第三十七章 白約楽、龍嵐児に瑛へ帰順するよう交渉する 2
自分たちの頭領の微妙な態度の変化に、彼の部下たちも白約楽に対する態度を変化させた。
それまでは明らかに彼を嘲笑、または侮蔑する態度を見せていたが、龍嵐児が船室に引きこもってからは、曲がりなりにも彼を客として遇することにしたのである。
その場で待つ事になった二人には、椅子が勧められ、軽い食事まで運ばれてきた。
二人が食事を終えて休んでいると、王蘭玉はふと思い出したように懐から布を出した。
「おっと、忘れるところだったよ。龍の大将あてに、もう一つ渡すものがあったんだ」
「誰に頼まれたのです」
白約楽は不思議に思って尋ねた。彼らの出発は急なものであり、彼女に何かを頼む暇など、誰にもなかったはずだからである。
「礼里からだよ。龍嵐児に渡せば判るはずだからといって、頼まれたんだ」
「王次傅は、いつそれを蘭玉さんに頼んだのですか」
「あんたに龍嵐児のところへ連れて行くよう頼まれる前だよ。ただ、その時はこんなに早くここに来ることになるとは思わなかったがね」
白約楽には、白貂娘の真意を計り兼ねた。
恐らく、彼が水軍対策として龍嵐児を味方にすること、そして、そのために王蘭玉を仲介者とすることを察したのであろう。
しかし、その機会に彼女が龍嵐児に渡すものとは、一体なんであろう。
少なくとも、彼女が南華に来たことは、今回が初めてであることは間違いないし、彼女と龍嵐児を結び付けるものについては、想像が付かなかった。
ただ、だからこそ、その布に重要な意味合いが、含まれているように思われた。
「蘭玉さん。次に龍嵐児が出てきたなら、彼が口を開く前に、すぐにそれを渡してください」
部屋に引きこもった龍嵐児は、改めて自分がどちらに付くべきか考えていた。
すでに、程王からの使者には、彼の側に付く旨を伝えている。その決定は、彼の義侠心と功名心から導き出したものであった。
もちろん、白約楽に指摘された点を考えなかったわけではない。しかし、たとえそうなったとしても、自分が水軍を率いる限り誰にも負けない、という自負があった。
それでも、既に正規の水軍を持つ程王よりも、水軍を持たない瑛に付く方が、自分を高く売れることに気付いたのである。
しかし、それだけの理由でくら替えすることは、彼の義侠心が許さなかった。
程王の元にいる重傑がその理由である。
彼の養父であった高遂には、彼も度々世話になっている。
元々、若い頃に戦争で住むところを失い、やむなく水賊となった彼は、あくまでも自分を
『義賊』という立場に置きたかった。
その彼にとって、高遂に受けた恩を忘れ、瑛に付くためには、彼なりの大義名分が欲しかったのである。
結局、約束の半刻が過ぎても、彼は瑛に付くために、自分を納得させる理由を作ることはできなかった。
そうなると、あとは彼にとっては瑛と戦うか、程と戦うかの違いであり、自分にとって名分が立つ程につくのが自然である。
当然、白約楽は捕虜ということになる。
「悪いが来るのが遅かった」
龍嵐児はそう独り言を言うと、再び船室を出て、白約楽たちの前へと姿をあらわした。
しかし、彼が口を開く前に、王蘭玉がすっと前に出た。
「大将、あんたに渡し忘れていたものがあったよ。これを渡すよう頼まれていたんだ」
そう言いながら王蘭玉が差し出した布切れを、龍嵐児は最初、怪訝な顔つきで見ていたが、急に何か思い当たったらしく、奪うように彼女の手から、それを受け取った。
「一体、誰が姉さんにこの布を渡したんだ」
「王礼里っていう娘だよ。私の馴染みでね。私があんたに会ったら渡すよう頼まれたのさ」
「王礼里、ああ、その名前なら知っている。奉の白貂娘だろう。なるほど、あの娘なら判る」
龍嵐児はそう呟くと、暫くの間、黙り込んだまま、その布切れを見つめていた。
白約楽には、俯いている龍嵐児の目に、うっすらと涙が浮かんでいるようにも見えた。
ふと、龍嵐児は顔を上げ、真顔で王蘭玉に尋ねた。
「それで、白貂娘は今、どちらにいるんだ」
「彼女は太子の次傅だからね。瑛の側だよ」
それを聞くと、龍嵐児は大声で部下たちに命令した。
「我が意は決した。我らは瑛に付く。これより全軍は宿敵、蜀果を討つ」




