった。
「益大司馬、一大事でございます」
「どうしました、回監軍」
益兼は突然、回光が入ってきて驚いた。出征から十五日しか経っていない。国境までの道のりは十日程かかるはずであり、敗戦の知らせとしても、彼が帰ってくるには早すぎる。
しかし回光はその驚きをも上回る知らせを持ってきた。
「大将軍が病で倒れ、意識を失いました。軍医の興魏殿によると絶対安静とのことです。現在、軍は王将軍の指揮で国境へ向かいましたが、丁将軍は関北郡の顕広におります」
それは確かに一大事であった。
「丁大将軍が倒れた。それは大変です。すぐ陛下にお知らせしなくては。回光監軍も同席してください」
そう言うと、益兼は回光を連れて慌ただしく皇帝の元へと向かった。




