第一章 高寿蘭、段珪へ赴き夏臥単于とまみえる 1
瑛の皇帝、法安才が天下統一の偉業を成し遂げたのは、瑛の暦では光玄六年の事であった。
もちろん天下統一といっても、彼らの価値基準内での文明圏を統一した、という意味であり、実際にはその周辺に瑛に服属しない異民族国家が存在している。
例えば北に広がる草原地帯には段珪と呼ばれる遊牧民族が昔から存在しており、しばしば国境付近に侵入してはその地域一帯を荒らしまわっていた。
また北西に続く沙漠地帯には小さな都市国家が水源を中心に点在しており、遥か西方にあるという大国からの商人が行き来していた。
それらの国々は、中原に新たに成立した瑛という王朝の実力をまだ計り兼ねていた。駒梨国のように、瑛の派遣した西方都護を受け入れた国もあったが、比較的力のある児充国などは、地理的に段珪の勢力圏に近いこともあり、周囲の国に圧力をかけて瑛との商取引を制限しようとしていた。
さらに南部の山岳地帯には渓雷族が拠を構え、瑛に敵対的な態度を示していた。彼らは瑛に滅ぼされた国の高官や武将を匿い、国力の増強を図っていたのである。
このため法安才は速やかに国内の反乱分子を一掃し、国力を蓄えた上で、それら周囲の国々にも瑛の威光を行き渡らせることを次の目標とした。
国内の反乱分子、これは主に瑛によって滅ぼされた国の重臣のうち、瑛に降ることを潔しとせず、隠れている者のことを指している。
そうした者たちを見つけるために彼は懸賞金をかけた。
たとえば慶の上将軍だった沢関や、程の丞相だった関史軒を捕らえたなら万戸侯に封ずる、または渠の将軍だった封円や奉の将軍、白貂娘の王礼里を捕らえたなら千金を与える、といったような布告を全土に撒くことで、それら有能な危険人物の一掃を図ったのである。
実際この方法は功を奏し、二年もしないうちにそのほとんどは捕らえられるか、あるいは国外に逃亡したことが確認された。
そして法安才は光玄九年、統一の三年後、いよいよ外交問題への取り組みを開始することになった。
彼はその最初の目標として、段珪に狙いを定めた。これは、瑛の都である陽安が、段珪の勢力圏とも比較的近く、かつ彼らが南下する気配を既に見せていたためである。
そして光玄九年四月、段珪の首長である夏臥単于への使節団が、かの地へ向けて旅立つこととなった。