第三十五章 磁計侃、白貂娘について論ずる 2
試合会場の警備に当たっていた磁計侃は、晁雲が宿舎の方へと向かうのを見つけると、おもむろに近づいて声を掛けた。
「朝からやたらと人が集まってきている。まるで祭りだ」
磁計侃は首を傾げたが、晁雲はさほど奇異な事とは考えていなかった。
「二人の試合が今日に決まったのは、ほんの数日前だ。それが別に宣伝した訳でもないのに、瞬く間に街中に伝わった。しかも今日は朝から総出で会場作りと来ている。どうやら少しでも多くの者に、今日の試合を見てもらいたいようだな」
「やはり、何か裏があるのか」
「判らん。だが、間違いない」
そう言うと、晁雲は声をひそめた。
「どうやら、この街、ひいては南華全体を巻き込む事件に、我々の席も用意されているようだな」
「なるほど、では王次傅と呂厳の二人も、そのだしと言う訳か」
磁計侃は気の毒そうに呟いたが、その同情は専ら白貂娘に対して向けられていた。
彼は白貂娘の人となりに、すっかり惚れ込んでしまっていた。晁雲はそれを見ると、ふと、からかってやろうと思い、彼に質問をした。
「ところで計侃。王次傅に会った後の感想を聞いていなかったな。君は武人として、彼女の事をどう思った」
「ああ、こう言っては何だが、あの方が太子の守り役とは勿体無いな。彼女は本物の武人だよ」
磁計侃は熱っぽく語ったが、晁雲はわざと冷ややかに答えた。
「ほう、だが呂校尉は、彼女の能力を疑っているようだが」
「あんな男に何が判る。それとも、お前の目も節穴だったのか」
晁雲が呂厳の名前を出したので、磁計侃は機嫌を悪くした。しかし、晁雲は笑って続けた。
「俺は武人ではないからね。お前と意見は異なるが、俺の目からするなら、王次傅は今の仕事が天職だ。太子の守り役と言ってしまえばそれまでだが、その守り役如何で次代皇帝の出来が半ば決まるのだから、責任は重いぞ」
後半、ほとんど不敬にも近い言い方だったが、磁計侃も彼の意見に一理あると思った。
「なるほど、そういう見方もあるな。だが、武人としての彼女も捨て難いぞ。呂厳などとは比べ物にならん」
「お前がそこまで言うなら、そうなんだろう。呂厳の事は、お前をからかってみただけだ」
晁雲は謝ったが、磁計侃はそれを無視して彼女の武人としての素質について話し始めた。
「戦をする上で、本当に大切なのは、勝つ事よりも負けない事だ。白貂娘はその機微をよくわきまえている」
「負けなくても、勝てなくては仕方がないのではないか」
「そこが微妙なところだ。戦を始めるのは君主であり、将ではない。つまり、勝つのは君主の役目で、将は自分の君主が勝てるまで、負けないようにするのが役目という訳だ」
「しかし、その前提は少し歴史の事実から、外れてはいないか。君主を差し置いて、勝手に戦を始めた武将は、歴史上、数多いぞ」
「お前らしくない。それは木を見て森を見ず、というやつだ。俺が話しているのは、将のあるべき立場だ。そこを逸脱した者は既に将ではなく、ただの野心家か、群雄の一人として歩みだしている者だ」
「なるほど、それは言えるな。しかし、ついでだから聞くが、次傅の戦功が奇策によるものが多いことについてはどうだ」
晁雲も、別に本気で次傅の能力を疑っている訳ではないが、策士、策に溺れるという言葉もある。
あまり奇策を好まない性格の磁計侃が、彼女のそうした戦功に対してどう感じているのか、晁雲はその点に興味があった。
しかし、磁計侃は彼女の奇策に対しては、ごく是正的な反応をした。
「なに、まともな戦ができなければ、奇策だけで勝とうとしても無理な話だ。そして、そのまともな戦ができる者というのが、意外におらん。だから、昔から策に頼るなというのだ。逆に言うと、奇計奇策を使いこなせて始めて名将と言える。事実、歴史上の名将、名軍師と言われている者で、生涯一度も奇策と言えるような策を取らなかった者がどれほどいる。中にはその戦の大半が奇策による勝利という者もいるだろう」
「そんなものか。ところで、王次傅は呂校尉に勝てるだろうか」
晁雲はそこで話題を変えて、今日の勝負の行方について尋ねた。
磁計侃はその質問に少し顔をしかめた。
「元々、将才と個人の武勇は別物だ。白貂娘の将才は認めるが、剣の腕までは保証しかねる。まあ、弱くはないだろうが、な」
「難しいか」
「呂厳も剣の腕だけは一流の部類に入る。それに比べると、白貂娘は剣を握るのも久しぶりだろう。その上、体格、体力にもかなりの差がある。彼女が余程の達人だというなら話は別だが、残念ながらそういう噂は聞かない。勝つのは難しいだろう」
心の底から残念だ、という様子で頭を振ると、磁計侃はそのまま自分の仕事に戻ってしまった。




