第三十五章 磁計侃、白貂娘について論ずる 3
晁雲の方は、勝手に近づいてきて勝手に去っていった磁計侃に呆れつつも、再び白貂娘のいる宿舎へと向かおうとした。
その時、またも声を掛けられた。そして、彼は聞き覚えのあるその声に驚いて、振り返った。そこにはくたびれた服を着た、初老の男性が立っていた。
「白雲先生、いつ帰られたのですか」
「今朝、穣丘に着いた。ところで、この騒ぎは一体なのだ。太子の一行はまだ帰っておらんのか」
「はい。喜香太子は是非、先生にお会いしたいとおっしゃられて、日程を延ばして滞在されております」
その話を聞くと、白雲先生と呼ばれた老人は、少し顔をしかめた。
この老人こそ、詩人として高名な比禁であった。白雲とは彼の号である。
晁雲は比禁が顔をしかめたのを見ると、言葉を付け足した。
「太子は興味本位や人気取りのために、先生に会いたいと言っているのではありません。心から先生の詩に感動して、一度、先生と詩について話し合いたいと望んでいるのです」
「ほう、だが太子はまだ若いと聞く。本当に詩の事が判るのかな」
「沢栄の話では、なかなか筋がよい、と言っておりました」
晁雲は暗に、太子に会う事を勧めたが、比禁はその言葉を無視するように、別の質問をした。
「ところで、さっきも聞いたが、この賑わいの理由は太子のためだけではあるまい。何があるんだ」
「呂校尉と、巡幸の一員である王次傅が、親善試合をするのです」
比禁はそれを聞くと、目を光らせた。
「王次傅というと、あの白貂娘の事か」
「そうです」
比禁は暫く考え込んでから、再び口を開いた。
「その娘に、会う事はできんかの」
他ならぬ比禁からの申し出に、晁雲は驚いた。
「先生がですか」
「まあ、好奇心がある。十二歳で初陣を飾った娘とはどんな者なのか、後学のために会ってみたい」
「そうですか。王次傅は別に拒みはしないでしょうが、次傅に会われたなら、太子にも会う事になりますよ」
「わざわざ今まで待ってくれたのだ。会わぬ訳にもいくまい。まあ、小汚い爺さんだと失望するだけであろうが、人生、失望を経験する事も大切だ」
あまり関心がなさそうに比禁は言った。
比禁が流浪の詩人となったのは、最初から望んでのことではなかった、という話を晁雲は以前に聞いた事があった。若い頃からその才能を輝かせていた彼は、昔、取るに足らない些細な出来事で程の朝廷を追われ、それ以来、自ら仕官の道を拒んできたというのである。
晁雲にはその話が、比禁の一面のみを語っているように思えてならなかった。しかし、ここでそれを確認しても仕方のない話である。
丁度、晁雲も白貂娘の元へ向かうところだった。彼は、比禁を彼女の元へ案内する事にした。




