第三十九章 法九思、白貂娘の策に嵌って墓穴を掘る 2
改めて白貂娘は磁渕に尋ねた。
「さて、程王はどうやら、この街を一気に落とすつもりのようだけど、あなた方ならどうするかしら」
「私たちの意見を聞いてどうするというのです。軍議は済んで、方針は決まったではないですか」
磁渕は不満気に言ったが、白貂娘は気にせずに返事をした。
「ええそうよ。ただ戦は生き物のように常に動き続けるから、様々な角度から常に見直す必要があります。あなた方に聞くのも、その一環と思って頂戴」
「私は、ご主人様が出撃したなら、程王だろうと何だろうと、あっという間に撃退できると思うのですが」
甜憲紅は自分の思うところを正直に言った。しかし、その意見を聞いた磁渕は失笑した。
「今、出撃しろというのは、死ねというようなものだよ。軍議ですでに篭城する、という方針が出されているのだから、その上での作戦を考えるべきだ」
磁渕にけなされて、甜憲紅は顔を真っ赤にして怒った。
「それなら、あなたはどうなのよ。何かいい考えでもあるというの」
「別にない。強いて言えば、篭城したまま、敵の士気を挫く方法があれば、試してみる価値はあるかな」
「あら、例えばどのようにして」
白貂娘は磁渕の考えに関心を示した。
「昔から、挙兵の際には檄文が読み上げられ、また各地にばらまかれます。逆に、こちらから程王の不義を詰る檄文を敵の陣営にばらまくなら、士気を挫くことができるのではないでしょうか」
「確かにそのとおりだけど、こちらの檄文を読ませるだけで、簡単に士気を挫けるかしら。第一、読まれるかどうかも判らないし」
彼の意見は面白いと思ったが、効果のほどが確かではない。彼女はその意見を胸の内にしまおうと思ったが、磁渕はさらに言葉を続けた。
「読まれるかどうか判らないなら、是が非でも読みたいと思わせればよいのです。こちらには、名筆家として知られる陰郡丞がおり、また詩人として著名な白雲先生もおります。檄文の起草を白雲先生にお願いし、それを陰郡丞に書いて頂き、城壁の上から敵陣へ向けて投げ込むのです。南華出身者であれば、一兵卒でもその書の価値は分かりますよ」
それは正に、思ってもいなかった奇策であった。同時に、彼女の頭の中に、程王の性格について軍議で話された事柄も思い出した。
曰く、武断派であり、文に疎い。
「渕君、あなたの策は面白いかもしれないわ。すぐに大司馬に通してみましょう」
結局、白貂娘は反対を押し切るかたちで、磁渕の提案した策を実行に移した。
敵を動揺させることができればもうけものだし、たとえ失敗したとしても、こちらには実質的な痛手は殆どない、それが彼女の言い分であり、益兼が彼女の意見を支持したのである。
益兼は、白貂娘の出した策の別な価値を認めた。
つまり程王の謀反の不義をなじることで、こちらの正当性を大々的に主張し、こちらの士気を保てるという点である。
それに瑛という国の方針として穣丘の守備を彼女に任せた以上、よほどの問題がなければ彼女を支えるのが彼の役割でもある。
ただし敵陣に与える効果については、それほど大きなものにはならないだろうと考えていた。
しかし、それは彼の予想を遥かに上回る効果をもたらすことになった。
そもそも渠、程を含む南華全体に言えることであったが、この地での文化工芸に対する関心は、上層階級や一部の金持ちにとどまらず、ごく一般の人々にまで及んでいた。
特に都市部では、犬でも真贋を見分けられる、とまで言われるほど、彼らの目は肥えていたのである。
その彼らの間でも、当代随一の書家と評判だったのが、陰方徐である。当然、一般人が彼の真筆を手に入れる機会など、無きに等しい。
しかし、その手に入らないはずの彼の真筆が、程の陣営にばら撒かれたのである。
それに気づいた程の兵士たちは、先を争ってそれを手に入れようとした。
それに関心の無いものでも、その価値は知っている。それはまさに、一攫千金の機会でもあったのである。余りの騒動に、事情を知った指揮官たちまで、自分の立場を利用してそれを奪って懐に入れるありさまだった。




