第三十八章 法詠華、陽安への帰還前に白貂娘へ警告をする 1
元々、穣丘という街は、切り立った崖が続く氾江中流域の北岸に裂け目のように存在する狭い平地に栄えた、商業都市である。
南北の物資が盛んに行き来するこの街は、当然、軍事的にも重要な地点に位置している。
このために、昔からこの街をめぐる攻防が氾江を挟んで繰り広げられてきた。
そして、穣丘を取った方が南華の主導権を握る、という一つの型ができていたのである。
しかし穣丘の港は、龍嵐児も言うとおり、必ずしも守りに適しているとは言えなかった。
大きく開けているぶん、商船の出入りは容易だったが、同時にそこを守るには多くの船が必要になるのである。
この弱点を、渠の三代目の王であった荘参は、それまで誰も考えなかった方法で克服しようとした。
それは、港の防備を強化する代わりに、内陸の城を強化する、というものである。つまり、港を取られても、街を取られなければ、少なくとも敵に領地を蹂躪されることはない、という発想であった。
一見、本末転倒のように思える発想であったが、北側の国境が中原の大国と隣接している渠には、氾江南岸から攻め寄せる程の大軍を、港で食い止めるだけの兵力を廻す余裕がなかったのである。
それよりも、崖に挟まれている穣丘市街の地の利を生かし、穣丘そのものを砦のようにして閉じこもった方が効率的であった。
そして、この方法は功を奏した。たとえ港を取っても、その先に進めなければ、意味がないのである。しかし、目の前の城壁は簡単に落とせるものではない。
このため先の戦乱の間、度々程は渠を攻めたが、穣丘城を抜くことができず、南華の覇者になり損ねたのである。
話は白貂娘と呂厳の親善試合が行われた日にまでさかのぼる。
その日、穣丘を目指して、再び程の大軍が開砂を出発した。
瑛の天下となり、氾江の水軍を一手に引き受けていた蜀果は、自分の本拠地である莱峡郡の水軍駐屯地に、氾江に浮かぶ瑛直属の軍船すべてを集めていた。
当初の予定では、太子の護衛という名目で、最初からその水軍を穣丘に移動させるはずであった。もしそうしていたなら、穣丘制圧も簡単であっただろう。
しかし、瑛の側もそう甘くはない。様々な理由を付けて、穣丘周辺からは、水軍を締め出していたのである。
このため、程が氾江の北に出るためには、穣丘を攻め落とすか、大きく西か東へ迂回する必要があった。
西に川を溯るなら、慶の地に入る。そこは法貴円がおり、さらにその上流には奉王の法角もいる。いずれも親皇帝派であった。
東へ行くと、弟の法栄が葛の地を治めているが、程王は彼とあまり仲が良くない。しかも、法栄も皇族の特権として独自の軍を持っている。
瑛の天下統一の過程では、彼自身が兵を率いたことはなかったが、彼が自分の領地に赴いたときに、その地で起きた反乱を瞬く間に鎮圧したことで、彼の軍人としての才能が、実は法氏の中でも一、二を争うものであることが明らかになった。
結局、最も無難なのは、穣丘を抜き、あまり有能とは言えない渠王、幹王を味方に付けることであった。
もちろん、程王の頭の中では、既に穣丘など落ちたも同然であった。少なくとも、南華の東半分は自分のものとなる。その思いに酔いしれていた。




