第三十八章 法詠華、陽安への帰還前に白貂娘へ警告をする 2
そのころ、穣丘内に設置された試合会場では、全員が総立ちになっていた。
呂厳が一本、白貂娘が一本を取った後の第三試合で、呂厳が激しい応報の末、彼女から一本を取ったのである。
呂厳は鬼のような形相のまま、歓声に答えることもなく、下がってしまった。一方、打ち倒された白貂娘は、ゆっくりと立ち上がり、太子の方に一礼すると、こちらもすぐに試合場から下がった。
興奮覚めやらぬ観衆に対し、太子が立ち上がって演説をしたのはこの時である。
「我が叔父である程王は瑛に対し謀反を起こし、この穣丘へ攻め寄せるという知らせが入った」
もちろん、実際にはこの時点で、本当に程王が挙兵したことは伝わっていない。しかし、ここ数日間の開砂の動きから、一両日中に挙兵することは間違いなかった。
太子は、穣丘の民衆の戦意を煽る必要があった。そのための親善試合であり、演説であった。
回循粛が草稿をつくった太子の演説は、その目的を十分に果たした。
穣丘の民衆は、突然の話に驚いたが、目の前で見た勝負に気分が高揚しており、来るなら来い、という気分で満ちたのである。
「父上、私も出陣するのですか」
戦支度をする磁計侃に、磁渕は尋ねた。戦は好きではなかったが、兄たちも出陣するのである。年齢的に、自分も父親と共に初陣を飾るとしてもおかしくはなかった。
しかし、磁計侃の返事は、彼にとって、意外なものであった。
「お前はここに残るんだ」
その言葉は、戦場に出なくてもよいという安心感と共に、父親に見放されたのではないかという不安感を、磁渕にもたらした。
その気持ちを察したのか、磁計侃はさらに続けた。
「渕は、戦場での働きにはお世辞にも向いているとは言えん。それよりも、白貂娘の元で、彼女の用兵を学べ。その方がお前のためになる」
「次傅の元で、ですか」
「そうだ。雲を通して、すでに話は付けてある。次傅も快諾してくれたそうだ」
磁渕は複雑な心境だった。
おそらく、自分を穣丘に留めるという案は、父のものというより、晁先生の考えであろう。
自分が次傅のことをけなした事は、甜憲紅を通して伝わっているに違いなかった。そしてそのことは晁先生も知っているはずである。
ではなぜ、先生は自分を次傅の元へ留めようというのだろうか。
磁渕の頭には、先日の、晁雲の言葉が反復していた。
「自分の目で見て、自分で判断して欲しい」
つまり、すべてはこの言葉に集約される、そう判断した。
ならば、先生の言葉通り、自分で白貂娘の正体を見極めよう。磁渕は腹を決めた。
「判りました。では、これからすぐに、次傅の元へ行きます」
決めた以上、躊躇する必要はなかった。彼はその足で白貂娘の元へと向かった。
呂厳は、試合後の太子の演説を聞き、ついに自分の本当の力を試すときが来た、と考えた。今度こそ、自分の実力を見せるときが来た、と思ったのである。
しかし益兼から、今回の戦における役割を聞いたとき、彼は失望の色を隠せなかった。
益兼の説明では、まず、太子が磁計侃と共に穣丘を出撃することになっていた。しかし、その進撃先については臥せられた。そして、程王が攻め寄せる穣丘の守将には王礼里が指名され、呂厳は、紀端という名の、もう一人の校尉と共に、彼女の下に置かれたのである。
この配置について、益兼は次のように説明した。
曰く-
呂厳は地元の英雄であり、彼が穣丘に留まることで、穣丘市内の士気はいやがおうにも高まる。
しかし、呂厳自身は実績が不足しており、白廊関における実績のある、次傅の方が、守将には向いている。
一方、太子の出撃は敵に知られないようにする必要があり、名の知られた呂厳より、磁計侃の方が向いている。
磁計侃を含む穣丘族は、瑛の持つ水軍とは別に、小さいながらも独立した水軍を持っており、出撃するのに向いている。しかも、彼自身、穣丘族の傭兵部隊を持っている。
さらに益兼は、呂厳の功名心をくすぐるようにささやいた。
「陛下は、既に程王がこの街を狙っていることをご存知である。そして、陛下はこの街を救うべく、親征をされることが既に決まってもいる。つまり、陛下は穣丘に来られるのであり、その時、この街を守ったものは、今回の戦の、第一の戦功となるであろう」
そう言われては、呂厳も口を噤まざるを得なかった。
最後に益兼から、次傅と協力し、くれぐれもその指示に従うよう、釘をさされた。




