第六章 太子法喜香、白貂娘に胸の内を明かす 1
光玄九年という年は、瑛にとって幾つかの変化の会った年である。
まず、白貂娘が次傅の位に就いた同じ八月、白約楽は丞相の位を退いた。
彼は政治の場からの完全な引退を望んだが、皇帝はそれを押し止め、結局、彼は諌議士という位に就く事になった。
この位は皇帝直属の顧問官であり、位で言うならば三公、つまり大司馬や大司農の一つ下、大夫階級と同じである。ただし、皇帝からの諮問に答える他は特に仕事はなく、彼が第一線を退いた事は誰の目にも明らかであった。
そして空位になった丞相職であるが、皇帝の意向で新たな任命は見送られた。それまで丞相の行っていた仕事は、三公が代行する事になったのである。
次に、九月に入ると段珪がいよいよ南下の気配を見せはじめた。皇帝はこの知らせを聞くと、直ぐに益兼と丁義堅に応戦の準備をするように伝えた。
そのため一週間ほどの間、丁義堅は出陣の準備のために屋敷には帰ってこなかった。
そして明日は出陣という日に彼は屋敷に顔を出した。
「いよいよ出陣ですか」
白貂娘は久しぶりに丁義堅が屋敷に帰ってきた事を聞いて、自ら丁義堅の元へ会いに行った。
「ああ。明日、都を出る。私が留守の間、屋敷内の事で不便なことがあれば、劉沢に言えばよい。なんでも融通してくれるだろう」
「ありがとうございます。義堅さまもお気を付けて。どうか無理はなさらないでください」
「気を使ってくれるのか。まあ、戦はやってみなければ分からないが、私はいつも無理はしない」
彼はそういうと、少し考え込んでから言葉を続けた。
「無理はしないが、やはり戦は勝つために行かねばならん。負けて帰れば散々非難されるからな」
丁義堅はそういうと白貂娘を見つめたため、彼女は丁義堅が何のことを言っているか直ぐに理解した。
彼が負けたまま引き上げたのは一度しかない。そしてその相手は白貂娘だったのである。
しかし、丁義堅は別にそのことで彼女を責める気はなかったので、直ぐに大声で笑うと再び話し始めた。
「まあ、君が心配することもない。最悪でも互角の勝負に出来れば、段珪も再び話し合いに応じるだろう。それよりも君の仕事のほうはうまく言っているのかい」
「はい、やっと慣れてきました」
「そうか。皆、君に期待しているから頑張って欲しい。私はまだやることがあるから、夕食の時間まで部屋で休んでいなさい」
「分かりました」
白貂娘は一礼してから、自分の部屋に戻った。
彼女は、それから喜香太子のことについて考え始めた。
彼女も太子はあまり出来が良くない、という噂話を耳にすることがあった。しかし彼女が見る限り、噂されているほど出来が悪いとは思えなかった。
ただ祖父や父に対する劣等感が、彼を無気力にしていると感じていた。
大抵の人は他人と比較されるのを好まない。
しかし、太子は何かにつけて祖父や父と比較されて育てられてきたのである。このため太子は自分が祖父や父よりも劣っている、と考えるようになり、そのことが彼を消極的にさせているに違いなかった。
彼女は太子の劣等感を減らして自信をつけさせることが自分の役目である、と考えた。明日からはそのために努力する必要があるだろう。
しかしもう一つの考えが、彼女の頭から離れなかった。
喜香太子が暗愚であるとの噂が、誰かの手で故意に広められているのではないか、ということである。
そのことは、ほとんど公然の秘密であり、知らないものは都にはいないと言っても過言ではなかった。しかもその噂は、どこかしら誇張されたものであった。さらには、後継ぎとしてはふさわしくない、という評価が下され、別なふさわしい皇族を後継ぎとすべきであるとまで言われていた。
ただ、誰がそうした噂を広めているかについては、彼女は分からなかったし、調べるつもりもなかった。自分に任された仕事をやり遂げるだけである。
「白貂娘様、どうしました。ぼうっと外を見て」
甜憲紅がそう言いながら部屋に入って来た。
「何でもないわ。ちょっと考え事をしていただけ」
彼女は白貂娘に、夕食の準備ができた事を知らせに来たのであったが、それを伝える前に、以前から感じていた疑問を投げかけた。
「白貂娘様は、段珪討伐には行かないのですか」
甜憲紅にとっては、白貂娘は丁大将軍をも破った名将である。それなのに、なぜ北伐に同行しないのか理解できなかった。
白貂娘は突然の質問に驚いたが、別に叱り付ける事もなく、簡単に説明した。
「私は軍に身を置いている訳ではないのよ。北伐に行く事はないわ」
白貂娘はそう答えると、窓の外を見た。
既に日は落ちている。そろそろ丁家の遅い夕食の時間である。
丁義堅が遅い時間に夕食を取ることは良く知られていた。彼は、一通りの仕事を終えるまでは夕食を取らなかった。これは、下僕として働いていた頃からの習慣だった。というよりも、下僕の頃は仕事が終わらなければ食事にありつけなかったのである。
次の日の朝早く、近隣の郡県から徴募された十万の兵が陽安を出発した。
大将は丁義堅、副将には王冠計と宋蘭楽の二人が任じられた。
この二人の副将は非常に異なる経歴を持っていた。
王冠計は、現在六十一歳と瑛軍の中でも最高年齢である。
賢時代の名門王氏の出身でもあり、楊猛とともに数々の戦功を立てて、賢にその人在り、とまで言われた人物だった。
ただ、正義感が強く強情な所があったため、時の実力者だった回越と衝突し、一時は蟄居を命ぜられたこともある。
しかし、逆にこのことが幸いして、法関兼が瑛の国を建てたとき、彼はそこで重用されたのであった。
また同時に彼は丁義堅の師ともいえた。
というのも、法関兼は丁義堅を下僕の身分から引き上げたあと、蟄居中だった王冠計に彼を一時預けていたからである。
王冠計は丁義堅を見て直ぐにその才能に気付き、自分の知識の全てを彼に教えた。
最初は字も満足に読めなかった丁義堅が瑛の大将軍にまで出世できたのは、王冠計のお陰でもあった。
王冠計の一族は、そのほとんどが法家の起こした政変の時に回越側に付いていた。
このため回越が失脚した時に、それらの者たちは殺されるか他国に逃げるかしてしまい、一族の中では彼だけが瑛に留まることになった。
親類を失った王冠計は丁義堅を我が子のようにかわいがり、また丁義堅が出世するのを見て、我が事のように喜んだ。
また、丁義堅も常に彼を師と仰ぎ、官位で彼の上に立ってからも、彼を自分の幕僚として意見を聞いていた。
それに対して宋蘭楽は丁義堅と同じく、低い身分から取り立てられて出世した人物だった。
彼を引き立てたのは他でもない丁義堅自身である。
まだ二十八歳と若かったが戦では常に華々しい戦功を立てていた。
丁義堅は、自分が王冠計に教えられたように、彼を自分の後継者とすることを考えていた。
しかし、宋蘭楽は取り立てられたことについて感謝を表すわけでもなく、彼の教えを受けようとすることもなかった。彼には天才的とも言える勘があり、その勘を頼りに戦をするようなところがあった。
このため、最近では丁義堅も彼を持て余すようになったが、なにしろ野戦では無類の強さを誇るため、今回、副将に任命したのである。
今回、陽安を出発する十万の兵は段珪討伐の本隊である。
このほかに、国境周辺では既に一万の兵が集められており、本隊の到着を待っている。さらに奉からも法角が五千の兵を率いて前線に向かっていた。
これに対し段珪の兵力は約七万と報告されていた。
丁義堅が敵よりも多くの兵を動員したのは、長期戦にするわけにはいかないからである。
このため彼はさらに白約楽に相談して、段珪側も長期戦が出来ないように策略を仕掛けていた。
しかし、この策略が成功したかどうかの報告は今日の出陣にはとうとう間に合わなかった。このため彼はそれが失敗だったという前提で戦をする腹を決めていた。




