第三十七章 白約楽、龍嵐児に瑛へ帰順するよう交渉する 1
白約楽らが龍嵐児の元へ着いたのは、その日の深夜であった。遅い時間にも関わらず、砦全体から高揚とした雰囲気が伝わってくる。
「どうやら出発前に間に合ったようだ」
白約楽はほっと胸をなで下ろした。
王蘭玉はすぐに見張りのものに取り次ぎを頼み、既に船に乗り込んでいた龍嵐児の元へと、白約楽を連れていった。
「姉さん、久しぶりだな。元気だったかい」
龍嵐児は彼女の顔を見ると、親しげに声を掛けた。
「もう年だね。昔馴染みに会うと、特に年を感じさせられるよ」
王蘭玉が冗談とも着かないことを言うと、龍嵐児は大いに笑った。
「ところで、後ろの男は何者だい」
「ああ、これがあんたのところに来た理由だよ。私は頼まれて、この男をあんたに売りに来たのさ」
王蘭玉に紹介されて、白約楽は前に進み出て、一礼した。
「姓を白、名を約楽と申します」
「悪いが姉さん、こんな細腕の男じゃあ、役に立ちはしないぜ。他を当たってくんな」
てっきり、王蘭玉が知り合いの職探しのために来たと思い込んだ龍嵐児は、白約楽を一瞥しただけで断った。
「勘違いしちゃあ困るよ。この男の仕事を世話しに来たんじゃあない。あんたに瑛の元丞相を売りに来たんだよ」
王蘭玉はわざと、何気ない調子でそう言った。そして、彼女の思惑通り、その場の雰囲気が一瞬にして変わった。
龍嵐児も彼女の言葉を聞くと、態度を改めた。
「姉さん、何だってこの男を俺に売るんだい」
「さあね。私は商人として頼まれただけさ。値段はこいつと交渉しておくれ」
王蘭玉はそういって一歩下がった。自然と白約楽が前に出る形となる。
白約楽と龍嵐児は、真正面から向き合った。
「瑛の元丞相さん、いったい、俺に幾らで買って欲しいんだい」
「あなたとあなたの部下全てで」
その言葉を聞くと、龍嵐児は大笑いした。
「あんた一人と、俺達全てを交換しろと。これは虫のいいことをおっしゃる。一体全体、お前一人を買うために、なぜそこまでせねばならん」
「では、私にはそこまでする価値がないと」
龍嵐児は笑うのを止めると、白約楽に凄んで見せた。
「既に程王からの誘いが来ておるわ。更にお前を連れて行けば、たっぷり褒美がもらえるだろうよ」
しかし、白約楽はそれを聞くと逆に笑い始めた。
「全く、目先のことにとらわれると、自滅するだけですよ。程王の味方をする、それはあなたのためにも止めた方がよろしいでしょう」
自信たっぷりな白約楽の態度に、龍嵐児はつい乗せられた。
「ほう、程王の味方をすると俺が自滅する。それは初耳だ。瑛軍は長躯してくる上に、水戦に不慣れと来ている。程王は、天下を取れないまでも、その半分は取れるだろう」
「なるほど、確かに龍将軍が程王側に付くなら、瑛軍は苦戦を強いられましょうし、あるいは南華に割拠することも可能かもしれません。しかし、その時あなたはどうなるでしょう」
「どうなる、とはどういう意味だ」
「程王には既に、水軍都督として名の知られた蜀将軍がいます。当然、程王に付く水軍は全て蜀将軍の下に置かれることになるでしょう。その時、あなたの立場はどうなるでしょうか」
白約楽がぴしゃりと指摘すると、それまで悠然と構えていた龍嵐児が、黙り込んでしまった。
白約楽はさらに畳み掛けた。
「蜀将軍の下で冷や飯を食らわされるぐらいなら、まだましかもしれません。なにしろ、あなたは随分と彼を苦しめましたからね」
「だが、それは瑛も同じ事だ。俺が瑛に行ったとして、命の保証があるというのか」
「しかし、少なくとも瑛にはもう蜀果は居りません。水軍都督の地位は空いているのです。それに、たとえ敵対した人物でも潔く降るなら、それ相応の待遇をすることは既成の事実です」
白約楽の言葉に、自分たちの大将がどう答えるかと、龍嵐児の部下の顔が、一斉に彼のほうを向いた。
「暫く時間をくれ。半刻後に返事をする」
龍嵐児はそう言い残して、船の中へと引きこもってしまった。




