第三十六章 比禁、白貂娘と面会する 2
その様子に比禁は小さく溜息をつき、改めて部屋の中へと入った。
「お初にお目にかかります。私は姓を比、名を禁と申します」
比禁がそう挨拶すると、白貂娘も席を立ち、深々と礼をした。
「私は姓を王、名を礼里と申します。先生のお名前と詩は、遠く都や奉の地までも届いております」
「いやいや。私など、まだまだでしょう。それより次傅の名こそ、遠く南華の地までも響き渡っていますぞ。まだお若いのに、たいしたものですな」
比禁がそう言った時、少し声が震えていることに晁雲は気が付いた。
「たいしたものだなんて。人の噂なんて当てにはなりませんわ」
「ほう、それでは私の噂も当てにはならんのではないかな」
「先生の噂は先生の詩と共に伝わります。噂が当てにならないとしても、少なくとも詩の価値は変わりませんわ」
「では、次傅の噂が当てにならないとしても、白廊関や灰山での戦功も変わらないのではないのでは」
「詩と戦は違います。戦は私一人ではできません。先生の挙げられた戦果はどれも、私が独り占めすべきものではないのです」
「なるほど、私は自分の作った詩の評価を独り占めできるという訳ですな」
白貂娘は、ちょっとした言葉尻を捕らえて言い返す比禁の口振りに、だんだんいらいらしてきた。
しかし、つい先日、同じ状況下で思わず言い返したことで、面倒な事態になったことを思い出し、辛うじて自分を抑えた。彼女は少し考えてから返事をした。
「そう言われては言葉が悪いですわ。詩の評価が、その詩を作ったものに帰せられるのは、ごく正当なことですが、戦はそこに関わる全ての人の働きがなければ、勝つ事はできません。確かに作戦を立てる際には、私も知恵を出しましたし、私自身も戦場を駆けることはありましたが、一人の働きで戦況を一転させることは不可能です」
丁寧に教え諭すように、白貂娘は説明したが、比禁はさらにしつこく言い返してきた。
「だが、多くの者が入り乱れる戦場で、次傅の戦功が大きく伝わるのは、次傅の戦功が他の者よりも大きかった証拠ではないか。それとも、次傅は自分の功績が、実際よりも大きくなるように細工でもされたのかな」
白貂娘は再び黙り込んだ。
その様子を見て、晁雲は不安になった。
彼も白貂娘と親しくなったとはいえ、たかだか一週間程度の付き合いである。試合前の気持ちが高ぶっている時に刺激されて、何をするかまでは見当が付かない。
普段の温厚な彼女しか知らないが、戦場に身を置いていたこともある女性である。突然、手元にある木刀を掴んで、殴り掛かる可能性も彼には否定できなかった。
そのため、彼女がすっと木刀に手を伸ばした時、彼はひやりとした。
「先生。先の戦乱の時代に、私のように女の身でありながら、戦に出た人を何人ご存知ですか」
白貂娘は木刀を手で弄びながら、静かに比禁に尋ねた。
比禁も晁雲と同じように、彼女がいきなり殴り掛かって来るかと思い、身構えていたが、その構えを解かないまま、彼女の質問に答えた。
「さあて、すぐに思いつくのは武天、喬錦、細青淑の三人ぐらいかの」
「私が思い付くのもその三人ぐらいです。あるいは他にもいたかもしれませんが、少なくとも名前が残るほどの活躍はしなかったのでしょう。では、なぜ、先ほどの三人の名前が、このように有名なのでしょう」
彼女はそう尋ねながら、軽く木刀を振った。
「それは、各々がそれなりに戦功を立てているからじゃろう」
「それもあると思います。しかし、それだけでしょうか」
含みのある質問は、すぐに比禁と晁雲の二人にも伝わった。
「なるほど、女性という珍しさゆえ、という訳か」
晁雲が手を打ちながら答えた。
「人は目立つ道化ほど噂にするものです。私にその気がなくても、少しでも面白い話を人は話題にするということでしょう」
陽長公主の詩が頭に残っていた白貂娘は、彼女の表現を拝借した。
しかし、比禁は突然、自分の感情を爆発させた。
「確かにそうかもしれん。だが、次傅が功を立てられたのは事実ではないか。自分の功をなぜ過小評価なさる。一人の功績など、国にとっては屁でもない。かえって相応の報償を控えるなら、胸に一物あると勘ぐって来る。謙遜など、宮仕えする者に必要ない。他人を蹴落としてでも出世する気でなければ、他人に蹴落とされるだけだ」
比禁が一気にまくし立てると、白貂娘も晁雲も唖然とした。
比禁自身も、思わず感情をあらわにしたことを恥じ、口を噤んでしまった。
しばらく気まずい雰囲気が流れた。




